院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

イカの刺身

2013-02-13 02:44:07 | 食べ物
 昔は寿司屋でイカの握りを頼むと、すべて煮たイカ(煮イカ)だった。当時はいろんな寿司ネタに火が通されていた。冷凍技術が発達していなかったからだと思われる。煮イカには甘いタレがかけられていることもあった。

 やがて握り寿司のイカに生の刺身が使われるようになった。家庭にも電気冷蔵庫が普及してきたころだ。煮イカよりも生のイカのほうが高級に見えた。寿司屋がみな右へ倣えをしたから、昭和40年ころに煮イカの握りは絶滅してしまった。それは高度経済成長と軌を一にしていた。

 寿司はすでに高級品だった。志賀直哉の「小僧の神様」の時代から、寿司はある程度高級品だったが、まだ屋台で売っていた。屋台が店にまで高級化したのは、いつごろのことか私は知らない。

 少なくとも私が子供のころは屋台の寿司屋というのはもうなかった。銀座の九兵衛という寿司屋が考案したと言われる軍艦巻きはすでに存在していた。軍艦巻きは寿司の革命で、これまで握れなかったウニやイクラを寿司ネタにすることが可能になった。

 イカの握りは当初、スルメイカを使用することが多かった。スルメイカは元来煮たり干したりするもので、生で食べるときわめて硬いものだった。それを、刺身で食べられるようにとイカソーメンなどが工夫されたが、それでも硬かった。

 そのためかどうか知らないけれども、ヤリイカやモンゴウイカが寿司に使用されるようになった。

 私が自腹で寿司を食べられるようになってから、ヤリイカよりモンゴウイカのほうが、肉厚で噛みやすいと寿司屋に言ったら、「モンゴウイカは学校給食でフライにするイカだよ」と馬鹿にされた。なにをきどっているのだ、つい先だってまで、イカは硬いから煮て食うものであって、わざわざ刺身にして硬いのを我慢して食うような食材ではないと言いたかったが止めた。

 ついでケンサキイカやアカイカが刺身にされるようになった。アカイカはほんのり甘くて柔らかく実にうまかった。現在、私はイカの刺身はアカイカしか食べない。それ以外のイカは刺身には向かず、煮たり焼いたりフライにして食べたほうがおいしいからだ。

 寿司屋が談合したわけではないのに、握り寿司のイカが生のイカで統一されてしまったのは、なぜだろうか?こんなところに群衆心理の愚かさを感じてしまい、腹を立てるのは私が異常なのだろうか?

フィギュアスケートの技の名称

2013-02-12 03:27:35 | マスコミ
 フィギュアスケートで浅田真央さんが一等賞を獲った。それがめでたいことなのかどうか、私はさしたる感想をもたないが、真央ちゃんがもう22歳だということに感興を覚えた。

 真央ちゃんは16歳の高校生だとばかり思っていた。今、22歳と聞いて、月日は残酷なものだと改めて思う。卓球の愛ちゃんも22歳である。天才卓球少女として、幼稚園児の愛ちゃんがテレビで紹介されていたのは、つい先だってのことだ。彼女らを通じて自らの年齢を思い知らされる。

 年齢や歳月の話が今日の本題ではない。本題はフィギュアスケートの技の名称についてである。

 日本国民で、トリプル・アクセルとトリプル・トウループとトリプル・ルッツの区別がつく人がどれだけいるのだろうか?テレビではそれらの技の名称を、あたかも国民全員が知っているかのように、アナウンサーも解説者も振る舞う。あまりに不親切ではないか?

 せめて体操競技の「伸身の宙返り2回ひねり」のように日本語で言えないのか?昔、医者同士は術語で話していたから、医者の会話は分からないものの典型とされていた。今ではそんなことはない。

 フィギュアスケートは大衆芸能である。大衆に分からないような横文字をきどって使わないでほしい。いや、英語を母国語とする人にさえ分からないだろう。大衆芸能を大衆に見せて、意味不明の解説をするというバカバカしさに、テレビ局は気が付かないのだろうか?

ただの報告か?客観写生か?

2013-02-11 02:31:49 | 俳句
 ある結社のA主宰は、以下の素人の俳句を「ただの報告である」と退ける。

    コンビニにおでん売りをり買ひにけり

    歳月を経て咲き初めし寒桜

    被災地で汗水流すボランティア

 確かにさほど面白くない俳句だが、虚子のいう「客観写生」とどのように違うのだろうか?以下に虚子の句を挙げてみる。

    岩の上に傾け置きぬ海苔の桶

    潮の中若布(わかめ)を刈る鎌の行くが見ゆ

    もたれ合ひて倒れずにある雛かな

 上の3句も、報告と言えば報告である。でも、素人の俳句よりも虚子の俳句のほうがはるかに佳い。どこが違うかというと、虚子の句には「発見」あるのだ。

 桶が傾き置かれているという発見。若布の鎌が行くという発見。倒れずにあるという発見である。

 この発見が、素人の「見たまま」と決定的に違うところである。だから、罪は「客観写生」という命名にある。「発見写生」とでもすれば、まだ意味が分かる。客観写生、客観写生と言い募るから、私たち素人は勘違いしてしまうのだ。

読書家という病

2013-02-10 03:20:44 | 読書
 虚弱な子どもは読書好きになる。体力的に同年代の子どもと対等に遊べないから、本という空想の世界で遊ぶようになる。空想の世界では、どんな子どもも万能感にひたることができる。

 私は虚弱な子どもだった。幼稚園は半分くらいしか通っていない。あとはすぐに熱を出したり、お腹が痛くなったりして、自宅で寝ていた。だから、絵本を読むくらいしか楽しみがなかった。結果、私は読書好きの少年になった。

 「読書好きな子どもになるように読み聞かせをやりましょう」と奨励されている。どうも読書好きは社会的に高く評価されているようだが、それはおそらく誤解である。読み聞かせをやっても、子どもは読書好きにはならない。読書好きになる子どもは何もしなくても読書好きになる。

 読書が難行苦行であるという子どもは、実は健康的である。子どもたちの遊びに「いろいろ」(地方によって呼び名が違うだろう)というのがあった。「馬跳び」とか「初めの一歩」とか「Sけん」とか「ポコペン」などのレパートリーを総称してそう呼んだ。そのような子どもたちの遊びに普通に参加できない子どもが読書好きになるのだ。

 読書好きの子どもは長じて読書家になる。私がそうだ。運動神経が鈍いから、読書よりほかに楽しみがなくなる。小学校中学高校大学の同級生を見ると、みな老いたがゴルフ、野球見物、ドライブなどを楽しんでいる。それらの楽しみをいっさい知らないで読書や書き物に耽るのはきわめて少数派である。読書家は、「映画好き」、「美少女フィギュア好き」と同じくオタクなのだ。

 故司馬遼太郎さんの莫大が蔵書が残されて公開されているけれども、司馬さんはさぞかし変人だっただろうと思う。あれだけの本を読むことそのものがすでに変人である。根っから健康な人は、文章なぞ書かない。先輩にも大変な読書家がいるが、みな変人である。(中には天才と呼べるような人もいるが。)

 私はこのブログを書いていて、つくづく不健康だなと自分で思うことがある。昔の同級生はみな、もっと明るい趣味をもっている。ただ、グーグルの有料の解析で調べると、このブログの愛読者が1000名以上いることが分かる。それなら、そんなに卑下することもないかと開き直っている。

つまらなくなった東京国立科学博物館

2013-02-09 03:28:46 | 科学
 50年以上前、少年だった私は、ねだって上野の東京国立科学博物館によく連れて行ってもらった。子どもの入場料は5円だった。

 何か特定のものが面白かったわけではない。何というか謎めいた古色蒼然さに少年の私は惹かれたのだ。

 ミイラが置いてあった。どこかの未開民族の風習だった小さな「干し首」が展示されていた。これらが、かつては生きている人だったと思うと、恐怖感を感じた。それとともに、このようなものを堂々と展示している博物館という存在に畏怖の念を覚えた。

