Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

音の森ガムランコンサート

2013年05月16日 | 家・わたくしごと

 今年もまた音の森ガムランコンサートが羽根木公園の中の「はねぎプレーパーク」で開催されます。このコンサートの詳細はもう関係者のフェイスブックやらブログ、ホームページなど、あちこちで見かけるので、詳細な告知を私のブログでしなくても、もう十分周知されているようですね。
 私にとって今年の羽根木でのガムランコンサートはいつもと違って特別です。なぜなら、浜松に異動が決まってから月1度(ふた月に一回なんてこともあったかもしれませんが)、バリ北部のムンドゥック村で勉強した《ルロンゴラン》という器楽曲を講座で教えているメンバーとともに演奏できるからです。
 1999年に沖縄に移ってから、もう東京でこうした講座でコンスタントに教えることはなくなりました。それでもほぼ毎年、このコンサートにはでかけて講座のメンバーで足りない楽器などをたたかせてもらいながら、細々とかかわり続けてきました。久しぶりに、本当に、本当に久しぶりに、また講座の講師に呼んでもらって、みんなとガムランができるなんて、なんて幸せなんでしょうね。本当に講座のみんなのおかげです。
 《ルロンゴラン》の一部は、すでに沖縄のガムラングループのレパートリーになっているはずですが、完全バージョンで演奏するのは今回が初めてです。短い旋律の繰り返しでそれほど複雑な曲ではないのですが、そのグルーヴ感がたまらなく好きで教え始めた曲。お時間のある方は、ぜひ18日の土曜日、羽根木公園の中の「はねぎプレーパーク」にいらしてください。森の中でガムランを楽しむのは本当に素敵なひと時です。無料でお楽しみいただけます。

 


実家の庭

2013年05月14日 | 東京

 私の実家は東京西部の国分寺市にあり、庭は父により手入れが行き届いています。季節ごとにいろいろな花や、時には野菜が楽しめるのですが、4月末は昔からある藤と、その前にある西洋シャクナゲが満開になる季節でした。本来ならば、もう少し前にアップする写真んだったのですが、デジカメを東京のガムラン・スダジオに置いてきてしまったので、ちょっとアップが遅れてしまったもの。
 この季節は私がとても好きな季節なのです。藤が薄紫の花をたくさん咲かせてくれる季節だからです。祖父が大事にしていた木で、私が子どもの頃からあった藤棚ですが、ずっとこの花に魅了されていました。「これは鑑賞用の藤ではなく、もっと野生種に近い山藤だから」と母は繰り返し私に話してくれるのですが、それでも見事な花をつけ、朝にはミツバチやクマバチが花蜜をもとめてたくさんやってきます。小さな藤棚かもしれませんが、私の心の中では、どこの藤園にもまけないすばらしい花をつける木なのです。藤棚の下はブーンとうなる種類の異なるハチの羽音が、不思議な響きを醸し出します。
 月に二回くらいのペースで戻る実家ですが、次に行くときはアジサイの花のつぼみが膨らむ季節。そしてその次は、ブルーベリーの実の収穫の季節かな(もう少し先だったかな)。今年は何瓶ブルーベリージャムが作れるでしょう。そんな東京の実家に帰って庭を見るのは私の楽しみの一つなのです。


セラドン焼のプレート

2013年05月13日 | 東京

 昨日、代々木公園のタイ・フェスタ2013で買ったセラドン焼の直径25センチのプレートです。タイ北部、チェンマイ周辺で作られている陶器ですが、結構重いので、バンコクに行ってもなかなか荷物の重量のこともあって、知ってはいてもこれまで買ったことはありませんでした。ネット通販などでは売られていても、こうして店頭で見ることはあまりなく、しかもプレートを探していた私にとってもぴったりな大きさと柄でした。
 このお皿をみて、まず思い浮かんだのがバリで買ったバリ・モティーフの花柄テーブルクロス。こちらのお皿はタイ・モティーフの花柄のプレート。実はすごく似ているんだけれど、やっぱり民族性の違いなんでしょうね。細部は異なっています。今朝の朝食で使ってみましたが、テーブルクロスとの相性がとてもしっくりきます。
 また探すものが増えたかな。ポーランドの陶器に加えて、タイの陶器。やっぱり飾る楽しみより使う楽しみ。夕飯はこのお皿に何をのせようかしらと思案中。でもガムランの練習あるから、夜帰ってあまりたいそうなもの作れないかしらね?


