出生前診断では「陰性」であったが、生まれたきた子どもはダウン症を患っていた。
医師の誤診と、生まれてきた子どもの「苦痛」に対する謝罪を求めて裁判を起こした家族への取材をもとにしたノンフィクション。進化する医療技術と、それに追いつかない生命倫理について、問題提起している。
引用
・急速に技術が進むなか、生まれる前に命の選択をする技術的なハードルは下がってきている。そして出生前診断を受ける人は増え続け、それは心の準備のためだと言う人も少なくない。だが新型出生前診断を受けた後、確定診断となる羊水検査で染色体に異常があると診断された妊婦のうち九割近くが中絶を選択しているという現実もある。どのような言葉と理由で装飾しようと、私たち社会が直面しているのはあまりに野蛮な問いなのだ。
誰を殺すべきか。
誰を生かすべきか。
もしくは誰も殺すべきではないのか。
・胎児に重篤な疾患がわかった場合も、妊娠を継続し、出産後は積極的な治療をせずに安らかに看取るという取り組みは欧米で始まっており、「胎児の緩和ケア」と呼ばれている。
・産科医へのインタビューから→「胎児自身に選択の余地はないのです。障害を抱えて生まれたとしても、たとえ生命がわずかであったとしても、家族に見守れらながら生をまっとうするのが子自身の本望でしょう。医療は本来そのためにあるのです」
子に障害があることを理由に中絶をすることは刑法の堕胎罪にあたるという。しかしながら多くは「経済的理由」ということを援用し、中絶手術を法を侵さずに受けている(もしくは手術を行っている)。これはあらためて活字で読むと、恐ろしく重大な事柄だと認識するが、今の日本では「あたりまえ」の逃げ道として成り立っている。
子を育てることは本当に大変で、きれいごとではすまされない。だからこそ、障害がある赤ちゃんだと診断を受けたときに、生むのか/生まないのか(堕ろすのか)に、女性は苦しむのであろう。
本書では、生命倫理と法律の「詰めの甘さ」を様々な立場にある人への取材を通して、具体的にそして鋭く追求している。
選ぶこと、生むこと、育てること。選ぶこと、殺すこと、罪を感じながら生き続けること。
これからより一層、命の選択の機会は増えていく。どうか法律がきちんと整備されることを・・・。
医師の誤診と、生まれてきた子どもの「苦痛」に対する謝罪を求めて裁判を起こした家族への取材をもとにしたノンフィクション。進化する医療技術と、それに追いつかない生命倫理について、問題提起している。
引用
・急速に技術が進むなか、生まれる前に命の選択をする技術的なハードルは下がってきている。そして出生前診断を受ける人は増え続け、それは心の準備のためだと言う人も少なくない。だが新型出生前診断を受けた後、確定診断となる羊水検査で染色体に異常があると診断された妊婦のうち九割近くが中絶を選択しているという現実もある。どのような言葉と理由で装飾しようと、私たち社会が直面しているのはあまりに野蛮な問いなのだ。
誰を殺すべきか。
誰を生かすべきか。
もしくは誰も殺すべきではないのか。
・胎児に重篤な疾患がわかった場合も、妊娠を継続し、出産後は積極的な治療をせずに安らかに看取るという取り組みは欧米で始まっており、「胎児の緩和ケア」と呼ばれている。
・産科医へのインタビューから→「胎児自身に選択の余地はないのです。障害を抱えて生まれたとしても、たとえ生命がわずかであったとしても、家族に見守れらながら生をまっとうするのが子自身の本望でしょう。医療は本来そのためにあるのです」
子に障害があることを理由に中絶をすることは刑法の堕胎罪にあたるという。しかしながら多くは「経済的理由」ということを援用し、中絶手術を法を侵さずに受けている(もしくは手術を行っている)。これはあらためて活字で読むと、恐ろしく重大な事柄だと認識するが、今の日本では「あたりまえ」の逃げ道として成り立っている。
子を育てることは本当に大変で、きれいごとではすまされない。だからこそ、障害がある赤ちゃんだと診断を受けたときに、生むのか/生まないのか(堕ろすのか)に、女性は苦しむのであろう。
本書では、生命倫理と法律の「詰めの甘さ」を様々な立場にある人への取材を通して、具体的にそして鋭く追求している。
選ぶこと、生むこと、育てること。選ぶこと、殺すこと、罪を感じながら生き続けること。
これからより一層、命の選択の機会は増えていく。どうか法律がきちんと整備されることを・・・。
選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子 | |
クリエーター情報なし | 文藝春秋 |