 科学博物館の外に、本物のクジラの骨格標本が置いてあった。クジラの肋骨の中に入ることができたから、クジラの大きさを肌で感じることができた。

 ホルマリン漬けの深海魚の標本があった。一部が解剖されていて、内臓まで見ることができた。地下室には未整理の動物の剥製が雑然と置かれていた。未整理だから照明もなく、薄暗がりの中にそれらの動物たちはいた。動物園でも見たことがない動物たちが身じろぎもせずに立ちつくしていた。

 吹き抜けには巨大な振り子がゆっくりと揺れていた。振り子は地球の動きから自由で、地球が自転しても振り子は一定の場所にあるので、少しづつ移動していくことが振り子の下に置かれた大きな時計版から分かった。

 水銀整流器という機械があって、交流を直流に変換する装置らしいが、それがタコ入道のような大きな真空管で、その中で水銀が沸騰してぴちぴとち音を立てて光っている。

 東京国立科学博物館は、ひとことで言うとおどろおどろしい場所だった。それゆえにこそ、少年の私は強烈に惹かれたのだった。

 30年ほど前、私の子どもたちが少年少女になったころ、科学博物館に連れて行った。外にあったクジラの骨格標本は撤去されていて、代わりにクジラの実物大の模型が置かれていた。何故ニセモノに換えたのよ!と私は思った。本物の骨格標本であればこその魅力だったのだ。

 水銀整流器の代わりに電卓が展示してあった。電卓なんてすでに家にありますよ。水銀が煮え立っていてこそ面白い展示だったのだ。

 未整理の動物の剥製は展示されていなかった。その地下室は封鎖されていた。その代わりに小ぎれいなショウウインドウの中が森にのようなセットになっていて、その中で生きているかのように動物の剥製が置かれていた。見たかったのは小ぎれいな展示ではなかったのよ。いかにも見てくださいという展示は面白くなかった。

 巨大振り子はまだ存在した。ミイラも展示してあった。それがせめてもの救いだった。「干し首」はもう展示されていなかったような気がする。

 あれから30年、今度は私の子どもたちが孫を連れて科学博物館に行く番になった。私は最近行っていない。ミイラはまだあるか?剥製の展示はさらに「洗練」されてしまったのではないか?昔ほど面白くないのではないか?そのうち子どもたち東京から来ることがあったら、訊いてみようと思っているところだ。

パティシエとは何者か?

2013-02-08 05:42:51 | 文化
 人間はパンのみにて生くるにあらず、とはよく言われる。パン以外にも探究心を満たすものや娯楽などが必要である。

 だからナチスの収容所のような極限状態でも、収容されている音楽家たちがオーケストラを結成したのだろう。

 亡父はシベリヤ抑留を経験しているが、いつ取るに足りない理由で銃殺されるかも分からない状況で、器用な男が何かの材料で美しい麻雀パイを造り、麻雀を楽しんだという。食べ物に困窮し、ネズミを獲って食べるような環境でも、人間は娯楽を求めた。

 戦時中の芸能人によるの慰問団も、同様の意図で結成されたのだろう。

 そこで現代である。誰でも一定の栄養が摂れる。だから、生存のためだけに食べるのでない別の食べ物、すなわちお菓子を作るパティシエが注目されるのは理解できる。

 でも、食材がない戦中のような時代にはパティシエはどのように処遇されるのだろうか?芋などを材料にしてけっこうお菓子的なものを作るようになるのだろうか?

 それともパティシエは平時にしか通用しない職人なのだろうか?そうだとすると、パティシエの技術は、人が一生をそれに捧げるほどの技術なのだろうか?

 もうひとつ、パティシエと同じような職人、すなわち和菓子職人がパティシエほどには注目されないのは何故だろうか?たんなる流行として片づけられるだろうか?

