院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ただの報告か?客観写生か?

2013-02-11 02:31:49 | 俳句
 ある結社のA主宰は、以下の素人の俳句を「ただの報告である」と退ける。

    コンビニにおでん売りをり買ひにけり

    歳月を経て咲き初めし寒桜

    被災地で汗水流すボランティア

 確かにさほど面白くない俳句だが、虚子のいう「客観写生」とどのように違うのだろうか?以下に虚子の句を挙げてみる。

    岩の上に傾け置きぬ海苔の桶

    潮の中若布(わかめ)を刈る鎌の行くが見ゆ

    もたれ合ひて倒れずにある雛かな

 上の3句も、報告と言えば報告である。でも、素人の俳句よりも虚子の俳句のほうがはるかに佳い。どこが違うかというと、虚子の句には「発見」あるのだ。

 桶が傾き置かれているという発見。若布の鎌が行くという発見。倒れずにあるという発見である。

 この発見が、素人の「見たまま」と決定的に違うところである。だから、罪は「客観写生」という命名にある。「発見写生」とでもすれば、まだ意味が分かる。客観写生、客観写生と言い募るから、私たち素人は勘違いしてしまうのだ。