社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「たましいのケア 病む人のかたわらに」藤井理恵、藤井美和 共著 (2000)

2016-01-29 08:01:44 | その他
 スピリチュアルケアについて、主に病院牧師の立場から説いている。

引用
・人生というのは案外、「自分のものだと思っていたのがそうではなく、神から預かっているものだということを知って、手放していく」という作業をするものなのかもしれない。
(p.106)。


 キリスト教者の持つ死生観を理解するために、本書を読んだ。
信仰を持つことで救われること。反対に、信仰を持つことで苦しめられること。その両者をうまく導いていくこともまた、信仰であることを知ることが出来きた。
 神から預かったものをお返ししていくプロセスが、死に往くプロセスにもなる。それが、キリスト教者の持つ死生観の一つなのかもしれない。と少し理解を深めることができたように思う。
 

たましいのケア―病む人のかたわらに
クリエーター情報なし
いのちのことば社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死生観の心理学的考察」丸山久美子 『聖学院大学論叢』第16巻第2号 (2004)

2016-01-17 08:43:19 | 心理学
 宗教間の死生観の相違を見るために手に取った。
主にクリスチャンの死生観を知りたかったのだが、当然のことながら歴史的な経緯を十分に把握しないと理解を深めることができないため、難解であった。

引用
・現代の日本人の死生観…日本は一般に結婚式は神式、葬式は仏式などの習慣を有し、日常生活の至る所で多神教的色彩が強く、有り体には無宗教的社会を形成している。依拠すべき絶対的権威(神)が存在しない社会では、死は突然襲いかかる矢はであり、無である。しかし、人間は必ず訪れる死を自覚した時、それをいかに処置すべきかを時代状況に関わらず重大な問題として取り上げなければならない。殊更死を口にすることはタブーである。それ故、草葉の陰で見守り続けている先祖崇拝が信仰の対象になり、生まれ変わりの思想が発展し、生死輪廻、輪廻転生等の思想が仏教と結びついて民衆の中に浸透したとみるべきである。

・あらゆる宗教的核心は死を堺にして、あの世とこの世が存在するというメッセージにある。キリスト教もイエスの死を通して復活と永遠の命に至る筋道をつけた。イエス・キリストだけが知っているあの世(神の国)のことをキリスト教者は全てキリストに委ねつつ永世の思いを強めるのである。


 死を前に、人はその意味問い、そして自身の価値等に思いを馳せる。それはとても苦しく、辛い作業であると想像するが、看取る周囲の人間も同様であろう。
その人たちへの理解を深めるためには、思想の根幹となっている宗教観を理解することがひとつの糸口になりうるだろうが、筆者がしてきているような無宗教的社会である現代では、なかなか困難であると痛感した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「仏教の死生観とスピリチュアルケア」谷山洋三 『臨床精神医学』38(7)2009

2016-01-12 17:07:01 | 哲学
 スピリチュアルケアと宗教的ケアの相違を踏まえたうえで、教理仏教の死生観と生活仏教の死生観について概観している。

引用
・教理仏教…文献学的研究によって明らかにされる
・生活仏教…葬儀などの生活レベルで把握される

・宗教的ケアの場合は、対象者が援助者(通常は宗教者)の「世界」に入ること、つまり援助者の信仰世界対象者が是認することが前提となる。(中略)逆に、スピチュアルケアの場合は、援助者(宗教者に限定されない)が対象者の「世界」に入ることが前提となる。

・緩和ケア等で実施されているスピリチュアルケアは、ケア対象者のニードや信仰が明確でない状況においては、まず対象者の世界観を尊重することが倫理的である。

・生活仏教の死生観は、葬儀、年忌法要、そしてそして仏壇における日々の礼拝や墓参に現れる。その特徴を一言でいえば「祖先崇拝」ということになる(後略)。

・スピリチュアルケアには、宗教的ケアの固定性への対応として生じた側面があり、個別で多様な対応が可能である。(中略)死の不安に対して、宗教的ケアにように“答え''を提示することは、必ずしも有効ではない。かえって信頼関係を損なうことさえある。対象者の世界をどこかにある“答え“の代わりになるもの(より深い自己への気づき)を語りの中で一緒に見つけることが求められる。


緩和ケア病棟はキリスト教に拠るところが多く、仏教徒である遺族にとってはグリーフケアを受けにくい(躊躇する)こともある、という声を聞く。
病院側は、宗教色を全面に出しているところは少ないと予想されるが、宗教が自身の根幹をなしている場合もあるため、デリケートな側面にもなりうるだろう。

そしてまた、同じ宗教を信仰しているからと言って、価値観が一致しているとは限らないということも念頭に置かねばならない。
亡くなりゆく人、看取りを経験した人にとってのケアは、画一的ではないと改めて考えさせられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「グリーフケアは要らない」という声が自死遺族にはある 岡知史 『地域保健2010.3』

2016-01-11 07:26:41 | 社会福祉学
 グリーフケアを必要としない(求めていない)遺族もいるということを、当事者の声を踏まえて伝えている。
「ケアを必要としない=それこそが必要としている対象者である」という、専門家の暗黙の認識に警笛を鳴らしている。

引用
・遺族たちが「グリーフケア」を要らないと言うのは、一つの明確な理由からです。つまり「自分たちの悲しみはケアされようがない」と思っているからです。その深い悲しみは、ケアされることなどないのです。まして、同じ体験を持たない人からは、どんな技巧を駆使した働きかけを受けてみても、その悲しみの深さには届かないと遺族たちは考えています。

・「悲しみもまた私たちのもの」と自死遺族たちは主張します。「悲しみ」は「専門家」やボランティアなどの他者に治療してもらうような「病」ではなく、また大切な自分の身体と同じように切って取り除くようなものでもありません。



遺族ケアが普及し、養成講座や大学での講義も増加していく中で、「ケアをしてあげる」ことで専門家の満足感(価値)をあげていやしないか…。
そんなことを指摘しているような気がした。今一度、専門家の立ち位置の再認識を…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする