社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「ケアプラン作成支援AIを活用したケアマネジメントの展望」西口周(2023)『日本在宅ケア学会誌』Vol.27 No.1

2023-10-08 14:52:02 | その他

ケマプラン作成業務について、AIが支援できる可能性について紹介している。

すでに何段階かの検証は済んでいるとのことで、現実味を帯びた取り組みであることが分かる。

引用

・AIを活用してケアプラン第2表原案を作成することで、第2表原案作成時間が3~4割短縮された。また、約6~7割のケアマネージャーが業務負担軽減や新たな気づきの獲得を実感した。

・AIはケアマネジメントの一部を代替し専門職を支援するという位置づけであり、ケアマネジメントにおける専門職としての価値は変わらない。むしろ、AI活用に係る倫理的な配慮を行いながら人間とAIが共存し、ケアマネジメントの質や利用者像の解像度を高めていくという視点では、ケアマネジメントに係る専門職としての価値はますます高まる未来があるのかもしれない。

前任者から引き継いだケアプランについて、それを目標とする根拠や意図が不明確で、全体像が把握しにくいという経験は、少なくはない。

また専門職うんぬんという以前に、作文力(国語力?)の乏しいケアプランも目にする。

そういった面でもAIを活用することで、読み手にやさしく、根拠に基づいたケアプランができるのかもしれない。

また特に要支援者は、長期目標、短期目標が通り一遍になりがちであるため、ケアマネージャーが気づきにくい何かを提示してくれるのかもしれない…

そんな期待をおおいにしている。

 

 

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「やがて訪れる春のために」はらだみずき(2023)新潮文庫

2023-08-30 10:23:53 | その他

表紙のうつくしさに魅かれて手に取った。

読み物として秀悦でありながらも、認知症ケアにたずさわる者として、「症状」から人を見るのではなく、

「人」をまず見たうえで、その人をとりまく環境やしんどさを見ていくことの大切さに気付かされた。

引用

認知症と診断されたハルが娘に向けて…「だれだって忘れることはあるでしょ」「じゃあ、あなたは忘れたことがないの?」「忘れることはそんなにわるいこと?」

 

一人暮らしの家に、「あの子が来るから」と言う。

●●さんのおすすめの物が欲しい。

生花を引きだしにしまい、枯らしてしまう。

…いずれもこの物語で綴られていることである。認知症を診断されたハルの言動で、長らく一人暮らしをしており、

家族はどのような生活をしているのかをきちんと知っていなかった。

それゆえに、「一人暮らしなのに、子どもが来るわけがない」「●●さんなんて人は近所にいない」=幻覚

「花を本来ある場所ではないところにしまい込み、それを忘れてしまう」=収集癖(しまい込み)と記憶障害

と、とらえてしまう。

 

物語を読み進めると、これらの言動は現実に起こったことと一致していて、

幻覚でもなく、収集癖や記憶障害ではなかったことが分かる。

 

いったん診断がついてしまうと、それのフィルターを通して理解を深めようとする。

認知症ケアにおいて、その症状を適切に理解して、それをその人の言動理解につなげようとする。それ自体は悪いことではない。

しかし「本当にそうなのか?」といったん距離を置き、俯瞰で物事(もしくは人)を捉えることの大切さも忘れてはいけない。

そう考えさせられた。

 

 

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「死が近い高齢者をケアする際の葛藤:ケアスタッフが僧侶と研究者に語ったこと」岡村毅、小川有閑ら(2021)

2023-03-10 10:30:59 | その他

『日本老年医学会雑誌』58巻1号

 

僧侶と研究者の共同研究。終末期ケアに従事する介護職、看護職らを対象に調査を実施している。

宗教者に対する期待、医療機関に対する失望など、率直な言葉が印象的である。

引用

(インタビュー調査、発言要旨より)

・かつては施設での看取りは考えられなかった。ただでさえ、自転車操業な大忙しの毎日の中の片手間としてやっている。片手間でやっちゃいけないことを片手間としてやらざるを得ない今の職場環境はつらい。

・本人が求めているものにこたえられる何かを宗教者は持っていると思う。

・入退院を繰り返すことは本人にとっては苦痛であり、本当はゆっくり休みたいと思っているのではないだろうか。

・死に至る段階は医師や看護師から伝えたほうが説得力がある。

 

