社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「生死 看取りと臨終の民俗/ゆらぐ伝統的生命観」板橋春夫

2013-08-20 21:43:56 | 民俗学
民俗学者の立場から、看取りにまつわる儀礼とその歴史についての概説。
かつて当たり前であった自宅での看取りは、誰によって、そしてどのようにとり行われていたのか。
とても分かりやすく書かれている。

引用
・私たちは祖父母や両親あるいは知人たちの死を間近に見ながら人生を送り、最後には自分が死に至る。死の学習をするために人生儀礼がある。


本書には、聞き取り調査の事例がいくつか紹介されている。
その中に、死が近づいている人は「抱っこしてくれ」「枕を外してくれ」と周囲の者にお願いをする。という調査結果が報告されていた。
現代のように、医療機関が身近ではなかった時代は、己の終わりを内なる何かから感じ取っていたようだ。
とても神秘的であり、とても人間臭いと思った。
それは同時に、己の命に向き合っていた証ではないかと思った。

医療が高度化した現代において、かつてのそのような現象を当てはめるのは現実的ではないだろう。しかし、己の内なる何かから感じ取れるその感覚、
そしてその感覚を重んじることができる支援のあり方は、必要であろうと思った。


生死(いきしに)―看取りと臨終の民俗/ゆらぐ伝統的生命観 (叢書・いのちの民俗学)
クリエーター情報なし
社会評論社
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「お葬式 死と慰霊の日本史」 新谷尚紀(2009)

2013-06-14 13:43:26 | 民俗学
死にまつわる儀式について、民俗学からアプローチしている。
時代、地域…それぞれの違い、それぞれの特徴を紹介している。全てを読みこなすには専門的な知識を要するが、関心のある箇所だけ読む、という読み方もできる。

引用
・伝統的な葬儀というのは、遺体と死の穢れと死者の荒ぶる霊、そこには魔物もやってくる(中略)というふうに恐れられていた。
・土葬から火葬へ、近隣の相互扶助から葬儀社の参画へという変化
 ⇒長野県松本市…昭和53年が大きな転換期 福井県三方郡…昭和60年 島根県能義郡…昭和44年が初めての火葬 香川県…昭和44年


土葬は最近まで行われていたことに、驚いた。
他の文献ではあるが、現在の火葬率は100%ではなく99.97%であり、土葬専用の墓地も存在していると紹介していた。

この土葬は湯灌の実施に大きな影響を与えていたであろうし、この時代の湯灌と現在行なっている湯灌とでは意味は違うであろうと感じた。
親族によってとり行われていた昔の湯灌、死の持つ意味を確認したいという意味でも行われている現在の湯灌。
両者の実態をもう少し知りたいと思う。

お葬式―死と慰霊の日本史
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吉川弘文館
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「死と生の民俗 産湯で始まり、湯灌で終わる」 田原開起(2008)

2013-06-12 10:51:05 | 民俗学
昔の死の儀礼について、広島県在住の高齢者に聞き取り調査を行い、その実態を明らかにしている。
筆者は元高校教師という。そのせいか、文章が丁寧に綴られていて読みやすい。専門書のように難しい言葉が使われていないので、教養を深めるための1冊としても活用できる。

引用
・明治末期~大正期…湯灌の前に家族は白のサラシで死装束を塗っていた。白装束ができあがると寺に連絡をして来てもらい、枕経をあげてもらっていた。その後親族で湯灌をした。
・白のサラシははさみを使わずに手で裂いて縫っていた。縫う糸はこぶをせずに縫っていた。縫うときに「後返し」(行った針の向きを変えること)はしなかった。
 ⇒「糸をこぶにする」ということで、死者がこの世に留まったり、「後返し」をすることによって、死者が後戻りをすることがないように、という計らいが読み取れる(p.45)。
・湯灌の方法…仏壇の前の畳二枚を上げてその上に盥を置いて、みんなで少しづつ洗った。湯灌の湯は、床板をはぐって床の下に捨てた。


現代、医療者や葬祭業者によって提供されている湯灌は、遺された家族のために提供しているという印象が強い。しかしかつて、親族によって行われていた湯灌は、死者があの世に迷わずいけるように、そして遺体の腐敗を最小限に抑えるように(土葬であったため)という、亡くなった人のためにとり行われていたようだ。
もちろん、一連の儀式を行うことで、遺された人たちにとっても何らかの癒しつながっていたに違いないが…。

