院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

死亡事案に対するマスコミの態度

2013-02-16 02:02:20 | マスコミ
 私事だが私は中学3年生のときに小学6年生の妹を病気で亡くした。妹の死は私の人生航路に甚大な影響を及ぼした。その詳細は省くが大きく感じたことは、他ならぬこの私ではなく妹が亡くなったのは非合理だという感覚だった。今一つは、妹の死をなぜマスコミは取り上げないのだろうか、という答えは分かっているのだが、割り切れない感情だった。

 妹の死は病死ゆえにマスコミに取り上げられなかった。交通事故だったら地方版くらいには取り上げられたかもしれない。飛行機事故なら全国版に取り上げられるだろう。

 この差別はなんなのだろうか?先日のグァムでの無差別殺人の被害者は、大きく報道されたばかりか、マスコミは友人までを引っ張り出して「ほんとに思いやりのあるいい人でした」なぞと感想を言わしめた。

 グァム無差別殺人の被害者に家族や物語があるように、交通事故死者や病死者にも家族とそれにまつわる物語が、同等に存在しているのだ。

 ニュースの大小は、社会的影響の大小だとマスコミは言うが、実は彼らが勝手に決める基準によっている。話が逆なのだ。

 ニュースの大小を決めるのはマスコミそれ自身にほかならない。ニュースバリューとはマスコミが取り上げる取り上げないばかりではない。一面トップかどうか、扱いが大きいか小さいかなどで、マスコミはニュースに格差を付ける。テレビニュースなら報道の順位や時間、回数によって格差をつける。

 人の死は原因のいかんを問わず平等である。その死を報道するのに尺度を付けるのがマスコミである。平等である死にさえ大小を付けるのだから、もっと微妙な問題(大小を測りにくい問題)にはマスコミは、得手勝手に格差を付けるだろう。

 こうしてマスコミは、野次馬の親玉として正義面して、ますますのさばるのである。