Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

海外調査でも旅行でもありません

2016年09月20日 | 家・わたくしごと

 いつもこのトランクで海外調査に出かけています。いっぱい入れれば25キロ位にはなるし、本をたくさん入れれば30キロ越えも珍しくない比較的大型のトランクです。このトランクを持って東京方面へ。でも海外調査でも旅行でもないんです。このトランク、実はワヤン人形を運搬するのに最適なのです。よほど大きな人形は入りませんが、カヨナンならちゃんと収納可能。なんとも優れもののトランクです。
 なぜ人形を東京へ移動するかといえば、基本、人形はそれぞれ1体ずつしかないので、浜松方面で練習や公演するときは大学の研究室に置いてあり、東京方面で練習、公演があるときは国分寺の実家にあるのです。たとえば、国分寺の実家で練習があり、次の週には大阪公演であれば、人形を移動しなくてはならないし、さらに、翌週にまた東京で公演、ということであれば再び人形は東京に移動です。結構たいへん。時々、一つか二つの人形を忘れてしまったりします。
 それじゃあ両方に持てばいいじゃない?なんて考える人もいるでしょうが、そんなに簡単に揃えられるものではありません。お金も時間もかかるし、だいたいそんな裕福じゃありません。保管する場所も必要になるし。ということで今回も他人から見れば、「シルバーウィークは海外旅行か?」なんて見えたかもしれませんが、地味に国分寺で二日間、稽古三昧だったのでした。


9月17日の玉川上水

2016年09月19日 | 東京

 2016年9月17日の玉川上水。実はこの日は十五夜でした。朝夕はすっかり涼しくなった東京とはいえ、夏を名残惜しむような蝉の声がまだたくさん聞こえました。秋の風で蝉も少し寒いかも。なんでこんな季節に外に出てきちゃったんだ、と文句たらたらで鳴いているのかもしれません。
 それにしてもやっぱりこの遊歩道は気持ちがいい。東京都の財産ですね。2020年のオリンピックのときにはぜひ、この玉川上水をたくさん東京を訪れる海外からの観光客に紹介してほしいと思います。特にヨーロッパから来る方々は浅草も楽しむでしょうけど、こんな自然も愛するはずです。今から多様な言語のボランティアガイドを育成しなくてはなりません。もうやっているんですかね、東京都職員のみなさん?
 玉川上水には、この地のことを知り尽くした民間の愛好者がたくさんいるんです。ぜひ、そういう方々からいろいろ勉強して可能性を見出していただきたいと思います。リオのパラリンピックが終われば東京オリンピック文化プログラムが開始されます。膨大な予算が国家予算として計上されるはずです。ぜひ玉川上水も東京都の文化遺産としてオリンピックプログラムに活用してもらいたいものです。


秋の気配

2016年09月18日 | 東京

 最後にトマトの写真を撮影してから2週間、再び国分寺の実家に戻って庭を眺めると、すでに最後のトマトの苗は抜かれてもう花壇には何もなかった。寂しいというわけではなく、この大地にありがとうと強く言いたい。農家の方から見れば、もう「おバカ」そのものかもしれないが、どんなに小さくても大地は大地である。何もしなかぅたわりには、最後に感謝して終われたことは嬉しい。
 9月も中旬になるとすっかり秋の気配である。夜になるとコオロギの大合唱だし、朝だってどこからともなく虫の声が聞こえてくる。玉川上水まで行けばまだ蝉は鳴いているんだろうか?マンションの14階にいると大地の季節感というのが感じられないものだ。大地よりもしろ、コンクリートジャングルと空を見ながら暮らしているような気がする。
 あと1か月もすれば玉川上水の木々の葉は色づき、11月になると落ち葉のじゅうたんがひかれるのだ。こうしてもう50年近くこの光景を眺めてきた。玉川上水があるから私の家の周りは、なぜか50年近く、何も変わらない気がする。ここだけは江戸時代からそのままだ。周りの家の建て替えや宅地造成なんて実に表層的で些細なことのように思える。玉川上水は私の古い記憶を丸ごと支え続けているようだ。


