社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「我が子を死産で亡くした父親の心の整理のきっかけ」植村良子、中新美保子(2015)

2016-02-16 11:27:37 | 看護学
『川崎医療福祉学会誌』Vo.l24 No.2 

死産で我が子をうしなった父親の心の整理のきっかけを明らかにすることを目的に、半構造化インタビューを実施。5名の対象者の声を基に、分析をしている。

引用
・平成23年の死産率は出産千人あたり23.9である。
・前回の妊娠が死産に終わり、その後の妊娠でPTSDと診断された妊婦は29%である。
・供養に関しては、夫婦で取り組めたことや、一つひとつ終わらせていくことが、心の整理のきっかけに繋がっていた。
・(死産の手続きや棺の準備等)我が子のために意思決定できる事が、我が子の死を受け入れを助け、心の整理につながると感じている。
・父親の心の整理のきっかけは、悲しみの共有、周りからの言動、供養への取り組み、夫婦相互の理解、次子の誕生があった。


家族を喪うことは、何とも表現し難い苦痛や苦悩や悲しみをもたらし、特に喪ったのが子どもであれば、それは究極のものであるかもしれない。
姿を見ずに喪ってしまった場合、声を聞くこともできずに喪ってしまった場合。それは闘病の末に家族を喪うこととは、また別の側面を有するであろう。
何をその子の形見とするのか。何をもってその子の短い命の存在意義を見出すのか。

男性と女性とでは、感情の表し方が違うことも多い。表し方の違いを「悲しんでいない態度」と捉えることがないよう、周囲の人は理解を深めなければならないと感じた。
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「医療現場における死別体験者の分断と共同-死者を「共に悼む」ための手がかりを求めて」鷹田佳典(2013)

2016-02-11 07:14:21 | その他
『三田社会学』第18号(2013年7月)

 病院死が多くある現代において病院を看取りの場ととらえ、そこでの患者の死を通して、家族と看護師が経験していることについて検討。死別体験者が置かれた現状にの一端を明らかにすることを目的としている。

引用
・「共に悼む」ことのできる<場>は、(中略)ともすると特定の悲しみ方を規範的なもの(望ましいもの、適切なもの)として位置づけ、それ以外の悲しみ方を否定し、排除しかねない危険性を有する。
・ウォルターが指摘するように、現代社会では「悲嘆作業に決まった形はない」という認識のもと、死別体験者それぞれの悲しみ方が尊重されているように見える。(中略)「どのように悲しんでもよい」という自由は、「どのように悲しんでいいか分からない」という混沌(アノミー)と表裏の関係にある。(中略)そのため例えば、自分と同じような死別を体験した人たちの集まりなどに参加し、悲しみの共有を求める死別体験者が出てくることになる。


 死が非日常化し、地縁、血縁の間での悲しみの共有あるいは、喪の作業の共有が困難となった現代において、遺族会や自助会といったものがその役割と代替している。それを裏づけしている論文であった。

 事例として対象しているのが小児病棟であるためか、死に対して看護師と遺族がそれを共有できていないということが、繰り返し強調されていた。病院の機能によって死の捉え方や死後のケアに違いがあるとは思うが、そこまで分断されているか?と少し疑問に感じた。
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「遺族ケアについての哲学的試論ー故人とのつながりを維持すること-」片山善博(2015)

2016-02-08 11:15:25 | 哲学
日本福祉大学社会開発研究所『日本福祉大学研究紀要-現代と文化』第131号 2015年3月

哲学における「承認論」の視点から、故人との絆の維持、その質について捉えている。遺族ケアにおける課題についても、それらの論点から整理している。

引用
・現代における承認論は、(中略)さまざまな承認論が存在するが、要するに、自己の成り立ちにとっては他者が、他者の成り立ちにとっては自己が決定的に重要だということであって、そのことの認識や自覚が、個々人の人間的成長やアイデンティティにとって極めて重要であるとする考え方である。
・他者から承認されることの困難な悲嘆について、具体的に考察していく必要があるだろう。悲嘆経験の相互的な承認ができないということは、死を含んだ文化の形成にとって大きな手かせ・足かせになるからである。遺族の感情や経験を遺族や彼/彼女をとりまく人々が相互に尊重し共有(相互承認)することと、そのための場を作ることが必要である。


哲学的なアプローチであるため、門外者にとっては難解であった。しかし「承認が人にとっていかに大切な要素であるか」ということは、なんとなくであるが理解することができた。

悲嘆経験を相互に尊重し共有(相互承認)するためにそのための場を作ることは必要、という指摘はもっともであるし、自助グループや遺族会が存在する意義の裏付けになると思った。
しかし一方で、相互承認できないと感じてしまった遺族の受け皿は何か?ということが気になった。そこを掘り下げていくことは、遺族ケアの多様性を検討していく糸口にもなりうるだろう。自分にとっての今後の課題である。
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