Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

阿部櫻子『インド櫻子ひとり旅ーー芸術の大地』

2009年08月10日 | 
 7月末に出版された安部櫻子『インド櫻子ひとり旅――芸術の大地』(木犀社)を読む。この本は著者が1990年前半から3年間にわたってヒンディー語を学ぶために留学した間に、絵画や入れ墨に興味をもって、少数民族の村を旅した紀行である。
 私は、著者が最初に興味をもったミティラー画についても、インド北部の少数民族の生活やその生活と切り離すことのできない入れ墨のこともまったく知らずにこの本を読み始めたのだが、正直なところ、そうした民族誌的な記述よりも、女性が一人でインドの少数民族の文化を学ぶことの困難さと、そんな状況においても好奇心を失わずに出会いを求め続ける姿にある種の感動を覚えた。そして少数民族である「かれら」の語りを著者が解釈して表現する手法ではなく、彼らの語りを直接話法で記していく「語り口」に惹き込まれた。
 外国人が現地であたたかく迎えられるわけではないということも「かれら」の台詞の中から生々しく伝わってくる。たとえば著者に対して、入れ墨を入れられながら涙を流す少女が「写真を撮っているあんた、そんなに知りたいなら、あんたも入れ墨彫ればいい。(後略)」というくだりは、文化人類学者が読むと、自分にも心当たりがあるようなできごとではなかろうか。
 著者の体験は、バリ島を調査する私にとって考えも及ばないほどハードなものである。この本にはさほど触れられてはいないのだが、私はこの旅、あるいはインドの生活の中で、著者が日本にいたときとは比べものにならないほどの凝縮した「喜怒哀楽」を経験してきたのだと想像する。これだけの生活や旅をすれば当然のことだろう。著者は旅の後半、カルカッタへ向かう車窓で「心に残された旅の破片をいつまでも反芻する」という表現を用いている。この文章は、旅人の心模様について、的を得た表現だと感心してしまうのだが、旅人である私もまた常に経験していることなのだ。しかし旅人が反芻するのは、旅をした長い時間に経験してきたさまざまな感情、たとえば嬉しかったことや悲しかったことなどであり、風景や情景はそうした感情が呼び覚ますものなのではないかと、私はいつも考えるのである。この本に著者の体験した風景や状況が鮮やかに描き出されているのは、それだけこの旅の中で旅人が言葉では言い尽くしがたい喜怒哀楽を経験しているからこそだと思うのだ。帰国しても常に反芻し続けている著者のさまざまなフィールドでの感情の記憶が、それに連動して鮮明な光景としてよみがえってきているような気がしてならないのである。


オランダせいべい

2009年08月09日 | 家・わたくしごと
 私のオランダ好きを知ってか、ガムラン関係者から「オランダせんべい」なるお菓子をいただいた。このお菓子、東北限定でしかも山形県の酒田市で製造されている。さて、なぜオランダなのだろうか。まず外袋の特徴からオランダを見出してみよう。
 ①外袋の色がオランダ・カラーのオレンジである。
 ②風車の絵が描かれている。
 ③オランダの伝統衣装を着た女性の絵が描かれている。ちなみに女性の服もオレンジ色である。
 しかし包装がオランダを表象していても、なぜ東北限定のせんべいがオランダと関係があるのかという核心にはふれていない。友人達の話によれば、山形(あるいは東北)弁で、「自分のもの」を意味する表現を「おらんだ」というそうである。言われてみると、おらのものだ=おらのもんだ=おらんだ、となる。つまり「オランダせんべい」は「おれのせんべい」という意味なのだ。ということで、どうということもない駄洒落、オヤジギャグのレベルなのだが、やっぱりこの外袋が気に入ったので合格としよう。ちなみに「ドイツんだ?」「オランダ!」というギャグをかつて一度だけワヤンで使ったことがあるが、まったく観客にうけなかったことを追記しておく。

