社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「遺族ケアについての哲学的試論ー故人とのつながりを維持すること-」片山善博(2015)

2016-02-08 11:15:25 | 哲学
日本福祉大学社会開発研究所『日本福祉大学研究紀要-現代と文化』第131号 2015年3月

哲学における「承認論」の視点から、故人との絆の維持、その質について捉えている。遺族ケアにおける課題についても、それらの論点から整理している。

引用
・現代における承認論は、(中略)さまざまな承認論が存在するが、要するに、自己の成り立ちにとっては他者が、他者の成り立ちにとっては自己が決定的に重要だということであって、そのことの認識や自覚が、個々人の人間的成長やアイデンティティにとって極めて重要であるとする考え方である。
・他者から承認されることの困難な悲嘆について、具体的に考察していく必要があるだろう。悲嘆経験の相互的な承認ができないということは、死を含んだ文化の形成にとって大きな手かせ・足かせになるからである。遺族の感情や経験を遺族や彼/彼女をとりまく人々が相互に尊重し共有(相互承認)することと、そのための場を作ることが必要である。


哲学的なアプローチであるため、門外者にとっては難解であった。しかし「承認が人にとっていかに大切な要素であるか」ということは、なんとなくであるが理解することができた。

悲嘆経験を相互に尊重し共有(相互承認)するためにそのための場を作ることは必要、という指摘はもっともであるし、自助グループや遺族会が存在する意義の裏付けになると思った。
しかし一方で、相互承認できないと感じてしまった遺族の受け皿は何か?ということが気になった。そこを掘り下げていくことは、遺族ケアの多様性を検討していく糸口にもなりうるだろう。自分にとっての今後の課題である。
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「仏教の死生観とスピリチュアルケア」谷山洋三 『臨床精神医学』38(7)2009

2016-01-12 17:07:01 | 哲学
 スピリチュアルケアと宗教的ケアの相違を踏まえたうえで、教理仏教の死生観と生活仏教の死生観について概観している。

引用
・教理仏教…文献学的研究によって明らかにされる
・生活仏教…葬儀などの生活レベルで把握される

・宗教的ケアの場合は、対象者が援助者(通常は宗教者)の「世界」に入ること、つまり援助者の信仰世界対象者が是認することが前提となる。(中略)逆に、スピチュアルケアの場合は、援助者(宗教者に限定されない)が対象者の「世界」に入ることが前提となる。

・緩和ケア等で実施されているスピリチュアルケアは、ケア対象者のニードや信仰が明確でない状況においては、まず対象者の世界観を尊重することが倫理的である。

・生活仏教の死生観は、葬儀、年忌法要、そしてそして仏壇における日々の礼拝や墓参に現れる。その特徴を一言でいえば「祖先崇拝」ということになる(後略)。

・スピリチュアルケアには、宗教的ケアの固定性への対応として生じた側面があり、個別で多様な対応が可能である。(中略)死の不安に対して、宗教的ケアにように“答え''を提示することは、必ずしも有効ではない。かえって信頼関係を損なうことさえある。対象者の世界をどこかにある“答え“の代わりになるもの(より深い自己への気づき)を語りの中で一緒に見つけることが求められる。


緩和ケア病棟はキリスト教に拠るところが多く、仏教徒である遺族にとってはグリーフケアを受けにくい(躊躇する)こともある、という声を聞く。
病院側は、宗教色を全面に出しているところは少ないと予想されるが、宗教が自身の根幹をなしている場合もあるため、デリケートな側面にもなりうるだろう。

そしてまた、同じ宗教を信仰しているからと言って、価値観が一致しているとは限らないということも念頭に置かねばならない。
亡くなりゆく人、看取りを経験した人にとってのケアは、画一的ではないと改めて考えさせられた。

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「死別の悲しみに向き合う」トーマス・アティッグ/林大・訳/平山正実・解説