ダンボールにつまった510本の「うまい棒」に思ったこと

2013年05月10日 | 家・わたくしごと

 夕方、510本の数十種類のうまい棒が野菜炒めの具材みたいにぐちゃぐちゃに混ぜ合わされたダンボール箱を前に、たぶん読者はこんなものを見るとちょっとは興奮するんだろうなんてひそかに細笑みながら撮影してFBにアップしたのだけれど、なんだか、さっきそんな自分が投稿した写真をみたらすっかり悲しくなってしまったんだよ。

 突然、自分の子どもが、母親からもらった、たった一本のコーンポタージュ味のうまい棒を食べていた風景を思い出したからなのさ。アニメに出てくる出っ歯のうさぎがいかにも硬そうな人参を、カリカリ食べるみたいに(本当にそうやって食べるかどうか確証はないんだけれど)、息子はうまい棒をまだ生え揃わない乳歯で器用に「削って」いてね。そりゃあ机の周りも床も粉だらけだよ。でも、とにかく一秒でも長くその存在を認めていたいんだな。そりゃ貧乏くさいっていうか…。そんな姿を思い出したらなんだか泣けてきたわけ。

 あの時、ダンボールにつまった510本のうまい棒が、突然、息子の前に届いたらどんなことになったろう?まず、子ども用の体がはめ込まれたような小ちゃな椅子のまま、興奮のあまり床に転倒しただろうな。こういう風景をみたら、自分が今どこにいるか、どうしていいか一瞬わかんなくなっちゃうのさ。大人も同じだよ。ほら、子どもにとってはうまい棒でも、そりゃうまい棒一本は、たとえが悪いけど、ボクにとってはアラビアやロイヤルコペンハーゲンのエッグスタンドみたいなものなんだよ。

 別にこのうまい棒を買った人を批判しているわけでもないし(それどころか、すごい勇気の持ち主だって尊敬さえしている)、うまい棒をウサギ食いしていた息子を情けないと思っているわけでもない。それどころか自慢さ。ぼくだって子供の頃は、屋台で買った焼き鳥のシロのひと切れを、15分は噛み続けていたからね。串にささったあと三、四切れは、もう冷たくなってタレがしみた紙みたいな味しかしないってわかっていても、そうしていたかったんだから。

  やっぱりこれが「大人買い」なんだな。これは大人の遊びだよ。たいてい大人なんて10本もうまい棒を一度に食べたって、財布は痛くも痒くもないんだろうけど(ぼくはそれだけで胃が焼けて死にそうになる気がする)、やっぱり子どもには見せたくない風景だね。これは駄菓子屋の売り物の風景か、スーパーのおねえさんが商品棚に並べる前の品物にしか子どもには見えないだろう。握り締めた1本、2本だから「うまい棒」なんだよ。握れなくって、抱えるような「棒」は、もう「うまい棒」じゃないんだ。


対になっている低い音と高い音の太鼓

2013年05月09日 | 浜松・静岡

 「対になっている低い音の太鼓、高い音の太鼓」と私が書くと、ブログの読者の何人かはすぐさま、バリの太鼓(クンダン)のワドンとラナンと考えるだろう。しかし、本日は浜松まつりの喇叭隊で用いられる太鼓のお話。浜松まつりの太鼓は、基本的に2拍ずつ低い太鼓、高い太鼓が交互にたたかれる。バリ風にいえば、DDTTDDTTDDTT…が繰り返されるのである。もちろんこのリズムは喇叭に影響するので、しっかりと叩けないと旋律がバタバタとずれてくる。
 これは私の大いなる誤解なのかもしれないのだが、基本、低い太鼓から始まる。つまり、低低高高が一かたまりになって、繰り返されるのである。ところがいろいろな喇叭隊を聞くと、これが逆になっているグループが散見されるのだ。これがもし間違ったままやっているとすれば、許しがたい間違いである。やはり低い音は強拍を感じるから、普通なら強拍・強拍・弱拍・弱拍を繰り返すのだが、これが逆になって聞こえてしまう。バリでは絶対に許されまい。、ワドンとラナンを逆に叩くなんて絶対にありえない。
 もしこれが間違いだとすれば、喇叭手にも、太鼓手にも両者に問題がある。まず、太鼓だけが繰り返されて演奏している間に、喇叭は旋律を吹き始める場合があるが、そのときに太鼓の低高を聞き間違えるか、あるいは意識していない場合、そして太鼓は、もし旋律である喇叭は低高を間違えて入ってしまった場合、それを修正しなくてはならないのだが、それができない場合が考えられる。あるいは、喇叭の音が大きすぎて、わけがわからなくなっているのか?
 正直なところ、バリの音楽を聞きなれている私にとっては、これが気になって仕方がないのである。「頼むから太鼓を修正してくれ」と、心の中で懇願しているわけだ。しかし、まあ、そうはいっても、それがこうした芸能の面白さでもある。もしかしたらこうした問題は、すでに「間違い」と認識されなくなっているのかもしれないし。それにしても、ちょっと音楽のことがわかり始めると、素直に聞けないところが、もはや「職業病」である。

