院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

読書家という病

2013-02-10 03:20:44 | 読書
 虚弱な子どもは読書好きになる。体力的に同年代の子どもと対等に遊べないから、本という空想の世界で遊ぶようになる。空想の世界では、どんな子どもも万能感にひたることができる。

 私は虚弱な子どもだった。幼稚園は半分くらいしか通っていない。あとはすぐに熱を出したり、お腹が痛くなったりして、自宅で寝ていた。だから、絵本を読むくらいしか楽しみがなかった。結果、私は読書好きの少年になった。

 「読書好きな子どもになるように読み聞かせをやりましょう」と奨励されている。どうも読書好きは社会的に高く評価されているようだが、それはおそらく誤解である。読み聞かせをやっても、子どもは読書好きにはならない。読書好きになる子どもは何もしなくても読書好きになる。

 読書が難行苦行であるという子どもは、実は健康的である。子どもたちの遊びに「いろいろ」(地方によって呼び名が違うだろう)というのがあった。「馬跳び」とか「初めの一歩」とか「Sけん」とか「ポコペン」などのレパートリーを総称してそう呼んだ。そのような子どもたちの遊びに普通に参加できない子どもが読書好きになるのだ。

 読書好きの子どもは長じて読書家になる。私がそうだ。運動神経が鈍いから、読書よりほかに楽しみがなくなる。小学校中学高校大学の同級生を見ると、みな老いたがゴルフ、野球見物、ドライブなどを楽しんでいる。それらの楽しみをいっさい知らないで読書や書き物に耽るのはきわめて少数派である。読書家は、「映画好き」、「美少女フィギュア好き」と同じくオタクなのだ。

 故司馬遼太郎さんの莫大が蔵書が残されて公開されているけれども、司馬さんはさぞかし変人だっただろうと思う。あれだけの本を読むことそのものがすでに変人である。根っから健康な人は、文章なぞ書かない。先輩にも大変な読書家がいるが、みな変人である。(中には天才と呼べるような人もいるが。)

 私はこのブログを書いていて、つくづく不健康だなと自分で思うことがある。昔の同級生はみな、もっと明るい趣味をもっている。ただ、グーグルの有料の解析で調べると、このブログの愛読者が1000名以上いることが分かる。それなら、そんなに卑下することもないかと開き直っている。