 特に認知症を持つ方に対して、本人の意思を汲み取れないこと(汲み取りにくいこと)による葛藤が多い印象を受ける。そして本人の「生きていたい」という意思よりも、「生きていて欲しい」と思う家族の気持ちが優先されていることも少なくないと、私自身も現場で体感している。本論文のインタビュー調査の発言の中に、「最期の最期の段階で、家族がやはり点滴をして欲しい、酸素をして欲しいと言ってくる」というものがあった。これは私も多く経験していることで、そこまでにどれだけ対話を重ねても、家族はぎりぎりまでできることを模索し、「できることはすべてやってあげられた」と思うことで、家族の死の受容に結びついていくのだということも、多く経験している。それでもなお、「まだ医療処置をし続ける意味があるのだろうか?」と感じることも、少なからずある。

 本論文を通して、医療者や福祉職だけでは入りきれない、受容と諦め(という表現は稚拙であるが…)の間に、宗教者が関わることで、本人・家族・ケア提供者の葛藤が軽減していくのではないか、思った。

 

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『死者の力 津波被災地「霊的体験」の死生学』高橋原、堀江宗正(2021)岩波書店

2023-03-05 10:47:29 | その他

被災地住民と宗教者への聞き取りに基づいた、調査研究をまとめている。

宗教者が真摯に住民に寄り添う姿が読み取れる。

引用

・「悲しみや苦しみを一皮ずつ剥いていく」のが宗教者の役割であり、葬式の機能なのではないか。

・霊にまつわる相談に対する宮城県の宗教者たちの対応

 →宗教者の多くが「心霊現象」に対して合理的、あるいは心理学的に理解しているにもかかわらず、

 「幽霊を見た」「霊に取り憑かれている」といった相談者の主張を頭ごなしに否定せず、受容するというのが基本姿勢である。

・宗教者たちの傾聴活動は、生きている被災者への傾聴だけではなく、縁ある死者への傾聴でもある。

 

 調査に協力された宗教者の方々は、「霊は存在しない」という解釈をもちながらも、それを訴える相談者を丸ごと受け止める。

そしてそこから、ただひたすらに話を聞く。筆者も指摘しているように、医療者(心理職を含む)では決して提供できない、

「答えを出さない(何らかの診断や処方等を出さない)支援」は、宗教者の唯一無二の役割なのだと思う。

死者の存在によって生かされている、そのように感じる遺されたひとも多くいるであろう。そのことをそのままで良しとする、

そんな空気感?土壌?雰囲気?空間?…それが本当に大切なのだと思った。

 

 

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「医療的ケアを必要とする子どもへの保育実践の機能-認可保育園でのフィールドワークによる探索的研究-」二宮祐子(2021)

2023-01-24 12:09:30 | その他

『子ども家庭福祉学』21巻

医療的ケア児を受け入れ、実践をしている認可保育園での実践について、研究者が短期間ではあるが参与観察をし、

さらに保育者にインタビューをすることでその実践内容をまとめている。

インタビュー内容は、保育士の思いが率直に、丁寧に取り上げられており、研究論文でありながらも、あたたかい気持ちにさせられた。

 

引用

・(医療的ケア児が増加する現状を踏まえ)今後は、これまで希望するサービスが受けられなかったり、

 サービスの申請そのものをあきらめたりしてきた潜在的ニーズが顕在化することが予想される。

 目下のところ、受入体制の整備に関心がむけられがちではあるものの、やがては、保育の内容そのものが問われるようになるであろう。

・医療的ケア児の育ちに寄与する保育所保育の専門的機能として、6つのカテゴリが明らかにされた。

  ⇒様々な感情の経験・仲間関係の形成・試行錯誤の促進・自己主張と自己抑制の促進・様々な職員との相互作用・様々な子どもとの相互作用

・<インタビュー調査回答より>(医療的ケア児にせよ,周りの子どもにせよ)子どもって、相手のことがよく分からないときは、

 どんどん押していく傾向があって、相手が迷惑がっていることもあまり分からずにグイグイ押してしまう。その時、「イヤ」って言うこと

 が自分の思いを表に出すチャンスになる。(エピソード略)お世話してくれる大人との関係だと心地よいことをしてもらえるだろうけど、

 相手が子どもの時はそういうことばかりじゃなくて。そういうときに素直に「イヤ」って言えることは、子ども同士の関係のなかで(学ぶもの

 として)大きいですね。

・(調査結果を踏まえた考察において)「個別的な配慮」のあり方について考察した結果、〈絶対的な配慮事項〉と〈裁量的な配慮事項〉の

 両方に目配りしながら対応しなければならないという難しさがあることが示された。

 *絶対的な配慮事項:医師から指示書など生命の保持に必要なこと、裁量的な配慮事項:保育者の個人的判断で行われること

 