本書に、盥の紹介があった。
かつては各家に盥があり、産湯の時、嫁が嫁ぎ先の家に初めて入る時、湯灌の時、その都度盥が登場し、節目節目のアイテムであったことが書かれている。
出産、介護、看取りを自分たちの家で行なっていた時代の象徴であったのかもしれない。
今は多くが家族の手から離れている。
現代人は、死を日常のものを感じていないという主張をよく聞くが、本書を通して、なるほどそれは致し方ないのかも…と感じた。

死と生の民俗―産湯で始まり、湯灌で終わる
クリエーター情報なし
近代文芸社
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「驚きの介護民俗学」六車由実(2012)医学書院

2013-02-02 13:57:46 | 民俗学
民俗学の研究者である筆者が特別養護老人ホームの介護職となり、民俗学の視点から「高齢者を理解する」こと、そして民俗学が介護(ケア)に貢献できないか…等を試みている。
民俗学の特徴である「聞き書き」は、「人を立体的に理解する」ことにとても貢献していると感じた。「話を聞くこと」「寄り添うこと」について、今一度深く考えさせられた。

引用
・(筆者が介護の世界で疑問に思ったこと⇒)介護や福祉のコミュニケーション論では、語られる言葉による言語的コミュニケーションに比べて、態度や表情、身振りといった言葉以外を情報としてやりとりする非言語的コミュニケーションが過剰に重視されがちではないか(p.96)
・民俗学における聞き書きのように、それにつきあう根気強さと偶然の展開を楽しむゆとりをもって、語られる言葉にしっかりと向きあえば、おのずとその人なりの文脈が見えてきて、散りばめられたたくさんの言葉が一本の糸に紡がれていき、そしてさらにはその人の人生や生きてきた歴史や社会を織りなす布が形づくられていくように思う。語られた言葉を言葉通りに理解すること、もしかしたら認知症の利用者たちもそう望んでいるのではないだろうか(p.111)
・喪失の語りには二通りあるのかもしれない。ひとつは、未だ絶望の淵にいるときの血を吐くような救いを求めた語りであり、もうひとつは、絶望を時間の経過とともになんとか乗り越えてからの語りである(p.186)


本書でも指摘しているように、顔伍する側には時間やこころのゆとりがあれば、より一層利用者を理解し、そして穏やかにケアが出来るだろう思う。介護職の人数を増やすか、もしくは筆者にような「聞くこと」を得意とし、そして時間を費やせる人材(ボランティア)を配置するか…。

当事者が語る言葉をそのままのものとして理解する…筆者が述べていることは、おそらくナラティブの考えに通じるであろう。それをいかにして、腰を据えて実践できるか。職能教育と職場環境…多くの課題が未だ現場にはあると痛感する。

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)
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医学書院
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「葬儀と墓の現在-民俗の変容ー」国立歴史民俗博物館編(2002)

2013-01-07 13:04:12 | 民俗学
葬祭儀式の変容を民俗学の観点から考察。地域特有の葬祭儀式の紹介とその移り変わりも紹介している。
在宅死から病院死への移行は、葬祭儀式へも大きな影響を与えていることが分かる。

引用
・(先行研究結果より)湯灌については、1960年代には血縁的関係者が行うとするのが最も多く49例、無縁的関係者(僧侶など葬儀の職能者)は2例であったが、1990年代には前者が30例、後者が20例となっている。この無縁的関係者は病院側がアルコールで清拭したものなどを表す(p.204)。
・死の現場が病院となったことや葬祭業者の関与の増大と公営火葬場の利用による遺体処理の迅速化が、近親縁者と死者との密着の時間と空間との縮小化、つまり、生と死の中間領域の縮小化をもたらし、伝統的儀式の消滅は、霊魂観念においても死霊畏怖の観念の希薄化を進めていることが指摘された。死者とは遺骸と死霊とみなされていた伝統的観念に変化がみられ、死者は親愛なる個人として記憶される存在へと意識されるように変わってきていることが指摘されている(後略)。



葬祭の儀式は、人々の霊魂に対する認識へも影響を与えている。
キレイな顔で、キレイな姿でおさめられていくことは遺族にとっては「癒し」になることもある。しかし一方で、「死」への距離を遠くさせ、自分とは別のところで起こっていることとして認識されることも、あるのかもしれない。
大きな悲しみの中で、「死」と向き合うことは遺族にとってはとてもしんどいことである。遺族が「死」という現象をどのようにとらえているのか。それは人それぞれである。そのことに意識を向け、個別の援助をしていくことが、遺族ケアには必要であろうと強く感じた。

葬儀と墓の現在―民俗の変容
クリエーター情報なし
吉川弘文館
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