社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「がん闘病中の夫婦のコミュニケーションにおける困難-話題にしづらかった内容とその背景要因ー」鈴木いつ花(2019)

2023-04-19 13:48:17 | 心理学

『家族心理学研究』第32巻 第2号

 

夫(妻)をがんで亡くした配偶者を対象に、インタビュー調査を実施。

その結果を踏まえ、がん闘病中の夫(妻)を抱える配偶者を支援する際の視点を考察している。

 

引用

・がん闘病中の夫婦の間には、互いに察したり配慮したりするが故に齟齬が生じてしまうという、周囲からは捉えにくい複雑なコミュニケーションが存在していることが示唆された。

・配偶者は、自分自身が夫(妻)のがんを受け入れることと同時に、夫(妻)のがんの体験過程を理解しようとしており、二重の過程があると言える。

 

 いまや、2人に1人ががんに罹患する可能性があると言われている。

身近になりつつありながらも、治療方針や予後については多岐にわたり、考えることや決めることが多すぎることは、言うまでもない。

本論文では夫婦であるがゆえに、踏み込めないこと、聞きそびれてしまうことが、インタビュー調査の「声」によって綴られている。

「日ごろからコミュニケーションが良好であれば、言い残しや伝え残しがない。」ということにはならない。

そんな切ない声を本論文では丁寧に取り上げ、考察されていた。

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「意思疎通のとりづらい終末期がん患者に関わる家族の行動とその支援の検討ー医療者と遺族の視点からー」長谷川素子、吉田沙蘭(2022)

2023-01-21 13:34:15 | 心理学

『Palliative Care Research』2022年17巻3号

 

意思疎通のとりづらい終末期がん患者に対する家族の関わり行動とその支援について、

双方に対する半構造化インタビューを通して明らかにしている。

本研究における「意思疎通のとりづらい終末期がん患者」の定義:せん妄や傾眠、倦怠感や疼痛等により患者の意思を家族が読み取りづらい状態

 

引用

・意思疎通のとりづらい終末期がん患者に対して家族が行う関わり行動…3つの大カテゴリーに分類できた

  従来の患者に対する関わりの継続、患者の安心・安楽への働きかけ、患者の思いを推測する行動

・意思疎通のとりづらい終末期がん患者に対応する家族に対して医療者が提供する支援…9つの大カテゴリーに分類できた

  家族からの情報収集(例:家族の理解や受け止めを聞く)、家族への説明、家族への感情的なサポート、関わり方の提案、

  関わり方の提案を伝える工夫、関わりにおける家族に必要な情報の補足(例:患者の気持ちを家族に伝える)、

  関わりに対する家族へのフィードバック、患者と家族に対する医療者の態度の見直し(例:家族の意向を尊重した態度を取る)、

  多職種連携

 

 本論文は、終末期にあるがん患者とその家族を対象としているものであるが、重度の認知症者とその家族にも当てはまる部分が多い、

と感じた。どのステージ(場面)のおいても、利用者(患者)中心の働きかけが支援の柱にあると思うが、意思表示が困難な方に対しては、

より丁寧に扱われるのだと思う。支援者が患者の気持ちを(時には推測を含めて)家族に伝えるという行為は、それまでの関係性や

支援期間の長短に大きく影響するであろう。間違った一言や、適切ではない一言で、傷つき、後退する家族(遺族)も存在する。

そういった慎重さも決して忘れてはいけないと、強く思う。

  

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『認知症ケアで大切なことー介護場面における「ケア対コントロール」と日常会話』佐藤眞一(2019)

2022-05-25 16:32:33 | 心理学

『学術の動向』2019.5

 

認知症の人が感じる苦痛、介護する側がいつの間にか抱いている「支配すること」で得る満足感について、

事例を用いて論じている。

学術的な用語があり、読み進みにくい部分もあるが、「ハッ」と気づかされる論文である。

 

引用

・介護の場面では、自立の危機にある介護される側の高齢者は、人間としての対等性を前提として他者と関わろうとしても、それが叶わないことによって苦しみが生じる。

・人間関係一般における親密さは、ケア(care)とコントロール(control)の二側面からの説明が可能と考えた。ケアとは、相手を心配し、世話をすることを表しており、情緒的側面にも物質的側面にも関連する概念である。(中略)一方のコントロールは、相手に対する支配、管理、監督、制限、抑制、強制、束縛、高速などに関連する行動の背後にある心理的規制である。(中略)同じ行為であっても、相手がそれを愛情のある世話を認識するか、自由を奪う束縛と感じるかは、両者の関係性の質そのものを示している。