子どもにとって居心地の良い環境とは?と考えたとき、「自分のことが最優先されて、否定されないところ。」とは限らないということを

この論文を通して思わされた(生命の維持は最優先ということは言うまでもなく)。

子どもの感覚はとても鋭くて、遠慮がない。それをうまく生かし、相互作用に導いていけるなんて、保育士はすごいな~とただただ感動した。

決して高待遇ではない保育士に対し、医療的ケア児が増加していく状況を踏まえると、あらたな専門性が求められていくのは容易に想像できる。

そこをどのように支えていくのか、議論が必要となっていると考える。

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「障害者差別解消法とバリアフリー・ユニバーサルデザイン」飯塚潤一、福井恵(2018)

2023-01-04 10:23:50 | その他

副題:できるところから始める障害学生・教職員支援『大学図書館研究』108号

障害者差別解消法施行に伴い、大学図書館にもその順守義務が生じた。具体的にどのような取り組みが求められ、そして実現可能なのかを大学図書館の取り組みを通して紹介している。法律の説明を丁寧にし、それを読み解きながら実践に落とし込める方法を提示しているため、HOW TO本としても活用できる印象を受けた。

 

引用

・図書館利用に制限があるものは誰か(中略)

 ①入館する、②本を探す、③OPACで蔵書・文献検索、④書棚から書籍を選ぶ、⑤(閲覧席で)本を読む/学習室で勉強する/PCを利用する/AVブースでDVD等を視聴する、⑥本やAV教材等を借りる、⑦図書館司書に相談する、⑧退館する、などのアクセスに対して、相当な制限を受ける状態にある者

・(障壁を減らす取り組みに対して)事業者の人員・財政状況等を踏まえて…

 「当事者を交えて」

 「できることからすぐに始める」

 

 図書館利用というと、段差解消や利用機器の制限というところまでは思いつくが、手に取る情報量にも差が出てくるというところまでは、リアルなものとしての発想が及ばなかった。

 ハード面の解消のみでは解決しにくく、すべての人にとって、まったく障壁のない環境というのは存在しないであろう。だからこそ、人的サービスでカバーできるもの(他機関連携を含む)を活用し、その障壁を少しでも減らしていくことが必要なのだと感じた。

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「小学生を対象とした図書における障害者の扱われ方と障害者理解への影響に関する一考察」岡﨑千紘、石田祥代(2022)

2022-12-29 12:23:26 | その他

『千葉大学教育学部研究紀要』第70巻

小学生のための課題図書を対象に、それらから与えられうる障害者のイメージを検討し、読書による障害者理解の可能性について提示している。

引用

・受容的態度とは、相手を否定も肯定もせずにありのまま受け容れることであるが、これが行為や支援と同視されてしまうということは、「ありのままを受け容れること」もいわば「やってあげる」という意識から生まれることにつながりかねない。

・小学校の学級図書や図書室に障害がテーマの図書を配置する場合、以下の事項に注意する必要があると考えられる。

①現代の障害者観に合っている

②児童の読書能力に適している

③心理描写が極端でなく現実に即している

④古い図書の場合、児童が時代背景を理解している

⑤同じ障害をテーマにした図書が身近に複数配置されている

 

パラリンピックがやドラマなどを通して、「障害がある人」「病気を抱えて生きている人」の存在が、以前よりも目に見える存在として登場しているように感じる。

どんな素材であっても、子どもに渡しっぱなしであっては意味がなく、その素材を通して、どう感じ、どう考え、どう向き合いたいかなどを、じっくりと話すことが必要であろう。

その素材づくり、素材選びの責任は大人にあるのだと、責任を感じさせられる論文であった。

 

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「動物医療ソーシャルワークと動物看護師」山川伊津子(2020)『Veterinary Nursing 』Vol.25 No.2

2022-12-14 12:04:53 | その他

 とても耳慣れない言葉に興味を持ち、本論文を手にした。日本では聞きなれない分野であるが、米国では学問として成立しており、専門家の育成も行われているとのこと。人間を対象としたいわゆる一般的な「社会福祉」「ソーシャルワーク」に携わっている人、動物に関することに携わっている人、どちらにとっても、とても刺激的な報告であると感じた。

