『佛教大学大学院 社会福祉学研究科篇』第40号(2012年3月)
遺族に焦点をあてたグリーフケアではなく、死にゆくその人を中心にとらえた支援とは?について、
論じている。
「終活」という言葉が登場する少し前に書かれた論文であり、「そういう捉え方をしていた時期もあったな」
という部分も多い。しかし、葬祭、ターミナルケア、グリーフケアといった事柄について丁寧に概説されており、
頭の整理には大変役に立った。
引用
・特別養護老人ホームを主体とする生活施設へ高齢者が入居するその時こそ、彼(女)ら自身の死に対する悲嘆を汲み取るべき、一つの重要な契機なのである。
・(先行研究を概観した結果を踏まえ)死後の処置にまつわる行為の中で、死に逝く本人へ向けた眼差しは極めて乏しいのである。
私は現在、特別養護老人ホームに勤務しているが、施設での看取りは「一般化」していると認識している。しかし本論文で指摘されているような高齢者自身への喪失へのサポートはなく、「看取りに対する意思確認」を「家族」に行うことで、「看取りケア」を実践していると職員が体感している部分が多い。
コロナ禍で面会ができていない入居者でも、「看取り」のステージにくれば、一定の制限はあるものの面会は可能となっている。職員は「家族」には思いを確認するが、本人にはどの程度確認できているのか?…正直なところ、十分ではないと考えている。それは入居時点で、重度の認知症のために意思確認が困難であることも一つの原因ではあるが、それよりも、入居者がそれまで生きてきた時間に職員が目を向けていない、ということも少なからず原因であると考えている。
「認知症の手がかかる人」「体が大きいから、移乗介助が大変な人」「食事介助に時間がかかる人」…いま、目の前にいる入居者に対して、いまのその状況にネガティブにとらえがちであることも否めない。
施設での看取りが増加していくことを考えると、ターミナルケア・グリーフケアという以前に、その人を捉えるチカラが、支援者に求められているのであろうと痛感している。