社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

誰も知らないイタリアの小さなホスピス 横川善正(2005)岩波書店

2009-02-28 20:52:14 | その他
筆者は、医療者でもなく福祉従事者でもなく、美術系のアーティスト。
イタリア人の友人が、夫を亡くしたことをきっかけに民間のボランティア団体を作り、そのプロセスを紹介している。
それまで「死」や「看取り」を特に意識していなかった人たちが、あるきっかけで「より自然に」「より安らかに」…そんな死をサポートするためのボランティア団体を作る。それはとても無茶なように感じるが、「強い意思」が様々な壁を打つ砕くということを、感じさせてくれる。
医学書でもなく社会福祉系の援助論でもない。でもそれよりも、多くの「当たり前の人と人との支え方」を教えてくれる。

引用
「限りある時間を過ごす患者にとって、可能性や希望を安易に匂わせる態度ほど辛いものはない。居ても立ってもおれずに相手のなかに自分を投げ込んでゆくエネルギーは必要だが、それと同じくらいに大切なのは、相手と自分が通じ合う細い道が生まれるのを、ひたすら待ち望む忍耐なのだ。」
「ホスピスは患者自らが選びとった終の棲みかであるがゆえに、そこが本当の意味で極まった場所となる」
「看取りとは、最期を生き切る患者と一体となった、いわば駅伝の伴走のようなものではないか…(中略)ゴールに倒れこむ患者の手から、あとに残された家族へとたすきが受け継がれ、それを見届ける役目のことである」


日本ではまだまだボランティアは浸透しておらず、とりわけ在宅ホスピスでは、数える程度であろう。
本書の団体は、有償スタッフ5名に対し、ボランティアは140名もいる。それをサポートするスタッフもかなりの労力であろう。
しかしボランティアの放つ「力」は計り知れないことが分かった。スタッフは、それをきちんと認識しているからこそ、サポートできるのだろう。
自分たちで提供できるケアはほんのわずかに過ぎず、色々な風を送り込むためには、色々な人の手が必要。
「ホスピスは患者が選んだ極まった場所」…それが病院であろうが在宅であろうが、施設であろうが、場所ではなく「そこを選択した」ということが大切。そして最期に選択をしたことだからこそ、なおさら妥協も許されない。
色々な人が関わり合って、最期の選択を「最良の選択」と感じさせてあげることが、援助者にとっての最低限のマナーであろう。

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地域包括支援センターにおける多機関・多職種の連携と協働 野川とも江・高杉春代

2009-02-22 21:06:09 | 社会福祉学
『ソーシャルワーク研究』Vo.34 No.4 2009

保健医療福祉の法律上、制度上などなど、高齢者を取り巻くものは縦割りでの実施が多い。そのため、サービス利用を希望する高齢者等は、複数の機関に足を運び、煩雑な手続きを踏まねばならないことが多い。
ハードの面での改善が困難ならば、「人」を介して行われるものは、援助者間のネットワークを円滑にすることで、縦割りの対応を極力回避しようと提言。


・市町村と地域包括支援センターの役割分担についての提案
 ⇒関係職員の質の向上(自治体全域市区町村単位)
・チームアプローチを円滑に進めるための留意点
 ⇒チームメンバー一人ひとりの役割と責任を明確にすること
・チームアプローチにおける参画メンバーの心得
 ⇒自らの守備範囲を明らかにしながら協議を進めても制度のはざまであったりすることが多い。そんなときはメンバーが守備範囲を超えて支援する姿勢と知恵が必要である。そして守備範囲を超えていることを自覚していることが大切である。


「自らの守備範囲を超えて…」は、現状としてそうせざるを得なくても、こういった文脈で肯定的にとらえている論文を、私は初めて目にした。
「他にやる人がいないから、何となくやっている」「その問題に気が付くと厄介だから、気付かないフリをしておく」…そういうことは多々あるだろう。
それが自分の守備範囲のものか否か、客観的に考えて取り組むのと、感情に流されて「やっちゃっている」のでは、姿勢と結果が大きく異なるだろう。

たくさんの機関や職種がかかわる地域だからこそ、他職種への理解と、己の理解を十分に深めていかねばならない。そんなことを再認識させられた。



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地域ケアシステムにおける地域包括支援センターの機能に関する研究 鳥羽美香(2007)

2009-02-12 14:05:16 | 社会福祉学
副題:ソーシャルワーカーの役割と職種間協働を中心に
『文京学院大学人間学部研究紀要』Vol.9,No.1 

地域包括支援センターのことを知っているつもりではいたが、その現状をきちんと把握していないことに気づき、本論文を手にした。
東京都及びその近郊にある地域包括支援センターのソーシャルワーカー(社会福祉士)に対する面接調査を通じて、その実態を把握している。

地域包括支援センターとは…
『高齢者が住み慣れた地域で、尊厳のある生活を継続することができる、包括的かつ継続的なサービス体制を目指す、「地域包括ケア体制」を支える地域の中核機関としての役割を期待されている。』

実際には…
・期待されている役割に対して、それを充足できるほどの人員配置が敷かれていないため、ケアプランの作成に終始しがちなセンターもある。
・3職種協働の理念が掲げられているが、顔を合わせる時間が少なく、必要最低限の申し送りにとどまり、センター内のみであっても、定期的なカンファレンスの開催は難しいという声もある。