 いまパティシエを希望する若者が多いという。若者にとって、パティシエの技術のほうが例えば旋盤の技術よりカッコよく映るのだろうか?私には旋盤の技術のほうが実用的で素直なように思える。

 パティシエの技術はしょせん金持ち向けで(現代の日本人は発展途上国の人々より金持ちである)、なくてもよいような職種なのだろうか?

 ソムリエという職業にも同じような匂いがする。

 思えば料理、絵画、音楽などの文化的な産物は、宮廷なしには発展しなかった。現代の先進国の人々はみな宮廷人のようになったということだろうか?

 未開民族には何の役にも立たない技術をもつこと、それが「文化的」ということの定義なのだろうか?

私の哲学事始め

2013-02-07 05:28:19 | 読書
 高校時代、倫理社会の授業で哲学の片りんをかじってから、岩波文庫の「弁証法十講」を読んでみた。しかし、いくら読んでも意味が分からなかった。(量が大きくなると、質が変わるというような主張はなんとなく分かった。)

 私が名古屋で医者になったころ、名古屋には優れた精神病理学者が集まっており、名古屋学派と呼ばれていた。

 その前から、精神病理学に哲学的思考を導入することが流行っていて、ハイデッガーの哲学を基礎に置いたドイツ人精神病理学者の本がよく読まれていた。そして先輩たちはドイツ語に堪能で、原書のままで読む人もいた。翻訳が不可能だという人さえあった。

 確かにわが国の哲学者、市川浩の「<身>の構造」を読むと、「身」イコール「み」という単語を「音」として知っていないと理解できない著述で、外国語に翻訳不可能だと思われた。だから逆に外国語の哲学を日本語に翻訳することは不可能な場合もあるかもしれないと思った。(じっさい、Sain=英語のbe動詞を名詞化したものを「存在」と訳してあるから、そういったルールを知らなければ、理解できるはずもなかった。)

 当時、よく読まれていたドイツの精神科医ビンスワンガーの「スキツォフレニー」の翻訳を読んでみたが、まったく歯が立たなかった。訳者は名だたるドイツ語使いの精神科医たちで、この本の難解さを翻訳の悪さに帰することはできなかった。これではいけないと思い、哲学科のある近隣の大学に聴講生として授業を受けた。精神医学界では時まさにフーコー、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、ガタリ、レヴィナス、ロラン・バルトなどのフランスの哲学者の著作が読まれていた。サルトルなぞは一般の人々にさえ読まれていた。

 ところが大学の哲学科では、上記の新しい思想を講義する講座がひとつもなかった。名古屋大学の哲学科はすべて古代ギリシャ哲学の講座だった。南山大学の哲学科もほとんどが古代ギリシャ哲学の講座だったが、南山大学の講座の中にひとつだけヘーゲルの講座があったので、その講義を一年間聴いた。

 講義内容はヘーゲルのエンチクロペディーについて重箱の隅をつつくようなものであり、ヘーゲルの思想の全体像をつかむことはできなかった。

 それ以前からわが国ではサルトルの実存主義が大流行しており、サルトルがノーベル文学賞を拒否したことも手伝って、多くの学生がサルトルの著作を読んでいた。だが、私にはサルトルの哲学が理解できなかった。

 そのころ、ある識者がサルトルについて、「この私が理解できないのだから、10年もつはずがない」と言った。そして識者の言ったとおり、サルトルの哲学は10年後にはわが国では顧みられなくなった。

 相前後して、フランスのヴァンサン・デコンブという哲学者が、当時の存命の哲学者たちの解説本を出した。そのまえがきに「本書は新しい哲学を解説するものではない。流行している哲学を解説するのだ」とあった。私は「そうか!新しいかどうかではなく、流行していることが重要なのか」と憑き物が落ちたような気持になった。