 


懐かしい「演奏会の企画と運営」

2013年05月08日 | 大学

 「演奏会の企画と運営」と書くと、なんだか大学の授業みたいだ。最近、勤務している大学の室内楽演奏会という学生が企画・運営するイベントを監修していく立場になってしまった。まあ学生が企画なんだし、まかしておけばいいと当初は考えてはみたものの、それではあまりにも無責任なので、それなりに関わっていかなければいけないじゃないだろうか、と思うようになった。
 考えてみれば、沖縄の大学で教員として結構やってたなあ、と今さらのように懐かしく感じてしまう。大学の定期演奏会やOPIMなる組織のレクチャーコンサートなどの企画、ポスターデザイン、プログラム原稿の依頼と回収、編集、校正、広報、運営、などなど、あの頃はたいへんだったけれど、今思うと、器楽や声楽の先生たちにいろいろなことを教えてもらった気がする。運営するってのは裏方の仕事なのだけれど、それでも演奏者や舞台に立つ人々の意見は、「なるほど」と思わせるものがたくさんあった。ぼくはガムランとワヤンの舞台にしか立てないからね。西洋音楽や沖縄の音楽については全く素人同然だった。
 そんな経験もあるし、やっぱり「学生にまかしておけば」は、逃げだよね。ぼくがこれまでのガムランのイベントの企画や運営から学んだノウハウ、それに前任校で学んだノウハウは、やっぱり伝えていかなくちゃいけないし、私が学生たちがこれまで浜松で培ってきたさまざまな地域的特色をいかしたノウハウを学ばなくちゃいけない。
 今年度、第一回の室内楽演奏会2013は、6月1日に行われる。ちょっと昨晩、がんばってブログを作ってみた。弦楽四重奏のレクチャーコンサート。浜松在住の演奏者である椙山久美さんのレクチャーコンサートなのでまさに「アート・イン・レジデンス」。加えて、東京芸大生の皆さんも演奏者として参加してくださる。是非、いらしてくださいませ。楽しいコンサートになるはず! 
  室内楽演奏会の情報はこちらをご覧ください。  http://blog.goo.ne.jp/chambermusic 


初練りに思うこと~浜松でのゴールデンウィーク後半(6)

2013年05月07日 | バンバン!ケンバン♪はままつ

 初子が生まれた家には、喇叭隊を含む多くの法被を着た自治会の人々がお祝いにやってきて、いわゆる「練り」を行う。これを浜松では「初練り」という。私は今回、二つの初練りに出会い、外部者としてそれを楽しんだのだった。
 「かつて」がどうだったのかはわからないが、この「練り」は私から見れば儀礼行為である。浜松の街で行われる合同練りは観光イベントである一方、この「初練り」は自治会の行事であり、子どもが生まれた家にとっては重要な儀礼の一貫である。今回、二つの自治体の初練りを見ることができたのだが、もちろん自治会ごとにその人数も違うので、派手さはそれぞれ異なるが、規模の大小はあれ「お祝いの行事」であることには変わりはない。
 私の住む自治会の初練りは大人数で、軽く100名は超える。この練りのメンバーに食べ物やお酒を振舞うのだからその経費はたいへんだろう。だからこそそれを行う人々もそれがわかった上で中途半端な気持ちではなく、「本気で」練っているんだと思う。こうした初練りをしきるリーダーの拡声器を通して語る言葉は実に感動的だ。
 「歩道に上がれ、今すぐ歩道に上がれ」
 「中央に注目」
 「盛り上げていくぞ」
 「いただいた酒は最後まで飲み干せ」
 「ゴミを分けろ」
 「ありがとうございます」
 そんな言葉の一言一言に、儀礼に対する静かなる崇敬の念やら成功させなければならないという責任者としての意気込みが感じられて実にすばらしい。リーダーは完全にメンバーを掌握している。きっとこの人は以前、機動隊に勤務していてデモ隊にそんなアナウンスをしていたんじゃないか、と思うほどである。彼の一言、一言に呼応するように喇叭隊の演奏も熱を帯びていくのだ。まるで憑依する寸前の人々が音楽を奏でているようにも思える。当然のことながら、演奏もひじょうにすばらしいものだ。
 ぼくはきっとこの祭りには内側の人間としてすぐに参加することはないだろう。ぼくにはまだその勇気がない。なぜかを説明するのはとても難しいことだけれど、私のこれまでのバリでのフィールドワークの経験がそれを受け入れないのだ。それでもぼくは来年もこの祭りに熱狂し、浜松に住んでいることに満足するだろうし、その熱狂から何かを見出すだろう。そしてそんな何かから勇気をもらって、今年も「がんばっていこう」と大きく一歩を踏み出すのだろう。まさに今年の自分のように…。
 