2012-04-26 10:00:45 | 哲学
筆者は、死別、悲嘆研究に20年以上取り組んでいる哲学者。
「悲しむ営みを、世界を学びなおす営みと捉える」をベースとし、死、死別、悲しむことについて論じている。
本書は解説が秀逸で、本編では読み取りにくかったことを中心に、理解を深めることができた。解説だけでも、一読の価値があると感じた。

引用
・悲しむ営み(grieving)と悼む営み(morning)という用語で、死別に適応しようとする過程をさす。
・悲しむ営みと悼む営みは、誰かを亡くしたとき人生に起こる喪失と混乱に対処する反応である。
・悲しむ営みは、重大な喪失体験への対処反応をさすこともあるが、悼む営みは誰かに死なれたときの反応だけをさす。

解説より…
・本書では、死別は「死による喪失がひきおこす状態」をさすと定義されている。
・この本では悲しみの現象の記述や悲しみの経過分析、あるいは、悲しむ人々の心理の解明を目的とするのではなく、死別の苦しみにどう対処し、どうのりこえてゆくかということが、メイン・テーマとなっている。



死別、喪失、悲嘆…日本でグリーフと言われている言葉は、学者によって定義が少し異なり、そして視点も異なる。どれがよくてどれが間違えで…ということではなく、「どの捉え方が自分たちらしいのか」という着目の仕方が良いのかもしれない。

アティッグは、まずは人間の弱さを認めるところからはじめなければ、喪の作業は始まらないと説いている。
弱くていい、悲しんでいい、泣いていい、取り乱していい。そういうメッセージを支援者が伝えていくことが、グリーフケアの始まりだと感じた。


死別の悲しみに向きあう
クリエーター情報なし
大月書店
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「倫理学からみたホスピスの理念の意義-安楽死・尊厳死との対比を通じて-」林大悟(2009)

2011-02-28 12:11:32 | 哲学
『よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学』(ナカニシヤ出版)の第8章

 倫理学という観点から、ホスピスの理念を再考している。実践の場での課題や取り組みではなく、思想そのものを深く掘り下げ、時には安楽死とイコールとして用いられるホスピスについて、その誤解を丁寧に論じている。

引用
☆安楽死・尊厳死が「死を自己決定する自由」の思想であるのに対して、ホスピスの理念が目指すのは「生き方を自己決定する自由」である。

☆QOLに対立する思想としてSOLが対置される。SOLとは「sanctity of life」の略であり、「命の神聖性・尊厳」を意味する。これは、「人の命はそれ自体で尊く、なにものにも代えがたい」という思想である。一般病棟における従来の治療はこのSOLの思想に支えられている。


 SOLという言葉を初めて聞いた。SOLとQOLの相違点、そしてQOLを実現するためのホスピスという思想について考えさせられた。

 また本書もそうであるが、「ホスピスケア」と「緩和ケア」はイコールのものとして用いられている。そもそもこれはイコールなのか?それとも、ホスピスケアという広義のものに「緩和ケア」という狭義のものが含まれているのか…。
 「緩和ケア」はここ数年で、急速に注目を浴び、多くの論文等で用いられている言葉である。しかしこの両者の意味を掘り下げているものは、あまり見受けられない。ホスピス緩和ケアの推進・普及を図るパイオニア的な協会においては、どうやら「イコール」としているようである。WHOの定義でも、わが国の解釈ではイコールだが、他国はあえて線引きしているという声も聞く。実践においてはこの点についての言及は大きな問題ではないが、研究においては、とても気になる点である。


よく生き、よく死ぬ、ための生命倫理学
クリエーター情報なし
ナカニシヤ出版
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「終末期がん患者のスピリチュアルペイントそのケア:アセスメントとケアのための概念的枠組みの構築」

2010-10-26 20:13:41 | 哲学
村田久行 『緩和医療学』Vol.5 no.2 2003

スピリチュアルペインを「自己の存在と意味の消失から生じる苦痛」と定義。ペインが生じる要因を「人間存在の時間存在、関係存在、自律存在」から考察し、スピリチュアルケアを提供するための指針を提案している。