 そして、ふたつのことが分かった。ひとつは大学の哲学科で新しい哲学を教えずに古代ギリシャの哲学ばかり教えるのは、それらが歴史の風雪に耐えたからだということ。最高学府では当世流行の海のものとも山のものとも分からない思想なぞ相手にしないのだ。もうひとつは、サルトルの哲学を理解している日本人はきわめて少ないかゼロであったことだ。もしかしたら、翻訳者さえきちんと理解していなかったから、それを読まされた者はさらに理解できなくなったのではないかということである。

 サルトルの術語を使って議論していた学生たちは、じつは何にも分かっていなかったのだ。学生たちの心性を「知的虚栄心」と呼ぶ。ただし、「知的虚栄心」は、実はとても大切なものだということも言い添えておかなくてはならないだろう。

市川團十郎さんの闘病生活

2013-02-06 05:49:47 | 芸能
 昔、総合病院に勤めていたころ、歌手の村田秀雄さんが糖尿病のため両足を切断した。それでも村田さんは椅子に座って舞台出演し、歌っていた。

 そのとき、同僚の糖尿病専門医が「村田秀雄は偉い。彼がこうして舞台に立つことによって、どれだけの糖尿病者に希望を与えるか分からない」と言っていた。

 村田さんの闘病生活は案外報道されなかった。

 このほど市川團十郎さんが白血病のために亡くなった。彼の闘病生活もあまり報道されなかったが、團十郎さんが舞台に立つたびに、日本の白血病患者は大いに励まされたことだろう。

 團十郎さんは、闘病生活をビデオに残していた。それが今、続々と放映されている。それは何か違うのではないか?生きている人の闘病生活は報道する意味がある。白血病患者が「あの人も頑張っているんだ」と励まされるだろう。

 だが、亡くなった人の闘病生活を報道して、誰の役に立つのだろうか?いささか頓珍漢なのではないか?白血病患者には行く末が分かっている映像である。そんなもの流して、意味があるのだろうか?

東京の行商人

2013-02-05 01:55:49 | 生活
 私は大学に入るまで東京に住んでいた。ほかの地方のことは知らないが、とにかく東京では行商人がよく来た。

 ものの本によると、江戸時代にはもっといろんな行商人がいたという。豆屋が「豆やー、煮豆」と売り声をかけていた。あさがおの苗売りもあったらしい。さすがにこれらを私は知らない。

 私が知っている行商人は、まず浅蜊屋。「あさりーしじみー」という売り声で、早朝に来た。豆腐屋も来た。これは今でも残っている。豆腐屋がラッパをいつから使うようになったか知らないが、ラッパの豆腐屋の前に実は、天秤棒で浅い桶を担いで売りに来るラッパを使わない豆腐屋があった。私はそのような豆腐屋を実際に見た。

 二八蕎麦はすでになかった。そのかわり、夜泣き蕎麦と当時言われていた移動するラーメン屋があった。チャルメラの音をご存知の方も多いだろう。名古屋では20年前まで見かけたが、豊橋では見た覚えがない。

 あんこが入った蒸しパンのようなものを売りに来ていて、けっこうおいしかった。玄米パンといい、売り声は「玄米パンのほやほやー」だった。妻の話では、ロバにリヤカーを引かせてくる「ロバのパン屋さん」というのが名古屋にあったそうだ。東京では見かけなかった。

 以前に流しの焼き芋屋がなくなったとこの欄に書いたら、東京にはまだあるとの情報をいただいた。焼き芋は冬のもので、焼き芋屋は夏になると、わらびもちを売っていた。「わらびーもち、冷たくておいしいよー、早く来ないと行っちゃうよー」が売り声だった。

 金魚売りも来た。「きんぎょーえー、きんぎょー」という売り声だった。リヤカーで来たが、それ以前は浅くて幅広の桶を二つ天秤棒で担いできた。土木工事などでも天秤棒がよく使われた時代だった。農家は肥えたご(肥料の人糞を入れるずん胴の桶)を天秤棒で担いでいた。23区内にもまだ農家があった。私は目黒区の上目黒で遊んだが、近くに養豚場ととうもろこし畑があった。今その辺の土地は1坪350万円である。