 

本論文では、ケアの提供を受けたものは、何かを返したいという気持ちになる。しかしケアを受ける高齢者は、金銭的にも物理的にも返すことが困難であり、「ケア」であるはずの行為にも心理的な苦痛を感じる…ということも紹介されている。そして、行動に見合ったお返しが得られない介護を提供する側は…。

互いの関係性がバランスの取れたものであれば、支配されている/支配しているという感情は抱きにくいであろう。

介護職に就く人が、いつの間にか「ケア」から「コントロール」に移行してしまうことは、他の職種よりも低賃金であることがその要因のひとつになりうると感じた。

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『「さよなら」のない別れ 別れのない「さよなら」-あいまいな喪失ー』 ポーリン・ボス(南山浩二訳) 再掲載

2022-05-07 12:52:27 | 心理学

今朝の読売新聞に表記の本が紹介されていた。

新型コロナウイルスの終息が見えない昨今、この考え方が注目されているとのこと。

2012年に本ブログで紹介した記事を再掲載。

↓ ↓ ↓

米国の家族療法家(心理学の専門家)による書物。
「死別」に限らない「喪失」の存在に注目し、「喪失をした証」(*死の場合は葬儀が存在し、それがある種の喪失の証となる)がない場合の喪失へのアプローチについて臨床経験を踏まえて報告している。

引用
・曖昧な喪失には、二つの基本的な種類がある。第一のタイプは、死んでいるか、生きているかどうか不明確であるために、人々が家族成員によって、身体的には不在であるが、心理的には存在していると認知される場合である(例:離婚家族、養子関係の家族)。第二のタイプは、人が身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知される場合である(例:アルツハイマー病、アディクション、慢性精神病等)。

・医師は、しばしば、未解決の深い悲しみの徴候を伴う患者に、抗うつ剤を処方する。しかし、薬物療法は、確かに大きの場合有益であるが、曖昧な喪失とともに生きなければならない家族成員を助けるのに十分ではないかもしれない。


学生時代の恩師が東日本大震災後に、支援に向かったソーシャルワーカーにスーパービジョンを行った際、本書の理論を用いたという。
津波等で家族の行方が分からない状態で過ごしている方たちは、まさに「あいまいな喪失」の只中であろう。
どこで/なにで気持ちのギアチェンジをしたらよいのか、死別とはまた違った形での喪失へのケアが必要なんだと気付かされた。

老いや慢性疾患による生活上の不都合も、あいまいな喪失に含まれるであろう。
そうとらえると、喪失に関する知識やケアの技術は、どの領域の援助者にも必要不可欠である。
頭の片隅に…だけでもいいので、「喪失は死別に限らない」と是非知っておいて欲しいと思う。

 

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「高齢者施設における宗教的な関わりの臨床的意義と課題ー特別養護老人ホームへの介護職員への調査を通してー」

2020-08-24 09:14:52 | 心理学

河村諒、中里和弘 Palliat Care Res2020;15(3):175-83

 

 介護職員への質的調査を通して、高齢者施設の宗教的関わりの臨床的意義と課題を探索的に検討することを目的としている。

「宗教的関わり」と聞き、特別な関わりと考えていたが、日本古来の習わしのことであり、日常的なイベントのことであった。

しかしこの日常的なイベントすら意識されていない介護施設も少なくないだろう。実践の振り返りとしても学び直すことができると感じた。

 

引用

(考察より)

・利用者面からみた宗教的な関わりの臨床的意義…参拝等の普段行っていない宗教行動、お盆やお彼岸といった時節柄の宗教行事、外出を伴う初詣等への参加は「非日常性」の要素を持つといえる。

・宗教的な関わりが死に関する場面でのポジティブな精神変化をもたらす可能性が示唆された。

・高齢者施設においても介護職員が利用者の宗教観、死生観を受容し傾聴することで介護職員への信頼感につながり、自分は大事にしてもらえるといった認識が実存的空虚感の緩和へつながる可能性が考えられる。

 介護施設への入所について、自らの意思で決める人はわずかであろう。さらにコロナ禍では家族との面会もままならないため、入所した高齢者の「見捨てられた感」は、相当なものであろう。筆者らがとらえているスピリチュアルペインは、そういった立場にある高齢者にももちろんあり、それを緩和できる取り組みのひとつとして、宗教的な関わりがあると論じている。

 私が勤務している特養はユニットケア型であり、居室への仏壇の持ち込みは許されている。しかしながら職員側の「渋々感」は否めない。居室移動のときに動かすのが面倒、認知がある人に必要なの?といった、施設側の理屈でである。

 残念ながら、介護職員にスピリチュアルペインを意識している人は多くはないと実感している。介護職員は本当に忙しい。そんな目に見えない痛みを知ることはできないし、そんな余裕はないと言われてしまうだろう。でもあと一歩。介護のプロとしてのもう一歩先にあるものとして、見えない痛みを見出し、アプローチができる職種であって欲しいと願う。

 

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「日本人遺族における宗教性と悲嘆、抑うつとの関連」坂口幸弘(2016)

2016-05-06 14:18:55 | 心理学
『遺族によるホスピス・緩和ケアの質の評価に関する研究 J-HOPE3』付帯研究9

 日本人遺族における宗教活動や死後観を明らかにするとともに、死別後の悲嘆や抑うつとの関連を検討することを目的に、質問紙調査を実施している。

引用
・20~40歳代の比較的若い世代において、特定の宗教をもたず、宗教活動をしていない人の割合が、上の世代に比べて相対的に大きいことを示された。
・死後観に関しては、各世代を通じて7割前後の遺族が肉体は死んでも魂は残ると考えており、特定の宗教をもたない遺族においても約6割がそのような考えをもっていた。
・回答者全体において、複雑性悲嘆の可能性が高いと評定された遺族は13.9%であり、大うつ病性障害の疑いがあると判断された遺族は17.2%であった。
 *大うつ病性障害→一般的に、うつ病と呼ばれているもの。


 特定の宗教をもたない世代が増えている中で、「死別をどのように感じているのか?」「どのような悲嘆ケアが有効か?」そんな疑問から本論を読んだ。
宗教によって弔いの儀式は様々で、それを十分に理解したうえでケアを提供することは、決して容易ではない。
よかれと思った声掛けが、「的がずれている」と受け取られてしまうこともありうる。
特定の宗教を持たないからといって、悲嘆に暮れるとは限らず、一方で信仰する宗教があるから救われるとは限らない。
その人がいま、別れの状況をどう感じ、何に痛みを感じているか。まずはそこに耳を傾ける必要があるのだろう…当たり前のことだが、難しい…。
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「10%科学者や20%実践家がいてもよい-協働的科学者-実践家モデル」平井啓(2009)

2016-04-27 13:28:14 | 心理学
『Communication-design 2 2009年3月』大阪大学コミュニケーションデザイン・センター

臨床と研究と。各々を得意とするメンバーがチームで研究活動をすることの可能性について、自身の研究活動形態を事例に紹介している。

引用
・異なる職種がそれぞれの専門性を発揮し、うまくコミュニケーションをとることによって、(中略)患者や家族と学問の世界をつなぐネットーワークのノードになる可能性があると考えられる。

・負担をかけすぎないネットワーク作り
 ⇒・日常的に情報交換をするだけではなく、意思決定が生じる場合にはミーティングを開催し、できるだけ多くのメンバーのコンセンサスを得るようにしている。
   同時にそれぞれのメンバーの役割分担を明確にして、必要な意思決定にのみ参加できるようにしてできるだけ負担が生じないようにしている。
  ・「メンバーはお互い全てを理解し合わないといけない」といったチームの凝縮性を高めるようなことは時にメンバーに対して多くの負担を強いることになり、チームの機能的側
   面を制限してしまうことがある。そこで、連携のためのネットワークやチームでは、お互いが全てをわかりあう必要もないことを念頭に置いて置かなければならない。
   つまり、ネットワーク全体の機能をどのように「デザイン」していくかが重要である。



 一人ひとりが有している知識や経験には限界がある。
 一人ひとりが物事に取り組める時間にも限界がある。
 
 実践家であり研究者。研究者であり実践家。
 いろんなスタイルがあっていい。そう実感した。
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「悲嘆は病気か?DSM-5と悲嘆の医学化への懸念」坂口幸弘(2013)

2016-04-09 10:42:51 | 心理学
『老年社会科学』35(3)2013

 米国精神医学会が定める精神疾患に関するガイドライン(DMS)の改訂内容と、それに起因する悲嘆の医学化への懸念、悲嘆を抱える人達への支援について論じている。

引用
・DMS-Ⅳ-TRでは、大うつ病のエピソード(MDE)の診断基準において、「死別除外基準」とよばれる項目が設定されていた。(中略)今回改訂されたDSM-5では、この「死別除外基準」が削除された。米国精神医学界によると、「死別除外基準」が削除されることで、MDEが見落とされることを防ぎ、適切な治療を受けられる機会を患者に提供することができるという。
 *「死別除外基準」→死別から2ヶ月未満の人は原則としてMDEの診断が下されない。

