院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

パティシエとは何者か?

2013-02-08 05:42:51 | 文化
 人間はパンのみにて生くるにあらず、とはよく言われる。パン以外にも探究心を満たすものや娯楽などが必要である。

 だからナチスの収容所のような極限状態でも、収容されている音楽家たちがオーケストラを結成したのだろう。

 亡父はシベリヤ抑留を経験しているが、いつ取るに足りない理由で銃殺されるかも分からない状況で、器用な男が何かの材料で美しい麻雀パイを造り、麻雀を楽しんだという。食べ物に困窮し、ネズミを獲って食べるような環境でも、人間は娯楽を求めた。

 戦時中の芸能人によるの慰問団も、同様の意図で結成されたのだろう。

 そこで現代である。誰でも一定の栄養が摂れる。だから、生存のためだけに食べるのでない別の食べ物、すなわちお菓子を作るパティシエが注目されるのは理解できる。

 でも、食材がない戦中のような時代にはパティシエはどのように処遇されるのだろうか?芋などを材料にしてけっこうお菓子的なものを作るようになるのだろうか?

 それともパティシエは平時にしか通用しない職人なのだろうか?そうだとすると、パティシエの技術は、人が一生をそれに捧げるほどの技術なのだろうか?

 もうひとつ、パティシエと同じような職人、すなわち和菓子職人がパティシエほどには注目されないのは何故だろうか?たんなる流行として片づけられるだろうか?

 いまパティシエを希望する若者が多いという。若者にとって、パティシエの技術のほうが例えば旋盤の技術よりカッコよく映るのだろうか?私には旋盤の技術のほうが実用的で素直なように思える。

 パティシエの技術はしょせん金持ち向けで(現代の日本人は発展途上国の人々より金持ちである)、なくてもよいような職種なのだろうか?

 ソムリエという職業にも同じような匂いがする。

 思えば料理、絵画、音楽などの文化的な産物は、宮廷なしには発展しなかった。現代の先進国の人々はみな宮廷人のようになったということだろうか?

 未開民族には何の役にも立たない技術をもつこと、それが「文化的」ということの定義なのだろうか?