お腹減ったよ

2009年08月08日 | 東京
 音工場Omoriスタジオの楽器が置かれた棚。亀たちが首を伸ばして口々に「お腹が減ったよ」と声をあげている。
 「君たち、いったい何を食べるんだい?」
 「ぼくらはガムランの音を食べるんだよ」
 「どんな音を食べるんだい。ゴングかい?ガンサかい?それともスリンかい?」
 「全部だよ。全部食べちまうんだ。たくさん音が鳴れば鳴るほどいいのさ。」
 「今までマルガパティ演奏してただろう?その音を食べなかったのかい?」
 「あれは亀一匹分だよ。こんなにたくさんいるんだぜ。あれじゃ足りないよ」
 「わがまま言うなよ。音工場は演奏できる時間が決まっているんだよ。一人で食べないでみんなでわけなきゃだめさ。」
 「じゃあ、ぼくら全部を使ってくれよ」
 「言われてみれば、確かに一回の講座では君たちのうちの一つ(一匹)だけが使われるんだよね。わかったよ。今度から、毎回、違う君たちを使うように伝えておくよ。ぼくのブログでね」
 約束は果たしたよ。亀さんたち・・・。

これで完璧だ

2009年08月07日 | 家・わたくしごと
 もう二十年近く前のことであるが、ガムラン演奏のため福島に行き、公演が終わった後は、コーディネートをしてくれた方の家の広間で雑魚寝をしたことがあった。私は寝言が多くはっきり言う方なので、今なお集団で寝るのは少々気が重い。この福島公演のとき、疲れた私はメンバーよりも先に眠ってしまったのだが、この夜、私はとんでもない「寝言伝説」を作ってしまったのだった。なんと夜中に飛び起きて布団の上に座ったままで、クンダンの口唱歌を「カパカパ、デトゥデドゥ・・・」と一通り言い終わると最後に、「これで完璧だ」とつぶやき、再びバタンと布団に横になって眠ったというのである。もちろん私はこの一連の行動が事実なのかどうかを知る由もないのだが、大勢がそう言うのだから本当にやらかしてしまったに違いない。それからしばらくの間、毎回の練習後、メンバー達に「これで完璧?」と質問され、よく冷やかされたのだった。
 さんざん寝言について書いてきたが、実は今日のブログは、ガムランがらみの寝言の話はあくまでも「まくら」なのである。火曜日に東京に出かけ、夜、知人のご夫婦と「やきとり」を食べながら楽しく飲む機会をもった。夜10時半ごろに「お開き」となって実家に向かったのであるが、この日、私は何かが足りない気がして落ち着かないのである。このまま家に帰ると中途半端のまま眠ることになり、翌日にはストレスという魔物に支配され苦しむのは目に見えているのだ。
 そうだ!「やきとり」を食べたら、ラストにラーメンを食べなくてはならない。日本料亭でいえば、最後に出てくるご飯、味噌汁、お新香みたいなものである。最後にさらっと食べることでコース料理は完結するのである。それに気がついて国分寺駅で、もっとも安く、あっさりしていそうなラーメン屋に入ると躊躇なく「醤油ラーメンください」と店員に注文したのだった。こんな行為が体重を増やし、血圧を押し上げることは十二分に理解しているのだが、「食欲」という煩悩がさらけ出し、しかも理屈をつけて自らの行為を正当化させてしまった瞬間である。私は煩悩に負けた。しかしヤキトリを楽しむ一連のコースをこれで完璧に終えることができなのである。とはいえ、ラーメンをすすりながら「これで完璧だ!」とアントニオ猪木のように、片手をおもいきりあげて奇声を発したい気分だったことはいうまでもない。