 風鈴屋もきた。夏の風物詩だった。掛け声はなく、沢山の風鈴をじゃらじゃらと鳴らしてくるので、それと分かった。若い人は知らないかもしれないが、風鈴は涼感を感じるための必須アイテムだった。クーラーがなかったから、夏は猛烈に暑く、みな食欲がなく痩せた。「夏痩せ」という俳句の季語が、私には実感として分かる。扇風機はすでにあった。

 竿竹屋も来た。昔はトラックではなく、肩に担いできた。トラックで来るようになってからも竿竹屋は残った。竿竹はどこかに売っていたとしても、トラックがないと運べないから残ったのだと思うが、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という経営学(?)の本がベストセラーになったから、生き残った理由が別にあるのかもしれない。私はこの本を読んでいない。

 富山の薬売りも来た。ケロリンという安直な名称の頭痛薬が入った丈夫な紙袋がわが家にあった。毎年、その袋を補充しに富山の行商人が来ていた。

 いかけ屋(鍋の穴を塞ぐ職人)や包丁の砥ぎ屋も来た。羅宇屋(らおや)は蒸気でピーという音をならしながら来た。羅宇とはキセルの木製の部分のことである。それがヤニで詰まるので、その部分の交換が必要になる。金属の部分と木製の部分を外すのに蒸気が必要だった。羅宇屋はキセルが使われなくなると同時に消滅した。

 千葉から農家のおばちゃんが野菜を背負子に山ほど積んで売りに来た。彼女らの野菜は安いうえに、その日の朝に採れた品物だから新鮮でうまかった。鉄道は「行商専用列車」という車両を設けていた。

 この時代、テレビがようやく普及し始めたころで、「パパはなんでも知っている」というアメリカのホームドラマが放映されていた。アメリカ人の中流家庭の話だが、その家の奥さんは車でスーパーに買い物にいき、大きな袋をたくさんもって戻った。家に帰ると、それらの品物を大きな冷蔵庫に入れるのである。家も立派できれいである。

 当時子どもだった私たちには信じられないような生活だった。私たち子どもはみなツギが当たったズボンをはいていた。冷蔵庫がなかったから、食品のまとめ買いはありえなかった。むろん、自家用車なんて持っている人はいなかった。私たちはこの時に、外人(米国人)コンプレックスを強烈に植えつけられた。

AKB48・峯岸みなみさんの謝罪映像

2013-02-04 03:56:47 | 芸能
 AKB48の峯岸みなみさんが、丸坊主になって泣きながら恋愛事件を謝罪した映像を Youtube に流した件について、ネット上で意見が乱れ飛んでいる。大部分が批判的な意見である。整理すると以下のようになる。

(1)丸坊主は見苦しい。映像自体が気持ちが悪い。

(2)AKB48の恋愛禁止の掟を侵したのなら、謝罪では通らない。退団すべし。

(3)いや、そもそも恋愛禁止というのが人権侵害ではないか?

(4)あの映像はヤラセであることがミエミエだ。ビデオを撮ったのは誰か?

(5)あの映像を仕掛けて、すぐに削除したのだから、また秋元一家は大儲けする。

(6)あの映像を Youtube に流したのはまずかった。世界中でニュースにされてしまった。日本の恥だ。

(7)AKBファンはカルト教団みたいで、気持ちが悪い。

(8)週刊誌で騒がれたら峯岸さんが謝罪してしまった。相手の男はどんな気持ちだろうか?(謝罪されるほど俺は悪いことをしたか?と思うだろう。)

(9)そもそもテレビが取り上げるような事件なのか?政治問題や、震災復興問題など他にもっと重要なことがあるだろう。

 私も峯岸みなみさんの謝罪映像をテレビで見た。そして私なりの感想をもったのだが、私と同じような意見は(私が見た限り)一件もなかった。

 私の意見は「芸能人は見られてナンボ、注目されてナンボの商売である。だからヤラセであろうとなかろうと、峯岸さんの今回の行動はこれだけ注目されたのだから、大成功である。芸能人は目立つためなら(犯罪にならなければ)何をやってもよいのだ」ということである。

