田中恵美子、土屋葉、平野優子、大生定義『社会福祉学』第53巻第4号 2013
ALS患者の遺族に対するインタビュー調査をもとに、タイトルについて論述している。
「正しい」「正しくない」というのではなく、装着・非装着についてのプロセスを多面的に丁寧に掘り下げている。
引用
・ALSは1869年に発見
・生活構造論→生活を、家庭において、日常的・習慣的な運動と、生活変動を受け止め正常化していく運動とが交差する動態的なものとしてとらえる。
(調査結果より)
・女性介護者は、患者の発症を機に、特に介護に対する生活戦略として、協力者を得て連携して資源の管理者役割を担った例がみられた。
・男性介護者は協力者をもたない、または、いても連携せず独立して資源を管理する傾向がみられた。
・(非装着者の遺族の言葉)「『ALSは呼吸器さえつければなくなることはないから、怖い病気ではない』みたいな書き方をする方がいるんですけど、それちょっとひっかかってしまったんです。…いろんなケースがあって、確かに呼吸器つけて、生活の質…いい人生送られる方もいるかもしれないけど。こういう人もいるっているのをきちんと扱ってほしい」
・呼吸器の装着、非装着という生活戦略の違いは、生死を分かつ重大な違いだが、どちらも呼吸筋麻痺というある状況に対し選択されたひとつの生活戦略にすぎないのである。
・特に男性介護者の場合、ALSに関わる資源管理の前に、家庭生活に関わる資源の管理および他者との共同作業への支援が必要である。
病を抱えての生活は、探し、迷い、決定し…そういったひとつひとつの作業がとてもストレスで、とても重たい。
ありきたりであるが、伴走者が必要であり、いわゆる専門家と呼ばれる人たちがもっともっと効果的に機能しなくてはいけないと、
つくづく考えさせられた。