息子が中学生の時、息子の生物の教科書を見て驚いた。分類学が全然載っていないのである。代わりに人体の解剖学や生理学が載っている。確かにそのほうが実用的かもしれないと思った。
私が中学生時代の生物の授業は大部分が分類学だった。細かい分類をこれでもかと覚えた。回虫が卵から成虫になるまでに5回変態する。その幼生の各々の名称を暗記した。ミラシジウム、スポロシスト、レジア・・・と今でも覚えている。
丸暗記は不思議にイヤではなかった。こんなものにさえ名称が付けられているという感動のほうが大きかった。
高校生になってから、新発見の生物をどのように登録するかを教わった。これまで誰も見つけたことがない生物に命名するなんて、ロマンがあるではないか。
新発見の生物はラテン語で記載し、外国にある「本部」に届けなければならなかった。(現在では他の言語も許されているらしい。)ラテン語というと権威主義のかたまりのように思えた。だが、宮川さんが発見した生物には「ナントカカントカ・ミヤガワイ」と命名されるので、権威主義的な割にダジャレが使用されているようで可笑しかった。
学名に姓と名がある形式はリンネの考案に寄るらしく、この方法によって系統的な分類が楽になった。そのとき、リンネが世界中の生物をくまなく拾い上げ、名前を付けようとした根性に感銘を受けた。
分類の初めは「門」で、次が「綱」だったかな?最後は「種」「品種」で終わる。ペットショップや苗屋で売っているのは「品種」なのだと分かった。
動物を分けるのに、一番最初は「脊椎動物門」と「無脊椎動物門」に分類する。このような分け方は、実は大いに恣意的なのであって、一番最初の分類を例えば「目がある動物」と「目がない動物」としても、なんら問題なく別の分類が可能であると気付いたのは、私が社会人になってからであった。
私が中学生時代の生物の授業は大部分が分類学だった。細かい分類をこれでもかと覚えた。回虫が卵から成虫になるまでに5回変態する。その幼生の各々の名称を暗記した。ミラシジウム、スポロシスト、レジア・・・と今でも覚えている。
丸暗記は不思議にイヤではなかった。こんなものにさえ名称が付けられているという感動のほうが大きかった。
高校生になってから、新発見の生物をどのように登録するかを教わった。これまで誰も見つけたことがない生物に命名するなんて、ロマンがあるではないか。
新発見の生物はラテン語で記載し、外国にある「本部」に届けなければならなかった。(現在では他の言語も許されているらしい。)ラテン語というと権威主義のかたまりのように思えた。だが、宮川さんが発見した生物には「ナントカカントカ・ミヤガワイ」と命名されるので、権威主義的な割にダジャレが使用されているようで可笑しかった。
学名に姓と名がある形式はリンネの考案に寄るらしく、この方法によって系統的な分類が楽になった。そのとき、リンネが世界中の生物をくまなく拾い上げ、名前を付けようとした根性に感銘を受けた。
分類の初めは「門」で、次が「綱」だったかな?最後は「種」「品種」で終わる。ペットショップや苗屋で売っているのは「品種」なのだと分かった。
動物を分けるのに、一番最初は「脊椎動物門」と「無脊椎動物門」に分類する。このような分け方は、実は大いに恣意的なのであって、一番最初の分類を例えば「目がある動物」と「目がない動物」としても、なんら問題なく別の分類が可能であると気付いたのは、私が社会人になってからであった。