輸出用大正琴

2016年09月16日 | 家・わたくしごと

 大正琴って戦前に輸出用に作られていたこと、ほとんどの方はご存知ないと思います。大正元年に名古屋で誕生したこの楽器は、名古屋中心に生産され、その後、大正5年前後には海外向けにも作られるようになり、昭和初期にはかなりの数が、中国、インド、東南アジア、そして欧米にも輸出されていました。しかし、輸出品項目としては、「楽器」ではなく「玩具」扱いだったので、なかなか統計的にその数を把握することができないのです。玩具の中身ごとの統計がないからです。
 インドネシアで使われている大正琴の調査を続けているうちに、日本の輸出の状況を調べ始めました。まだ1年足らずの調査ですが、名古屋が近いこともあり、名古屋方面の図書館などでいろいろな文書や組合の定款をチェックしてきました。しかしどうしても輸出用の楽器を実際に手に取ってみることができませんでした。だいたい輸出用なわけで、日本に箱のまま残っているものが少ないわけです。
 そんな楽器、やっと手にいれることができました。昭和10年に制作されたもので、この写真は箱です。実は、箱から輸出用の検査に通ったものはシールなどが張られることになっていて、それがこの一枚です。定款でしか見なかったものを実際に目にすると感動します。中もほとんど使われていないものでした。今度、写真を撮影したらブログにも掲載します。
 こんな楽器がインドネシアにも伝わったのかもしれませんね。手に入れた楽器はいろいろな想像をかき立てます。ロマンティックな想像は小説の世界であり、論文にはなりませんが、でもそんな世界を研究者としてではなく、一人の人間として楽しむのも心地がいいものです。


買ってしまいました

2016年09月15日 | CD・DVD・カセット・レコード

 先週金曜日に発売されたビートルズのアメリカでのライブのCD、やっぱり予約して買ってしまったのでした。さっそく全部、聞きました。感想を一言で言えば、「それにしてもリマスターとか、編集の技術はすごい」という位でしょうか。
 この音源、ボーナストラックを除けば、すでにレコードを持っていてすべて聞いたことがあります。だから正直言うと、目新しさは全くないわけですが、ライブの臨場感とか音質は、レコードとは比べ物にならないほど向上しています。たぶん演奏していたビートルズだって観客の歓声に演奏なんてかき消されて何を歌っていたかわからなかっただろうし、スタジアムの観客だって周囲のキャーとかワーという歓声しか聞こえていなかったんじゃないでしょうか?それが、もう信じられない状態ではっきり音を聞くことができるし、あんな観客の悲鳴の中、ビートルズの演奏や歌の技術やレベルがそれなりに「すごい」ことにも驚きます。
 別にビートルズマニアというわけではありませんが、やっぱり60年代前半に生まれた私にとってビートルズの音楽は、恥ずかしいくらい「青春」の音楽なわけです。今やCD一枚くらいだったら、パソコンの前で買おうか、買うまいか何時間も悩むこともなくなってしまった(もちろん数分悩むことはありますが)ことから、購入したわけですが、だからといって後悔しているわけではありません。この先、このCDを何度聞くかはわかりませんが、やっぱり持っていることにこそ満足感のようなものを感じられるのです。


人間ドック終わる

2016年09月14日 | 家・わたくしごと

 毎年、この時期が憂鬱です。なんたって人間ドックの季節だからです。健康診断が勤務先で義務付けられているので、受けないわけにはいかないのです。学内の検診もあるんですが、沖縄時代からずっと病院で人間ドックを続けています。年に一回くらいはしっかりチェックしないと。わかってはいるんですが、健診日が近づくほど憂鬱になり、もう3日前くらいになると考えたくなくなります。
 昨日、健診日でした。朝から土砂降り。健診センターには7時20分に行かなくちゃならないし、朝からイライラ。血圧上がるよ、と思いながらも濡れネズミになりながら、浜松駅のバスターミナルへ。ところがどのバスに乗っていいかよくわからないので、またイライラ。まあ、バスに乗りなれてないだけですけど。雨なのでバスも混んでいてまたイライラ…。
 という感じで無事に健診センターに到着し、健診を受けて午後には健診結果をもらって胸をなでおろしております。要観察はいくつかありますが再検査はありませんでした。ということで、来年の予約をとって今年の大イベントの一つは終了しました。帰りのバス代、健診センターがチケットを出してくれました。そんなサービスによしよし、と首を縦にふりつつ、イライラすることもなく、帰路についたわけです。


