Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

吾妻橋から見えるもの

2009年11月29日 | 
 隅田川にかかる吾妻橋の上で足を止めた。遠くに見える橋のあかりが、水面に虚像を描き出し、みなもを渡るゆるやかな風が、そんな光の妖艶さをより強調しているようだ。
 東京に住んでいれば、決して目を止めない風景だろう。私もかつてはそうだったに違いない。しかし今、私の目にはどれもこれもが目に焼き付けておかなくてはならないような景色に思えてはならないのだ。
 林は切り倒され、空き地になり、そしてそこが住宅街に変わっていった。私は子どもの頃から、自分の家のまわりの環境がそうして変わっていく風景を見続けてきた。別にそれ自体に悲哀を感じているわけはない。しかし、私はそこで何かが止まると思っていた。しかしそれは間違いだ。都会も変わる。都会の風景もまた消えては、新しく「何か」が誕生していく浮世のようだ。だから、いつ見れるかわからない、そしていつ消えてしまうかわからない都会の風景をぼくは見つめる。だからそんな街を歩く。

仲見世通り

2009年11月29日 | 
 雷門をくぐって仲見世を歩く。そろそろ閉まりはじめた店を横目に、わたしはまっすぐ人形焼を焼く光景を見ることのできる一軒の店を目指した。なぜだか子どもの頃からわたしはその店を愛した。金型に流し込まれるトロリとした白い液と、手際よくいれる餡、くるりと金型を返す職人の手際良さ、見るものを感嘆させた。はじめて息子と二人で、ガラス越しにこの光景を見つめたとき、息子もまた、厚いガラスに吸い付いてしまったかのようにその光景からじっと目を離さなかった。
 わたしはそんな光景を期待したのだが、残念ながらすでに作業は終わって、ガラスの向こうにはすっかり片付けられて、火を落とした機械がぐっすり眠りについていた。まだ開いている店先で、きっと甘い香りの漂う白い作業衣をまとった職人たちが雑談をしながら、たぶんその日に焼いた人形焼を売っている。買おうか、と思ったが足を止めた。やはり、ガラスの向こうに職人がいなくてはだめだ。職人がカタカタと金の音をさせているそんな音や焼ける香り、それを見つめる観光客の喧騒、そんなものが一体となってわたしの人形焼きは存在する。今日の人形焼は、あまりにも悲し過ぎる……。

雷門の前で

2009年11月29日 | 
 観光用の人力車もほとんど帰路につき、すっかり静かになった夕刻、雷門の前に立った。昼間は賑わいを見せるこのあたりも、暗くなると門の脇の交番の明かりがぽっかりと姿を現して、ライトアップした門と不思議な調和を見せている。まだ6時過ぎなのに、交番の中で酔っ払いがうら若い警官とやりとりをしている。何を言っているのかわからない。ただ酔っ払いの大声の中の母音だけが、呪文のように耳に届く。
 突然、ブランデンブルグ門を思い出した。私がベルリンのその場所に立ったのはドイツでワールドカップが行われる前年、やはり夕刻だった。ライトアップされた門、ひんやりとした9月の風、まばらな観光客、店じまいを始める土産物屋……。寂しい記憶だ。なぜだかベルリンにはそんな記憶しかない。緑色の毒々しいベルリンのビールの味の記憶もまた、せつないのだ。
 雷門にはさして記憶に残るほどの思い出もない。それにしても、ぼくはどれだけ多くの人々とともにこの門をくぐったことだろう?あえて思い出そうとするならば、その門をともにくぐった人々の残像くらいだろうか。門は入り口でもあり、出口でもある。私のこの記憶は、将来への展望なのか、それとも過去への決別なのか?