社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

家に居たい患者さんに在宅ホスピスケアができること 岡部健(2006)

2008-08-31 22:54:59 | 医学
『緩和ケア』Vol.16 No.3 MAY 2006

以前は自然に行われていた「自宅での死」が、なぜノーマルではなくなったのか?という点に注目し、政策面、医療技術の進歩のみならず、文化的・社会的背景からも整理している。
そして今の社会が、「自宅での死」を取り戻すために必要なものは何か?についても、論じられている。

共感『診療報酬を在宅に誘導し、在宅死率を上昇させようという動きがある。それ自体は良いことだと思うが、「在宅死」を支える要件(緩和医療技術の水準確保、情報共有の方法、アセスメント、ガイドラインのチーム内共有などの、最低限持つべき技術)を考慮せず、安易に在宅医療を参画しようとする、危うい社会的機運が醸成されつつある』


共感箇所について…細かいことは現場まかせで、枠組みだけは整備する。という姿勢がある限り、「自宅での死」がノーマルなものになることはないだろうと思う。
せめて、援助者をサポートしてくれる機関が存在すれば、援助者(サービス提供機関)は孤軍奮闘せず、そしてより幅広い視野で、援助にあたれると思うのだが…。
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患者・家族を支援するということー医療ソーシャルワーカーの視点からー 松岡暖奈

2008-08-29 21:22:07 | 社会福祉学
『緩和ケア』Vol.18 No.1 JAN.2008

今更ながら…と感じるところもあるが、「ソーシャルワーカー」とはなんぞやを、事例を用いて紹介。コンパクトにわかりやすくまとめている。

引用
『本来MSWは、「環境の中にある人」を対象としている。つまり、「問題を抱える人」と「その人が置かれている環境」に焦点を当て、それらに影響を与える社会的・心理的・経済的関係から全体的に「ひと」を捉え、問題を解決する方法を探り、サポートしている。』
『医療機関に「患者」としてあらわれる「ひと」には、その人自身の「生活」があり、その中に「患者」という一面を持っているにすぎない。』


文中に、MSWにアクセスしてくる患者は…とある。いわゆる「病院」は患者数が多いため、患者さんは紹介をされて、SWのもとにいくのであろう。在宅療養支援診療所ではどうだろうか?
初回の窓口がSWになっているところも少なくないため、必然的にすべての患者に関わっていることもある。
「アクセス」してくるのではなく、最初から「伴走」している…これも在宅の現状の一つかもしれない。
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病院と地域の連携について 露木信介・鉾丸俊一(2006)「医療と福祉」

2008-08-28 23:18:56 | 社会福祉学
副題:医療ソーシャルワーカーと介護支援専門員のフォーカスグループインタビューを通して得られたこと

連携に際して、医療ソーシャルワーカーが求められる姿勢や知識、技術は何か?を探索することを目的として、調査が行われた。

介護支援専門員サイドとしては、病院は敷居が高いため、その窓口である医療ソーシャルワーカーに、「相談」することから「連携」が始まる…とのこと。また、大きな病院ほど、相談にのってくれない、話を聞いてくれないという印象を抱いているとのこと。
ソーシャルワーカーは、社会福祉学を基盤とし、「傾聴」をスキルの一つとしている。患者のみならず、外部の関係職種(この論文では介護支援専門員)に対しても、「傾聴」が求められていることが明らかになった。


この調査の対象は、有床医療機関のソーシャルワーカーであるが、在宅療養支援診療所のソーシャルワーカーにも通じる結果も見受けられた。
ありきたりの結果ではあるが、組織内外のパイプ役が求められていることについて、そのための「スキル」を掘り下げる必要があると感じた。
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東京のドヤ街 山谷でホスピス始めました。 山本雅基(2006) 実業之日本社

2008-08-21 15:33:44 | その他
題名通り、山谷でホスピスを行っている「宿泊所」の紹介。
先日、NHKでもこの宿泊所のドキュメンタリーが放送されていた。

ここは医療機関ではなく、あくまでも「宿泊所」。「在宅」というカテゴリーに入るとこのこと。対象者は「身寄りのない人、行き場のない人」で、財源は入居者にとっての収入源でもある「生活保護費」と、有志からの「寄付」など…。
この宿泊所のスタッフは「家族」の立場で生活を支え、医療や訪問介護なども、重複して利用している人が多いとのこと。
決して財源が豊かではない中で、スタッフの方は、なぜここまでできるのか?と感心させられる(もはや、感心という言葉では足りない気もする)。


山谷のみならず、今後高齢者が増えていくと、「家族がいない」「同居する人がいない」という人は、今よりも多くなるだろう。この人たちをどうやって支えていくのか。

「病院は治療や手術はできるけど、こころのケアまではできない。これは病院批判ではなく、役割分担の話です」という筆者の言葉が重たい。

民間人の「熱意」におんぶに抱っこではなく、政策としてどう支えていくのか、向き合っていく時期にあるだろう。

病院や施設は、「いつかは出ていく場所」である。「最期までここにいてもいいんだ」という思いは、人に穏やかな気持ちをもたらすであろうし、強さももたらすだそう。そのことを、入居者の表情から考えさせられた。
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児童期・青年期に死別体験をした青年の悲哀過程-悲哀の課題とソーシャルサポートとの関わりについて-

2008-08-15 22:12:33 | 社会福祉学
峰島里奈 社会福祉学 Vol.49-1 2008.5

親しい人物との死別体験がある、6人の青年に対する調査(半構造インタビュー)をもとに、死別体験者へのサポートのあり方について考察をしている。

調査対象者は、親しい人物を何らかの疾患で、「病院」で看取っている。
在宅で死を看取ることは、よりリアリティーがある…と、ある書物で述べている人もいることを踏まえると、在宅医療に従事している者は、より長期的にそして、援助対象者をより広範囲にとらえていくべきであろうと、考えさせられる。

本論文の調査対象となった方々は、「死生学」という授業を通して、死にきちんと向かい合い、亡くなった人と自分との立場を、再構成(再構築)できたようだ。

どう生きるか(どこまで治療をするのか)…が多様化しているからこそ、その後の受け止め方も(看取った人の受け止め方も)、多様化しているのかもしれない。

コメント (1)
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