・死別からの期間に関係なく、医師は悲嘆反応とMDEの症状を慎重に見極める必要があり、その技量がいままで以上に求められることになる。
・そもそも死別に対する悲嘆は一般的には正常反応であり、ビリーブメントケア自体は過度に医学化されるべきではない。(中略)あえてケアという言葉を使わずとも、悲しみにくれる人の気持ちに寄り添い、支えるという機能を、われわれの社会は有してきたし、いまも失われたわけではない。しかし、その機能が低下しつつあるなか、外部の第三者に委ねたいというニーズが顕在化しているようにも思われる。


 医学が発達し、これまで見落とされていた様々な事柄に「診断」がつき、適切な治療が施され、多くの恩恵を受けてきている。
しかし一方で、その診断基準が医療者と患者のコミュニケーションの阻害要因になりうることもある。安易に頼らず、向き合う姿勢が必要なんだと考えさせられた。
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「死生観の心理学的考察」丸山久美子 『聖学院大学論叢』第16巻第2号 (2004)

2016-01-17 08:43:19 | 心理学
 宗教間の死生観の相違を見るために手に取った。
主にクリスチャンの死生観を知りたかったのだが、当然のことながら歴史的な経緯を十分に把握しないと理解を深めることができないため、難解であった。

引用
・現代の日本人の死生観…日本は一般に結婚式は神式、葬式は仏式などの習慣を有し、日常生活の至る所で多神教的色彩が強く、有り体には無宗教的社会を形成している。依拠すべき絶対的権威(神)が存在しない社会では、死は突然襲いかかる矢はであり、無である。しかし、人間は必ず訪れる死を自覚した時、それをいかに処置すべきかを時代状況に関わらず重大な問題として取り上げなければならない。殊更死を口にすることはタブーである。それ故、草葉の陰で見守り続けている先祖崇拝が信仰の対象になり、生まれ変わりの思想が発展し、生死輪廻、輪廻転生等の思想が仏教と結びついて民衆の中に浸透したとみるべきである。

・あらゆる宗教的核心は死を堺にして、あの世とこの世が存在するというメッセージにある。キリスト教もイエスの死を通して復活と永遠の命に至る筋道をつけた。イエス・キリストだけが知っているあの世(神の国)のことをキリスト教者は全てキリストに委ねつつ永世の思いを強めるのである。


 死を前に、人はその意味問い、そして自身の価値等に思いを馳せる。それはとても苦しく、辛い作業であると想像するが、看取る周囲の人間も同様であろう。
その人たちへの理解を深めるためには、思想の根幹となっている宗教観を理解することがひとつの糸口になりうるだろうが、筆者がしてきているような無宗教的社会である現代では、なかなか困難であると痛感した。
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「グリーフケア(遺族ケア)」中里和弘(2014)

2014-05-04 08:25:05 | 心理学
『がん患者のこころに寄り添うために サイコオンコロジーの基礎と実践 サイコロジスト編』大木桃代/編著 真興交易㈱医書出版部

 がん患者を支援するために、心理職向けに書かれた本の1節。グリーフケアの概要を諸説を踏まえて論じている。心理職に限定せず、広く入門書として活用できる。

引用
・遺族の悲嘆が通常の範囲である場合、介入目的は、遺族自身が主体的に悲嘆のプロセスに取り組み適応する過程を援助することにある。
・(セルフヘルプグループでは)複数の参加者が喪失の思いだけでなく、時間も分かち合うことを前提とする。
・遺族がセルフヘルプグループに参加した際は、面接時に参加体験のフォローを行う。適切な紹介とフォローが介入効果を高める。
・病室での死亡確認後のお別れの時間、エンゼルケア、霊安室での家族の待機、離院(見送り)時まで、患者・家族に対して敬意と哀悼の念を持った態度で臨むことが大切である。


グリーフケアの取り組みが少しづつ広がっていくなかで、援助者側の「提供している」という満足感だけで終わらせないためには、基本を意識し続ける必要があるということを感じさせられた。
また、グリーフケアの対象者は死別体験者とされることが多いが、認知症患者、障がい者も対象となる。もちろんそれらの人たちだけにとどまらない。
「喪失体験」という言葉が、より一般的に(というのは稚拙な表現だが…)応用されることを願う。

がん患者のこころに寄り添うために サイコロジスト編
クリエーター情報なし
真興交易医書出版部
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