『社会福祉学』第52巻第2号 2011
障害のある乳幼児をもつ母親について、早期の段階に焦点をあてた質的研究の報告。医師から診断を告げられた段階から、子を受け止める(受け入れる)までの段階について、母親の「自己のポジショニング」を軸に分析をしている。
引用
・Olshansky(1962)による「慢性悲哀説」⇒「苦悩や絶望と関連して表れる悲しみは親の自然な反応であり、それは途絶えることなく続く」
・わが子に対する「障害がある、もしくはあるかもしれない」という医師からの告知は、見通しのもてない不安だけではなく、<自己全体が崩れ>ていくという母親自身の存在を揺るがしていく。
・快・不快の分化も十分でない精神発達段階であっても、母親自身がケアすることで子どもの状態が安定するという関係は、相互交流が成立していると実感がもてるのである。ケアする-される関係は、母親にとっては自己のポジショニングを安定させるのに重要な役割をもつ。
・子どもからケアを必要とされないことが母親の<自己全体の崩れ>を強化させることにつながっている。
・(障害をもつ子どもを育てるということについて)1人ひとりの母親が自分自身をどう意味づけるかという<自己の意味づけ>を十分に尊重する必要がある。
・母親が自己のポジショニングを獲得するために必要なのは、レスパイトサービス等の提供による肉体的疲労の軽減などの「ケアの社会的分有」ではなく、承認や分かち合いといった「関係」にまつわる支援である。
自己の喪失、再獲得に対する支援も、グリーフケアである。
何らかの障害や疾患をもつ子どもを抱える親は、医療機関における「告知」からはじまり、在宅生活が始まれば福祉サービスの対象者となる。子が誕生し(もしくは誕生する前から)、常時そして長期的に、医療や福祉の対象者となり続けることは、それだけでも「しんどい」であろう。
そういった状況のなかで、「母親」としての自分の存在を模索することは、とてつもなく「しんどい」ものであろう。
母親が置かれている状況、抱えている困難を知るために、本論文はとても参考になると感じた。
障害のある乳幼児をもつ母親について、早期の段階に焦点をあてた質的研究の報告。医師から診断を告げられた段階から、子を受け止める(受け入れる)までの段階について、母親の「自己のポジショニング」を軸に分析をしている。
引用
・Olshansky(1962)による「慢性悲哀説」⇒「苦悩や絶望と関連して表れる悲しみは親の自然な反応であり、それは途絶えることなく続く」
・わが子に対する「障害がある、もしくはあるかもしれない」という医師からの告知は、見通しのもてない不安だけではなく、<自己全体が崩れ>ていくという母親自身の存在を揺るがしていく。
・快・不快の分化も十分でない精神発達段階であっても、母親自身がケアすることで子どもの状態が安定するという関係は、相互交流が成立していると実感がもてるのである。ケアする-される関係は、母親にとっては自己のポジショニングを安定させるのに重要な役割をもつ。
・子どもからケアを必要とされないことが母親の<自己全体の崩れ>を強化させることにつながっている。
・(障害をもつ子どもを育てるということについて)1人ひとりの母親が自分自身をどう意味づけるかという<自己の意味づけ>を十分に尊重する必要がある。
・母親が自己のポジショニングを獲得するために必要なのは、レスパイトサービス等の提供による肉体的疲労の軽減などの「ケアの社会的分有」ではなく、承認や分かち合いといった「関係」にまつわる支援である。
自己の喪失、再獲得に対する支援も、グリーフケアである。
何らかの障害や疾患をもつ子どもを抱える親は、医療機関における「告知」からはじまり、在宅生活が始まれば福祉サービスの対象者となる。子が誕生し(もしくは誕生する前から)、常時そして長期的に、医療や福祉の対象者となり続けることは、それだけでも「しんどい」であろう。
そういった状況のなかで、「母親」としての自分の存在を模索することは、とてつもなく「しんどい」ものであろう。
母親が置かれている状況、抱えている困難を知るために、本論文はとても参考になると感じた。