台風の日のフライト

2009年08月06日 | 家・わたくしごと
 台風8号が沖縄に接近。私は所用があり東京滞在中で戻るのは夜の便なのだが、やはり帰りのフライトが飛ぶのか、飛ばないかによって明日のスケジュールの調整を急がなくてはならない。頻繁に携帯から航空会社のサイトを覗くのだが、搭乗する最終便の一つ前の便まではすべてフライトキャンセル。うーん・・・どっちでもいいから早く白黒つけて欲しいよ。
 「飛ばない」といっていない限りは、やはり空港に行かなくてはならない。長い時間、空港で待つのを覚悟で読みかけの単行本と文庫本をかかえて出発。これまでもこの種の状況は複数回経験済みで、ひどい時は那覇空港の滑走路に幾度も着陸を試みるものの、結局、強風で降りることができずに羽田に帰った経験もある。このときは5時間以上のフライトだったわけで、台湾からバリにいける位の時間を国内で飛行機に乗ったことになる。
 今回のフライトも条件付運行で「羽田に戻るか、関西空港に着陸」となっている。もちろん降りた空港から翌日に那覇に行くことは保障されるが、この場合はホテル代は自腹となるわけで「賭け」となる。悪天候の場合、ここでキャンセルして翌日のフライトに移すことも可能なのだ。しかし、やっぱり人生、「賭け」だって必要である。「ハンかチョウか」いやいや「那覇か羽田か、あるいは関空か」という賭けに「那覇!」と心で叫び、航空券を握り締めて搭乗口に向かったのであった。
 そしてその結果はもちろん、大当たり!もう那覇の家でこうしてブログを書き込んでいるのだし。でも降下するときは、映画「史上最大の作戦」の中でアメリカ軍の空挺部隊の輸送機がノルマンディに降下を開始して、暗闇の中で飛行機がガタガタ揺れているシーンを思い浮かべてしまったほど緊張したのだった。そういうぼくって弱虫?

朝食

2009年08月04日 | 大学
 少年自然の家の朝食メニュー。ものすごく懐かしい雰囲気の品々が並んでいる。味噌汁とご飯、おかずのメインは子持ちシシャモのてんぷら(一匹)と目玉焼き、そしてマカロニサラダ。そして極めつけの一品はシャケ風のふりかけ。まさに合宿所の定番メニューといったところか。そうそう、こういう場所ではなぜか目玉焼きに醤油かソースをかけるのである。家では決して使わないのにどうしてだろう?
 ぼくはこんな朝食が嫌いなわけではない。普段の生活では絶対にありえないこの朝食メニューも、合宿という特別の空間と時間の中ではまったく違和感を感じないし、それどころが「美味しく」食べることができるのだ。
 年に一度、この朝食を食べることが、漠然とではあるが「初心に戻る」気持ちを思い出させてくれるのである。そのせいか、私の何かがちょっとだけ変わった気がする。

すばらしい眺望

2009年08月03日 | 大学
 8月2日から1泊2日で恒例の民族音楽学合同ゼミの合宿が行われた。今年は個人研究発表だけでなく、博士課程の学生の仕切りでディスカッションが長時間行われたせいか、普段以上に活気のあるゼミ合宿になった。
 ところで今回の合宿場所だが、初めて玉城にある県立少年自然の家で行われた。到着して驚いたのが、その眺望の美しさである。遠くに見える久高島とマリンブルーの海とサンゴ礁のリーフ。その光景はリゾートホテルが造成したような人工的な光景とは比較の対象にならないようなもので、まさに「自然」そのものを満喫することのできるものだ。なんだかここが沖縄ではなくて、遠い南の島に連れてこられたような錯覚に陥ってしまうほどの光景である。
 この合宿所から小高い丘を5分も登ると御願所「玉城」がある。かつて琉球王朝の人々が久高島に御願に行くときには、その前後に必ず拝礼した場所だという。この「城」からの眺めはもう筆舌につくしがたいような光景で、沖縄観光名所になっても全く不思議はない。今回の合宿では、この場所へのミニ・エクスカーションもK先生の解説付きで行われたのであった。ちなみに写真の風景は、この丘の中腹から撮影したもの。建物が今回宿泊した少年自然の家である。

ホットなプールサイド

2009年08月02日 | 那覇、沖縄
 沖縄の西海岸には恩納村から名護市を中心にたくさんの大型リゾートホテルが並ぶ。そして輝く太陽、白い砂浜、青い空という真夏の海浜リゾート真っ盛りの今、どこのホテルも家族連れの観光客で賑わいをみせている。そんなリゾートホテルの一つで、この夏、何度かガムラン演奏の依頼を受けている。
 バリのこの手のホテルでガムランが演奏されるのは常道であるのだが、沖縄のホテルでガムランは珍しい。沖縄には「沖縄芸能」がある。しかし、ホテルごとに音楽に対するコンセプトは異なるし、当然、観客の嗜好もそれぞれなのだから、沖縄だから沖縄の音楽と決め付けるのも一方的な見方であると思うのだ。沖縄でガムランという「夏限定メニュー」もそこそこいいのではなかろうか。
 演奏するのは夜であるが、当然、セッティングはまだ太陽が高いうちに行わなければならない一方、プールサイドであるために多くの観光客は、私達の準備を横目に楽しそうに水しぶきをあげながらプールで戯れている。私達はとにかく日焼けしないように「重装備」でプールサイドに臨む一方、プールで泳ぐ人々は当然「軽装備」。「私達」と「彼ら」はきわめて対照的な様相を呈しているのであるが、プールで泳ぐ人々を羨ましいと思った瞬間は一度もなく、とにかく早くセッティングを終えてこの太陽の下から逃れたいとグループ一丸となった一途な気持ちで、実に手際がいい舞台準備が行われたのであった。常にこうありたいものである。
 

暑い時には山下達郎で

2009年08月01日 | CD・DVD・カセット・レコード
 朝起きるとすでに暑い沖縄。夜寝るとき以外は絶対にクーラーを使わないわが家では、まず部屋の窓を全開し、あまり期待できないながらも「風」をウェルカム。風鈴を吊るすという私のゼミ学生が実践する方法も悪くはないが、戸を開けると100匹以上のクマゼミが狂ったように絶叫しているため、この泣き(鳴き)声と風鈴の響きはもう想像を超えたハイブリッド・サウンドを出す可能性があるために、怖さのあまり風鈴は部屋の中で身動きができぬように繋がれている。
 しかし暑いのだ。体感的な暑さをしのげぬならば、「精神的なる涼」を風鈴以外で求めなくてはならない。そうだ。音楽である。CDケースの引き出しを一つ一つひっぱり出しては中身を眺めているうちに、目に入ったCDが山下達郎のFor Youである。これはいい。なんといっても鈴木英人のジャケットデザインが「いい感じ」でアメリカの西海岸あたりを彷彿させる夏が表現され(行ったことないんだけど)、なんだかバイクやオープンカーで先が見えないくらい長く続く舗装道路をぶっとばしているあの空気を感じるぞ。
 私はこのレコードが発売された1982年、つまり大学に入学した年にFor Youを購入し、それが縁というわけではないが、翌年には250ccのオフロード・バイクを乗りまわすようになり、当時はカセットウォークマンで山下達郎を聞きながら、都内をぶっとばしていたのだった。オフロード用のヘルメットをかぶると、小型のイヤフォーンがヘルメットで圧迫されて相当に耳が痛いのであるが、そんなことにはめげなかった「ちょい悪な少年」だったのである。やっぱり山下達郎のFor Youは夏の暑さをぶっとばしてくれるんや!
 このCD、実は沖縄に赴任して最初に那覇で購入したCDで、なぜか引っ越したばかりのまだモノがほとんど置かれていない部屋で一日中よくかけていた。やっぱり沖縄の4月がもうまぶしくて山下達郎が突然聞きたくなったのか、それともあの大きなお気に入りのバイクを東京で廃車にしてきてしまった悲しさだったのか。そんなことを思って久しぶりにCDを聞いてみると、やっぱり暑さなんかすっかり忘れてしまっている自分がいる。