バリの埋め立て反対運動に思う

2016年09月13日 | バリ

 今バリでは、ベノア湾の埋め立てに対する大きな反対運動が起きている。今ではなく、すでに3,4年前から起きていたと思うが、埋め立てが2014年の大統領令によって認められた以降、その運動の規模が拡大している。埋め立て反対のスローガンは BALI TOLAK REKLAMASI BATALKAN PERPRES NO. 51/2014 である。「2014年第51号の大統領令を白紙に戻し、バリの埋め立てをやめさせよう」と訳すことができる。デンパサールの街にはこのスローガン、あるいはこれに類似した言葉が印刷された大きな看板があちこちに立てられている。それどころか、一ヶ月に数回は、バリのどこかで大規模な集会やデモが実施される。数万人単位のデモなので、事前に領事館、新聞社、テレビ局などにその予定が伝えられる。
 埋め立ての目的は、浅瀬でマングローブの林が広がる空港近くのベノア湾を埋め立てて、大リゾート地域を作り、もっとバリを観光で豊かな島にしようという行政側の考え方に基づいたものである。一方、市民側は、リゾート地作るのではなく、現在のバリの文化を洗練させ、より観光コンテンツの充実したバリにすべきだ、という主張を繰り返す。前大統領が辞める直前に認められた大統領令は、市民派として知られる現ジョコウィ大統領のもとでさえ、そう簡単に撤回できないのである。大統領令の効力というのは、生半可なものではない。すでにベノア湾には、夜中に大型トラックが砂利を運び続け、すでに大きな砂山がベノア湾の一角にできているのだ。
 さてこの状況、日本のどこかの県の状況と似ているのではないだろうか?退任する直前にGOサインを出した前県知事の決定は、その後、県民運動がいかにあろうと、県知事がどうあろうとそう簡単には変更できない状況が続く。埋め立ての目的は異なるわけで、同列で語るのは難しいのだが、やはりこのバリでの問題、他人事とは思えないのである。どちらの問題もこれが、いいとか悪いとか、当事者でない私がブログで語れるような問題ではない。にしても、やはりその問題の背景にあるさまざまな事柄を考えざるを得ないのだ。


夜の街

2016年09月12日 | 浜松・静岡

 住んでいる14階のベランダから定点でよく写真を撮る。東向きなので朝日が昇る一方、夏の快晴の午前中は暑くて、ちょっとお洒落にベランダで朝食、なんてことはこの時期は難しい(だからといって他の季節に挑戦したこともない)。いいことといえば、洗濯物がよく乾くことか。
 夜になるとマンション周辺は風景が一変する。ベランダから右を眺めると浜松市一番の歓楽街。金曜日の夜となれば、いったいこの人たちがどこから湧いて出てきたのか、と思うほどに賑わう街である。もちろん頻繁に喧嘩もあれば、酔っ払いもたくさんいて、一晩に何度もパトカーや救急車がサイレンを高らかに鳴らしながらやってきて、歓楽街の賑やかさに花を添える。ここに住み始めた頃は珍しくて、寒くてもベランダでそんな風景をぼんやり眺めていたが、今はもう慣れて「またか」と思う程度である。
 ベランダから右を見ないで真正面、つまり写真を定点から撮影する。これは磐田方面なのだ。つまり東京方面といってもいい。浜松駅近くのノッポのビル以外はとにかくまっ平である。夜景にもすっかり慣れたが、夏の夜景が美しいのは夜12時を過ぎてから。街も少し静けさを取り戻して、なんとなく落ち着いた風景なのだ。やっと地に足がついたようなマンションからの風景、これが昨晩撮影した一枚の写真から思うことである。


見た目じゃないんですけどね

2016年09月11日 | バリ

 バリにいるとたいていは、ホテルの近所のお店で一食100円前後の食事(ご飯とおかず)を買ってきて、部屋で食べてしまう。日本のようにプラスチックの容器に食事を入れてくれるわけではなく、わら半紙色の紙に包んでくれるだけなので、これを開くと中身はすでにぐちゃぐちゃになっている。「とても美味しい」のであるが、どうもこの美味しさを知らない人にはとんでもない代物に見えるらしい。確かに見た目はいただけないし、香りも味も知らなければ仕方があるまい。ちなみにその代表は私のブログを日々読んでくれている父で、たまに実家に帰ると「ちゃんとしたものを食べなさい」と笑いながらであるが、怒られるのである。「じゃあ、おこずかいちょうだい」なんて言ったことはない(今度言ってみようかな?)。
 そんな父に安心してもらうための一枚。S教授と必ずでかけるサヌールの老舗レストラン、ママ・プトゥである。ここに来ないとバリに来た気がしないというほど私の中ではお気に入りの「バリ」のレストラン。だいたいこの店、移転を繰り返して今は街はずれにありすぎて、それほど繁盛しているとも思えない。そうとはいえ、必ず外国人やバリの人々が数組やってきている。洋風、インドネシア料理、各種そろっているが、洋風(特に肉料理)を頼むと、どの料理もほとんど味は同じである。これもまたいい。しかも安いし、雰囲気もいい。この店より上品で美味しい店は山のようにあるのだが、やはりこの店こそバリのレストランなのだ。S教授もきっと私と同意見だろう。
 バリらしい食事、とはいったい何だろう?それはバリ料理だけを意味しているわけではない。郷に入れば郷に従え、という言葉が大好きだ。観光地バリは、古くから西洋料理のレストランがたくさんあった。でも西洋に行ったことのないバリの人々は、見ようみまねで、あるいは外国人の手ほどきをうけて、「西洋料理」に挑戦した。それが時間とともに「バリらしい西洋料理」へと変貌していったのだ。そんな音楽は山のようにある。でも料理についてそんな味付けはあまり評価されていないのではないか?ママ・プトゥはそんな店だ。海岸沿いのワルンとして営業をはじめたプトゥおばさんが、数十年かけて作り上げたレストラン・ママ・プトゥ。味つけもプトゥおばさんの「おふくろの味」。サヌールに行くことがあったら、私に騙されたと思ってぜひでかけてみてほしい。もしかすると、楽しそうに話をしている私とS教授に遭遇するかもしれない。ちなみにこれだけ食べて、飲んでも一人1,000円程度である。


レコード復活は近いのか?

2016年09月10日 | 家・わたくしごと

  最近、息子からレコードを預かり、CDに変換して欲しいと頼まれた。今更なんでレコードを、と思ったが、できないわけじゃないので引き受けた。たぶんDJが使っていた中古のレコードを手に入れたのだろう。ちなみにDJは、今なおターンテーブルらしきものは使用しているが、実際にレコードを使っていない人がほとんどで、すべてはパソコンに取り込まれたデジタル音源である。
 レコードをCD変換した日の帰り、家の近くの公共施設で開催されていた「HAMAMATSU CD&RECORD SHOW」なるものに寄ってみる。お目当てはCDだったのだが、ここで売られている品物の8割はレコードである。客は黙々とレコードをパタパタと両手で持ち上げながら手際よくチェックしていくのである。この風景、とにかく懐かしいではないか?私の子供の頃、デパートの催事場や、小さなスペースでよく見かけた光景だ。だいたいあの頃はレコードしかなかったのだから当たり前である。
 このところ、レコードがリバイバルしているという。タワーレコードのような大店舗に行くと、今やレコードのコーナーが店の片隅に設けられている。まだまだ数は少ないが、新譜CDとともに同時発売されるものも出てきた。とはいえ、今の若者は家にターンテーブルを持っていないので、CDとともに同じレコードを買って大事に保管している者もいるらしい。こうなるとただの「グッズ」である。まあ、それでも私の年代にとって「レコード」復活はうれしい出来事だ。やはりCDほどクリアーとは言えないレコードならでは音にはなぜか人間味を感じるものだ。だいたい21世紀が16年経っても私たち世代はいまだに、タワーレコードやHMVのことを「レコード屋」と呼んでいるのだ。CDしか売られていなくても「レコード屋」だったのが、再びレコードも売られるようになれば、名実ともに「レコード屋」で問題なしである。