浜松まつりで法被を着るということ

2013年05月06日 | 浜松・静岡

 浜松に住んでいて、法被を着ていないとなんだかそれだけである種の疎外感を感じざるをえない。法被と腕章をつけていることで、「内側」に所属していることを意味するから、別に練りに参加しなくたって、祭りに積極的に関わらなくたって、それでも「内側」の人間であることを自負することができるのである。法被というのはハレ着であると同時に、その時だけは地域運命共同体の成員としての地域アイデンティティを強く感じさせてくれる衣装なのである。
 朝から法被を着て浜松の街をうろちょろする中学生や高校生、しかも女性たちによっては髪をまとめておもいっきりおめかしをする。普段、洒落た服を身につけたい人々も、お祭りの三日間は法被を羽織っていたいのだろう。たくさんの観光客やまつりの外側にいる人々との違いを胸をはって強調したいのと同時に、自分がまつりと関わる共同体に属していることを、このときばかりは目に見える形で自慢したいのかもしれぬ。
 ガムランを始めたばかりの頃、着慣れない演奏衣装を誰よりも早く着て、なるべく長いこと身につけていたいと思ったことがある。自分は演奏者なんだ、というある種の誇り(無茶苦茶下手だったと思うのだが)がそうさせたのかもしれない。衣装というのは不思議な力を持つものだ。
 5月5日にまつりを終えても、僕はそんな若者たちに見えない法被を羽織り続けてもらいたいと思う。そんなまつりを支えていく未来の世代として、胸を張って欲しいと思うのだ。祭りが終わったとたん「浜松には何もない」「浜松は寂しい」「田舎だ」と声高に語る前に、どうすれば祭りの期間のような活気が出る街になるか真剣に考えてもらいたい。そのためには、各人が見えない法被をまとい続けることだ。そうすれば、いつか浜松は活気を取り戻すに違いないと思うからだ。


合同練り~浜松でのゴールデンウィーク後半(5)

2013年05月06日 | 浜松・静岡

 合同練りは、各自治会の喇叭隊をはじめ、自治会のメンバーが、合同で浜松の街中を上品に練るイベントである。複数の喇叭隊が参加するわけなので、その大音響たるや尋常ではない。基本的には浜松の観光振興のためにだいぶ前から行われているようだ。
 それにしても、私が気になるのは基本的には同じ旋律でありながら微小なところで音の動き方が異なるグループ同士が同時に演奏するという状況である。ときたま三度とか五度の和音が聞こえてくるのだが、これは明らかに自治会の喇叭の旋律の違いから生まれる結果である。演奏者もそのことは気がついているらしい。私が話したベテランの演奏者は「ありゃあダメだ」とはっきり言っていた。やはり違いが気になるらしいのである。
 しかし若者はどうなのだろうか?自分の自治会だけでなく、観光客や他の自治会の人々の大勢のまなざしに触れ、他と比較することでさまざまな意識が変わるような気もする。しかも合同練りが終わっても、自治会単独で浜松の街中をデモ更新のように練るので、これもまた自分の自治会周辺とは異なる景色を見る人々もいて「やりがい」が見いだせるのかもしれない。


けんか凧~浜松でのゴールデンウィーク後半(4)

2013年05月06日 | 浜松・静岡

 二日目の凧揚げがけんか凧。もちろん初凧もあげているのだが、それとは別に自治会同士が凧の糸を摩擦で切り合うのである。これはもうかなり興奮状態で行われていて一言で表現するのは難しいのである。
 切られた自治会はもう本当にがっくり肩をおとし、先輩諸氏は労をねぎらっているのであるが、その落胆の表情は誰が見ても明らかである。若者は切れて落ちた凧を探しにダッシュで駆け出していく。
 凧の紐を切られて、落ちていき木に引っかかって破けた六畳近い大きさの凧はほんとうに「あわれ」な姿になるのだが、これだけはどうしても写真にとれなかった。電信柱に無断で昇って凧を下ろす法被姿の若者たちの姿は、私には限りなく凛々しくみえた。