そんななかでも…
・地域の福祉保健医療の一番最前線のインテーク機関にならなければいけない、という声もあった。


地域において、「医療難民」「福祉難民」が生じないよう、そのセーフティーネットとしての役割を求められ、機能を果たしているのが地域包括支援センターであろう。
しかし実態にはバラつきがあり、個人の努力で業務改善が見込まれるものもあれば、地域をフィールドとした看護診断やソーシャルワーク診断、ネットワーキングのスキルなど…きちんと教育・サポートをしなければならないものもあるのでは?と感じた。

在宅療養支援診療所や訪問看護ステーション等は、地域のある一定の住民(患者)しか援助対象とならない。
自分たちが関わっていない住民(患者)を、どこかが何らかの形でサポートし続け、そしてある段階になったら、自身の組織に介入依頼がくる…そういった意識を持てば、自ずと「地域で見守る」ことができるのではないだろうか。

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周産期医療~小児医療の病状説明について感じること

2009-02-05 14:53:40 | あたまの整理
小児医療に関する論文を読むなかで、自身の経験から感じたことを

胎児(子供)の異常が「事前にわかる」ケースが多くなっている。それについて、遺伝カウンセラーの養成が少しづつ本格化している様子。
「事前にわかること」について、医療者は家族にどのように説明し、そして理解・受容をサポートするか…まさに模索中のようだ。

三次救急の指定を受けた周産期医療センターでの出産を経験した、一患者としての経験
同じ病室の患者さんたちは、「胎児に何らかの異常がある」と説明を受け、「胎内での治療」と「誕生後の医療管理」を実現させるために、転院してきていた。
何度となく医師と看護師、ソーシャルワーカーによる「病状説明」と「社会資源の紹介、提案」を受け、わが子の誕生を複雑な思いで迎えていた。
彼女たちにどんな内容であったかを聞くと、「○○という病気があるかもしれないし、ないかもしれない」「△△という障害が残るかもしれないし、そうではないかもしれない」とすべて「かもしれない」調の説明に終始し、最後は「結局は生まれてみないと何とも言えない」で締めくくられたそうだ。
医療者として、「予測できることについては、説明責任がある」のだろうが…。
ひとつの疑問…病状説明後に、ベットサイドに様子を見に来るスタッフはいなかった。患者同士で、病室内での不安や不満のやり取りが、日常的に行われていることを、知っているのだろうか?
「これはクールダウンの一種?それとも医療者の怠慢?」

医療機関に勤務していたSWとしての意見
ベット数(患者数)に対するSWの人数は少なく、日常的に患者と接している医師や看護師からの「依頼」があってから「動く」ことしか、現実的にはできない。
しかし病状説明後の「フォロー」は必須で、直接的にやり取りをする医師よりも、看護師やSWの方が良い場合もある。
その患者さんにとって、「誰が(どの職種が」、フォローに入るのに適任か?を事前に検討し、決めておくことも、病状説明の一環であることが本来であろう。

…病状説明は、その場だけでは済まない、継続的なサポートが必要な「一大イベント」であろう(疾患にもよるが)。
特に周産期~小児に関しては、援助対象者が胎児であったり、小児であったり、そして妊婦であったり、母親・父親であったり…立場が複雑で問題もデリケートである。
胎児に関する情報は、予測も含めて、とても多くを知ることができるようになった。親(場合によっては祖父母も)は、数多くの「予測」を理解し、そして決定していかねばならない。その負担ははかり知れない。
医療技術の進歩はめざましいが、「人間を支える」ことは、それに全く追いついていない。

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小児在宅支援に必要な社会資源の活用と地域医療連携 長岡美佐(2009)

2009-02-01 13:24:50 | 社会福祉学
『小児看護』第32巻第1号 2009

小児専門病院でSWをしている友人は、「妊婦の受け入れ拒否は…医療の発達により、処置を施すことで生きられる小児が増加→在宅の受け皿が不十分→退院できない小児が増加→NICUの満床状態が常態化…が原因」と指摘。
現状はどうなのか?を知るため、本論文を読んだ。

筆者の勤務する兵庫県の小児専門病院では、在宅人工呼吸器管理患者数が、この5年間で10倍近くにまで急増。その現実に、社会資源の整備等が進んでいないことを指摘している。

引用
「在宅療養生活が主流となった現在であっても、障害児を取り巻く社会基盤の整備は遅れていると痛感させられることが多い」
「介護保険においては、介護支援専門員というコーディネーターが法的に位置づけされているが、障害児を取り巻く現状においては、どの機関がその役割をするかが明確にされておらず、家族のみが必死に関係機関に働きかける現状も少なくない」


この論文では、地域と病院との連携がスムーズにすすんだことで、在宅生活が実現した事例を紹介している。
この事例では、地域でのコーディネーターは保健所の保健師が行っていた。

受け皿となる地域の病院(診療所)にSWが不足(不在)であれば、そうであろうと私も思う。SWがいれば、保健師と役割分担をしながら、連携をすすめれば良い。
虐待や子育て支援など、保健所が児童にまつわる業務を中心的に担っている。高齢者が地域包括を中心に担っているように、保健所(保健師)は児童…そういったことがあたり前に行われていることを願う。



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