社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「グリーフケア-見送る人の悲しみを癒す-」古内耕太郎、坂口幸弘(2011)

2012-01-30 10:35:48 | その他
副題:~「ひだまりの会」の軌跡~

葬儀社によるグリーフケアの実践を紹介、ならびにグリーフケアの概説も記されている。
分かち合いの会、見守りコール、食事をつくる会、講演会などなど、一葬儀社の取り組みであるのも関わらず、その方法は多様である。組織でグリーフケアに取り組もうとする際に、そのプロセスを知るために参考になる。

引用
・葬儀社によるグリーフケアは、企業の社会貢献活動としての位置づけである。
・グリーフサポート(急性期のグリーフケアが必要な人たちが対象)とライフサポート(少し立ち直りを見せた人たちを対象)は車の両輪のようなもので、標津の悲嘆に向きあう「故人中心の生活」から、人生の豊かさに向けた「自分中心の生活」への移行をお手伝いする、長期的視野に立った遺族サポートが必要。



グリーフサポートとライフサポート、これらをまとめて「グリーフケア」とするのが主流であろうが、あえて2つに分けていることで支援がしやすく、利用者の理解が得やすい利点があるようだ。どの時期に、どういう人が、何を求めているか。より多くの人たちのニーズを充足するためには、多くの受け皿を用意しなければならない。この会は、それをうまく網羅している印象を受ける。

一方で、年配の遺族と異なる、若い遺族のグリーフケアの難しさについて、「死別体験がそれまでにないという経験のなさ、若いがゆえの社会経験の少なさ、未熟さ」が指摘されていた。
年配者と比べ、受け入れる度量が十分ではないということだとは思うのだが、表現が少し乱暴である印象を受けた。


グリーフケア
クリエーター情報なし
毎日新聞社
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『ターミナルケアにおける「ナラティヴ・アプローチ」の意義-』 遠藤紀子(2011)

2012-01-25 10:52:02 | 社会福祉学
副題:「何の役にも立たなかった」人生から「人の役に立ちたい」人生への展開
生命倫理 Vol.21 No.1 2011.9

福祉施設に勤務している筆者が、ターミナル期にある利用者との関わりについて、ナラティヴアプローチで分析。
また、ターミナル期におけるソーシャルワーカーの役割について、その専門性はアドボカシーであると提起している。

引用
ナラティヴアプローととは⇒
現実が客観的に存在するのではなく、そこに関わる人々の相互作用を通して、社会的に構成されるということである。ナラティヴアプローチは、語り(ナラティヴ)によって現実を理解していく方法である。

アドボカシーとは、本人の権利を擁護する代弁機能だけではなく、当事者と行動をともにする同伴者のような役割も持つのではないかと考えている。理想的な最期やあるべき看取りのあり方を当事者にあてはめて周囲が解釈したり評価したりするのではなく、当事者の語りに耳を傾け、その物語に最大限敬意を払う姿勢が関わる者には求められる。ソーシャルワーカーがターミナルケアに関わる時、その人のこれまでの生き方が生かされるように、そして、その思いが生活の中で実現していくように環境を整えていくことも、アドボカシーの意味ではないかと考える。


社会福祉士(ソーシャルワーカー)の専門性って何?と大学院時代の恩師と話をしたときに、「アドボカシー」であるという答えに行き着いた。それを後押しする論文であり、個人的にとても嬉しかった。

医療機関ではなく社会福祉施設であっても、質の高いターミナルケアは提供できるという証であろう。
しかし一方で、ソーシャルワーカーのなかでも、ここまで意識をもってひとりひとりの利用者に向き合える人は少ないであろう。それが時間的なものであれ、技術的なものであれ…。
そこに、質の高いターミナルケアを構築していく課題が潜んでいると痛感する。



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「病院・施設が求める保証人に関する一考察」 林祐介(2011)

2012-01-16 15:02:50 | 社会福祉学
副題:保証人問題の解決に向けた医療ソーシャルワーカーの役割に焦点をあてて
『医療と福祉』No.90 Vol.45-No.1

社協職員に対するヒヤリング調査を通して、保証人不在の利用者(住民)への対応策を検討している。
修士論文をベースにしているせいか、先行研究も非常によくまとめられ、実践的かつアカデミックな論文であるという印象を受けた。

引用
・本来は転院が望ましい状態にも関わらず、保証人不在のために、やむを得ず自宅退院するケースも発生しているようである。
(ヒヤリング調査結果より)
①医的侵略行為の同意に関しては、(調査対象者は)本人確認以外に方法はないと回答している。
②入院・入所費用の未収金について、(調査対象者は)既存の事業者制度の活用によって、未収金の予防が可能であると回答している。
③葬儀や遺留金品処理、埋葬といった死後対応については、(調査対象者は)執行者がいなければ、社協が対応せざるを得ないと考えている。


転院対象であっても、保証人がいないがために自宅退院とする…こういった現象が「医療難民」を生み出している一つの要因であろう。
病院や施設は入り口があるために「NO」と言える。しかし、すでに自宅にいる要医療保護者/要介護者に対して、在宅福祉サービス事業者や在宅医療提供事業者は、「No」とは言い難い。事業者の理念だけで支えていくことには、限界がある。地域で、そして社会でどのように支えていくのか。このような保証人問題をどのように扱っていくのか、非常に考えさせられた。







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『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」-あいまいな喪失ー』 ポーリン・ボス(南山浩二訳)

2012-01-04 21:12:22 | その他

米国の家族療法家(心理学の専門家)による書物。
「死別」に限らない「喪失」の存在に注目し、「喪失をした証」(*死の場合は葬儀が存在し、それがある種の喪失の証となる)がない場合の喪失へのアプローチについて臨床経験を踏まえて報告している。

引用
・曖昧な喪失には、二つの基本的な種類がある。第一のタイプは、死んでいるか、生きているかどうか不明確であるために、人々が家族成員によって、身体的には不在であるが、心理的には存在していると認知される場合である(例:離婚家族、養子関係の家族)。第二のタイプは、人が身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知される場合である(例:アルツハイマー病、アディクション、慢性精神病等)。

・医師は、しばしば、未解決の深い悲しみの徴候を伴う患者に、抗うつ剤を処方する。しかし、薬物療法は、確かに大きの場合有益であるが、曖昧な喪失とともに生きなければならない家族成員を助けるのに十分ではないかもしれない。


学生時代の恩師が東日本大震災後に、支援に向かったソーシャルワーカーにスーパービジョンを行った際、本書の理論を用いたという。
津波等で家族の行方が分からない状態で過ごしている方たちは、まさに「あいまいな喪失」の只中であろう。
どこで/なにで気持ちのギアチェンジをしたらよいのか、死別とはまた違った形での喪失へのケアが必要なんだと気付かされた。

老いや慢性疾患による生活上の不都合も、あいまいな喪失に含まれるであろう。
そうとらえると、喪失に関する知識やケアの技術は、どの領域の援助者にも必要不可欠である。
頭の片隅に…だけでもいいので、「喪失は死別に限らない」と是非知っておいて欲しいと思う。


「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」―あいまいな喪失
クリエーター情報なし
学文社
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