民俗学者の立場から、看取りにまつわる儀礼とその歴史についての概説。
かつて当たり前であった自宅での看取りは、誰によって、そしてどのようにとり行われていたのか。
とても分かりやすく書かれている。
引用
・私たちは祖父母や両親あるいは知人たちの死を間近に見ながら人生を送り、最後には自分が死に至る。死の学習をするために人生儀礼がある。
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本書には、聞き取り調査の事例がいくつか紹介されている。
その中に、死が近づいている人は「抱っこしてくれ」「枕を外してくれ」と周囲の者にお願いをする。という調査結果が報告されていた。
現代のように、医療機関が身近ではなかった時代は、己の終わりを内なる何かから感じ取っていたようだ。
とても神秘的であり、とても人間臭いと思った。
それは同時に、己の命に向き合っていた証ではないかと思った。
医療が高度化した現代において、かつてのそのような現象を当てはめるのは現実的ではないだろう。しかし、己の内なる何かから感じ取れるその感覚、
そしてその感覚を重んじることができる支援のあり方は、必要であろうと思った。
かつて当たり前であった自宅での看取りは、誰によって、そしてどのようにとり行われていたのか。
とても分かりやすく書かれている。
引用
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・私たちは祖父母や両親あるいは知人たちの死を間近に見ながら人生を送り、最後には自分が死に至る。死の学習をするために人生儀礼がある。
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本書には、聞き取り調査の事例がいくつか紹介されている。
その中に、死が近づいている人は「抱っこしてくれ」「枕を外してくれ」と周囲の者にお願いをする。という調査結果が報告されていた。
現代のように、医療機関が身近ではなかった時代は、己の終わりを内なる何かから感じ取っていたようだ。
とても神秘的であり、とても人間臭いと思った。
それは同時に、己の命に向き合っていた証ではないかと思った。
医療が高度化した現代において、かつてのそのような現象を当てはめるのは現実的ではないだろう。しかし、己の内なる何かから感じ取れるその感覚、
そしてその感覚を重んじることができる支援のあり方は、必要であろうと思った。
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