スピリチュアルケア、スピリチュアルペイン、スピリチュアリティについて、多くの先行研究を踏まえて、丁寧に論述されている。学術的な面が強く、言葉のひとつひとつを読み込みのに時間がかかったが、スピリチュアルについての理解を深めるために、とても勉強になった。

引用
・(先行文献から引用)終末期がん患者のスピリチュアルペイン⇒「人生の意味・目的の喪失、衰弱による活動能力の低下や依存の増大、自己や人生に対するコントロール感の喪失や不確実性の増大、家族や周囲への負担、運命に対する不合理や不公平感、自己や人生に対する満足感や不安の喪失、過去や出来事に対する後悔・恥・罪の意識、孤独、希望のなさ、あるいは、死についての不安といった広範な苦悩」

・スピリチュアリティとは⇒内的自己と他者との相互作用、超越者との相互作用を伴った「つながり」である。


時間存在である人間、関係存在である人間、自律存在である人間…この側面からペインの構造を解明し、それを支援するための指針が提案されている。患者が失っていると感じている側面について、支援者は「その側面はまだ有しているのだ」と知らせていかねばならない。そのためには冷静であり、敏感であり、俊敏でなければならないと感じた。そしてなによりも、感受性が豊かであることが求められると感じた。
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「日本における生命倫理の現在」 松井富美雄(2005)

2010-06-01 19:31:07 | 哲学
哲学からみた、生命倫理の定義、ならびに医療問題に対する日本の認識(対応)の現状を報告。
6ページからなる論文であるが、専門用語が羅列されているわけではなく、哲学が専門ではない人でも読みやすい。

生命倫理学とは…
1978年にジョージタウン大学ケネディー研究所から出版された書物によって、初めて明確に定義がされた。「人間の行為が道徳的諸価値や諸原理に照らして吟味される限り生命諸科学やヘルスケアの領域におけるその行為の体系的研究」

医学の倫理的問題(例:脳死、安楽死)の解決には、奥底に潜む文化的・歴史的要因にも注目する必要がある(*哲学はその手助けとなりうる)。

引用宗教は人格のかけがえのなさや一回性の観点から生命の瞬間を問い直すことができる。


なるほど、倫理的問題は確かに「医学」や「法学」だけでは片付けられない。しかしどうしても、医療者の視点から医療問題をとらえがちである。研究の多くは、医療職によって行われているのも、その要因であろう。
「ひと」「生命」をトータルに考えるならば、哲学という学問も不可欠であると感じた。



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「自死という生き方 覚悟して逝った哲学者」 須原一秀(2009)双葉新書

2010-05-04 03:50:06 | 哲学
「平常心で死を受け入れるということは本当に可能か?-それはどのようにして可能か?」ということを身を持って研究し、その結果として残された書物である。

一時期ブームを巻き起こした「完全自殺マニュアル」とは異なり、常に冷静にそして客観的に、自身の死を迎える日々までを綴り、その心境(心構え?)を報告している。

「自死」は良いことは悪いことか?という二者択一の視点ではなく、「死を受け入れるということは、どういうことか?」という視点から読むと、理解しやすい点が多い。

キューブラー・ロスの死の受容は、ガンなどの告知を受けて、その後に経過する受容的な精神の展開過程であると位置づけ、自身については「死の能動的・積極的受容」と位置づけている。

引用「死の能動的ないし積極的受容の理論を5段階説で提案する」
①「人生の全体の高」と「自分自身の高」についてのおおよその納得
②死についての体感としての知識
③「自分の死」に対しての主体性の確立
④キッカケ待ちとその意味づけ
⑤能動的行動


まず思ったのは、残された家族の感情について。生もしくは死は、果たして自身一人のものなのか?という疑問が終始あった。
最後の章に、息子さんが書かれた「思い」がある。戸惑い、悲しむことにはかわりないが、「父らしい生き方」であったと、綴っている。
きっと「普通の」もしかしたら「普通以上に」、家族としての対話や各々の価値観に深い理解を示しあっていた家族であったのだろうと思う。

自死の賛否にとどまらず、「死」を捉える「珍しい視点」と私は受け取った。

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者
須原 一秀
双葉社

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