 

引用

・アメリカでは、人と動物の両者に関わるケースを扱う対人援助としてVeterinary Social Work(動物医療ソーシャルワーク、以下VSW)がある。

・アメリカのテネシー大学ノックスビル校では、(中略)VSWの説明として以下のように記載されている。

  ○動物と人の双方が関わる局面での人のニーズに対する支援の提供

・ASW宣誓では下記が謳われている。

  ○人と動物の関係において起こる人のニーズへの対応

・具体的にはVSWを4つの領域に分類している。

 ①動物に関わる悲嘆と死別 ②動物介在介入 ③対人暴力と動物虐待の連動性 ④共感疲労と葛藤のマネジメント

・動物が身近な存在となった現代社会において、人は動物から多くの利益を享受する一方で、双方に関わる問題も様々発生している。これらのケ 

 ースに介入していくのが動物医療ソーシャルワークであり、人と動物のそれぞれの専門職の連携・協働が必要となる。

 

 専門職を確固たるものにしていこうと、さまざまな業務に「ソーシャルワーク」や「認定●●」といった言葉をつけ、資格化をはかろうとする施策が多いように思う。この動物医療ソーシャルワークもそのひとつなのでは?と、疑いを持ちながら読み進めた。しかし読むことでその疑いは薄れ、筆者が指摘しているように、超高齢社会を迎える日本において、今後はより明確化されるべき分野であることも分かった。動物との接し方で見えてくる人間の多面性を理解し、支援に結び付けていくためには、こういった学問があるのだと新しい知見を得ることができ、とても嬉しい気持ちにさせられた。

 

 

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スピン/spin

2022-11-16 14:44:55 | その他

電子書籍がメジャーとなりつつあるいま、

紙にこだわった新雑誌が創刊された。

 

夕刊のめくっていくと、本書が紹介されており、

編集長のインタビュー記事が載っていた。

編集長は中学時代の同級生。

なんと!すごい!の思いから、本書を手にとった。

 

編集長は中学時代、

端はよれよれ、マーカー引きまくりのボロボロの「出る単」(英単語集)をいつもめくっていた。

とても物知りで、勤勉で、世話焼きで、そんな彼が手掛けた雑誌なら、

面白くないわけがない。

卒業後、一度も会ってはいないが、

ほんの一時期でも、

おなじ空間で過ごした人が頑張っていることを知り、

なんだかうれしくて、ほっこりとした。

 

 

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「人生の終盤に向かう過程の事前準備支援に関する対話へのケアマネージャーの関与」

2022-10-03 13:45:40 | その他

島田千穂、伊東美緒、児玉寛子/第67巻第7号『厚生の指標』2020年7月

 

その人の人生の終わりの時期に深く関わっていくケアマネージャーを対象に、質問紙調査を実施している。

「どのように過ごしていきたいか」の対話について、高齢者本人、そして家族と、どのくらい・どのように行っているのかを確認している。

 

引用

(調査結果から)

・ケアマネージャーの97.8%が、人生の終盤に備えるための準備支援が必要と回答し、その必要性は高く認識されているにもかかわらず、8割以上の利用者に対して事前に対話していた人は12.0%にとどまった。

・ケアマネージャーの基礎資格との関連をみると、利用者本人、家族との事前対話頻度との優位な関連は見られなかった。

・ケアマネージャーの介護に対する介護規範意識によって、本人との事前対話への関与の程度は異なり、(中略)家族が看取りにかかわるべきと考える人ほど、本人との対話は少なくなっていた。

 

「人生をどのように終えたいか」「どの程度までの積極的な治療を希望するのか」など、人生の終盤には、事前に決めておきたいとても大切な事柄が詰まっている。

その人の終わり方は、家族の意向に左右されるかもしれないし、その時に関わっている専門職の価値や力量に左右されるかもしれない。それゆえに、ある程度は明確に、意思表明をしておく必要があるのだと思う。

今は望めばどこまでも、「生き長らえる」ことができるようになった。だからこそ、自分のしんどいと感じることを、早めにわかりやすく、家族や近しい人に伝えていければと思う。ケアマネージャーのみならず、人の生活を支える人たちには、「死」をタブー視せずに、日ごろから話し合えるきっかけを作っていって欲しいと願う。

 

 

 

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