社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「単身高齢者の在宅ターミナルケアの条件」 野田京

2008-11-23 21:53:48 | これまでの活動
『医療と福祉』 No.84 Vol.42-No.1 2008-11

約2年振りに論文が掲載されました

前職場では、「独居」「親族なし」「貧困」というキーワードが、「困難ケース」とみなされ、ソーシャルワーカーの関わりがより重要視されていました。
なかには、患者さん本人も「家で死にたい」、主治医も「最期までここで診てあげたい」と意向は一致していても、実際は「最期まで家で過ごす」ということが困難でした。
それは疾患的な問題よりも、介護体制や援助機関同士の役割分担、援助機関同士の「連帯感」であったように思います。

ある女医さんは独居女性に対して、「貴女もここに居たいっていうし、私もそうしてあげたいけど、私一人で支えている訳ではないし…。後々のことについても責任を負うのは、とても難しい。だから、ずっとこのまま、家で支えるのは無理かもしれない…」と、とても悲しい表情で話をされていました。

患者さん本人もそして医療者も、「家で過ごしたい、過ごさせたい」と思っていても、「独居高齢者」であるがゆえに、実現ができないのはなんでだろう…
という疑問か
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4 コメント

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Unknown (kauri)
2008-11-24 15:27:13
掲載おめでとう

独居の方が「自宅で死にたい」と言う時、
お金の心配や他人に迷惑(お世話)かけることへの抵抗感があったり、
病院や施設がイヤな場所だと思い込んでたり、
あるいは認知症や鬱的な症状が絡んでたり、
とか、色んな要因考えてしまって、
ほんとーに、「ひとりで死にたい」のか、
それがその人にとって「いいこと」なのか、
どつぼにはまることが多々ありました。

誰もいない部屋で、ひとり息を引き取るというのが、
人の死として本当にあっていいことなのか・・・
倫理的な議論以前に、医療者が「あってはならないこと」と断言してたのが思い出されます。

難しいね
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kauriさん (管理人)
2008-11-25 07:32:09
ありがとうございます。

たくさんの「思い」や「しがらみ」や「現実問題」が絡み合い、「何がベストか?」を模索することに援助者が疲れてしまう…そんなこともたくさん経験しました。

援助者がもっともっと生き生きと、いろんなことに向き合える環境整備も、これからは必要になってくるのではないかと思います。
返信する
在宅での看取り (syounosuke)
2008-11-25 10:16:15
久しぶりの書きこです。
23日に「在宅医療推進フォーラム」に参加しまいた。がん患者が中心テーマでしたが在宅での看取りも大きな議題ではありました。
発言のなかで「看取りは死の選択ではなく最後まで生きることの結果」であるという主張がありました。
生きることの選択が主体者の選択ではなく経済的理由や家族関係による選択によって在宅での看取りをどう考えるか、こうした現実はあるわけですからこのテーマを整理し制度論なのか、援助論なのか、考察を深めたいです。
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syounosukeさん (管理人)
2008-11-25 21:58:29
コメント、ありがとうございます。
「在宅医療推進フォーラム」に参加されたんですね。
とても好評だったようで、開催に気が付いた時には、定員オーバーで参加登録ができませんでした…。
その道のパイオニアの方々が、たくさん集っていたんでしょうね。

「看取りは死の選択ではなく、最後まで生きることの結果」…その通りですね。
それゆえに、疾患別・年齢別にフォーカスされるのではなく、より広い視野で、議論が進められることを願います。
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