 かつて沢尻エリカさんが「別に?」発言でマスコミからバッシングを受けたが、そのときに俳優の津川雅彦さんは「あれでいいのですよ。芸能人なんていう存在は元来、反道徳的なんで、騒がれるのはよいことであって、騒がれないとかえって困るのですよ」という意味のこと言っていたので、感心した覚えがある。

 劇作家の別役実さんの本「当世商売往来」(岩波新書)には、タレントという職業の定義は、「存在しているだけでお金を稼ぐ人で、ほかに能力がない人」とあって、笑ってしまった。

(以上は昨日までのネット上の話。今日は峯岸さんへの応援、同情コメントが普段の10倍来ているという。だから峯岸さんの行動は大成功だったわけだ。)

御用聞きと出前持ち

2013-02-03 05:06:21 | 経済
 「ちわー、三河屋です」といって、勝手口から注文を取りに来る酒屋の店員がいた。欲しい商品を告げると、後でそれを家まで運んでくれた。これを「御用聞き」といった。彼らはまだ自転車を使っていた。モータリゼーションが始まる前の時代である。

 店で待っているだけでは売り上げが伸びないので、酒屋は積極的にそのような商業形態をとった。当時はいろんな職業が出前をやっていた。蕎麦屋や中華屋はもちろん出前をした。そうしなければ他店に勝てなかったからだ。店々は出前を専門とする若者を雇った。これを「出前持ち」といった。

 それから数年たって、日本人がみな以前より裕福になったら、各店はいっせいに御用聞きや出前を辞めてしまった。あるいは出前料金を取るようになった。理由は、店が忙しくて猫の手も借りたいくらいなのに、出前持ちのような生産性の低い職種は置いておけない(他の用途に使いたい)とのことだった。

 現在でも出前をしてくれるのは、すし屋とうなぎ屋と宅配ピザくらいのものだ。いずれも金ガサが張る商品である。

 ところが最近になって、コンビニが御用聞きを復活させた。これは何故だろうか。コンビニはスーパーよりも値段が高いからできるのだろうか?それとも手数料を別に取るのだろうか。

 御用聞きがなくなったのは国民が豊かになったからだった。その時よりも、さらに豊かになったはずの日本で、御用聞きが復活したのはなぜだろうか?

 昔は世の中全体が貧乏だったが、金持ちもいたのであって、格差が大きかった。今は昔より豊かでも、また格差が広がったからだろうか?ワーキングプアなんていう概念は昔はなかった。

 御用聞き復活の本当の理由を、誰か知っていたら教えてほしい。

トラックは兵器か?

2013-02-02 03:15:23 | 日本語
 だいぶ昔のことだが、「トラックは兵器か?」という問いがなされたことがあった。

 答えの中に「トラックが兵士を運んだり、機関銃を据えつければ兵器だが、穀物などの食料を運ぶのなら兵器ではない」というものがあった。その答えで納得してしまった人が結構いた。しかし、私はおかしいと思った。

 運ばれる穀物などの食料が、兵士の戦闘力を維持させるものだとしたら、トラックはまたもや兵器だということになってしまうではないか?

 つまり「トラックは兵器か?」という問いそのものが無意味なのだ。

 「花瓶は武器か?」という問いも同じである。ドラマなどで花瓶はよく凶器に使用される。だからといって、「花瓶は武器か?」と問うことはナンセンスである。花瓶は花を活けるものである。それなのに、「花瓶は武器か?」と問うのは言葉のトリックである。

 こうした怪しい問いは相手にせぬほうがよい。答えたら答えたで、屁理屈になってしまう。

 しかしながら、類似のトリッキーな問いは、気付かれないように繰り返し発せられている。曰く「ペンは剣か?」。曰く「テロは悪か?」。これらの問いはまっとうな問いではないから、無視するのが一番である。