社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

良い支援? 知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援 寺本晃久ら(2008) 生活書院

2009-01-29 22:10:02 | 社会福祉学
知的障害/自閉の人たちへの、地域における支援/介護者の姿勢(あり方)について、介護者、親などの立場から論じている。

プロとしての介護者からの「見守り」や「待つ」ことの必要性、そして家族で抱え込むことの危険性を明確に論じている一方、親の立場としての「見守る」「待つ」ことの難しさ…双方の置かれている立場(混乱、苦悩、迷いなど)が、事例を通して感じられる。

プロとしての介護者たるや…提言は「その通り」と思っていても、大きな組織に所属すればするほど、その実行は難しい。現場で介護職を育成していることに敬意を表しつつ、「現実は(多くの現場は)どうだろう」と何度も考えさせられた。

引用本書で主張するのは、「周囲の人々や支援が、目の前にいる障害をもつ○○さんのことを知っていく、慣れていく」という支援のかたち(p.284)
*自立ができる/できない…という見方ではなく。


以前関わっていた方で、食事管理が上手ではなく、常に採血上に問題があり、どこまでを彼(彼女)の「思いとおり」にさせるべきか…と悩んだことがある。
主治医機関として、健康管理をするのは「義務」であり、それが「目的」である。互いの方針が一致せず、「ウマが合わないから、病院を変える」と縁を切ってしまうのは簡単だ。しかしそれではきっと、彼(彼女)は、延々と病院を変え続けるか、「意見」を聞くのが嫌になり、病院にかからなくなるだろう。
身体障害をもつ方々を中心に、地域生活支援を含む「当事者主権」の動きが活発化している。
おそらく従来の「医療者たるや」の姿勢では、関係づくり?支援体制?の構築は難しいだろう。
何をもって「支援」とするのか、とても考えさせられた。



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「ケアのための空間」 三浦研(2008) 岩波書店

2009-01-22 15:58:32 | その他
『ケア その思想と実践 6 ケアを実践するしかけ』収録

物理的な「空間」にとどまらず、人と人が生活をすることは、「空間」に働きかけていることでもある…というソフトな面についても触れている。

大規模施設がもたらす、ケアの限界。小規模施設がもたらす、人間関係を構築する上での弊害。生活をする「器」によって、人は様々な影響を受け、そして「慣らされる」のだと考えさせられる。

引用人は空間からある種の感情をいだくだけでなく、逆に空間に働きかける存在だ


「目で取る情報」…自身が実践する上で、注意を払っていたことの一つである。
在宅医療は当然のことながら、患者さんの自宅でサービスが展開されている。
訪問に伺った際に、お話を聞きながら、壁に飾られた賞状や家族の写真、手描きの絵や手作りのパッチワークなど、患者さんがいる「空間」から、多くのことを知ることができた。まさに、その人が作り上げた「空間」である。
残念ながら、日本の福祉施設は、画一的なところが多い。本書でも紹介されていたが、スウェーデンの施設は、個室であること、そして家具などの持ち込みは当り前のことである。
「個別性を重んじる援助」の究極は、どんな場所であれ、その人の「空間」を作り続けられること…かもしれない。



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小児がん チーム医療とトータル・ケア 細谷亮太・真部淳 著(2008)中公新書

2009-01-18 13:52:43 | 医学
小児専門病院に勤務している友人から、「小児のがん告知は、ほとんどが本人抜きで行われている。10年前の成人への対応と似ていて、すごく意識が遅れている」と聞き、本書をひらいた。

疾病について、医療体制について、そして今後の在り方、諸外国の動向など、専門的でありながらも分かりやすい。ひろく一般の人にも読んでもらえるように…という筆者の意図が伝わる。

・3~5歳の子供は、まだ死の概念がはっきり認識されておらず、死の非可逆の理解も難しい。しかし年齢を重ねるにつれ、その理解はなされていき、通常思春期以降は、成人と同程度の理解ができるといわれている。
・緩和ケアをはじめるタイミング→治癒をめざした治療が難しいかもしれないという予感が生じたころから、自然にケアを主体とした医療に移るのが望ましい。


「緩和ケア=終末期医療の体制」ととらえられている。それが小児医療だからなのか、筆者のもつ定義なのかは分からないが、私はやはり、緩和ケアは終末期だけのものではないと感じる。
「痛みをとる」ことが緩和ケアとされているが、それはどの疾患であっても、どの年齢であっても、どの場所(医療機関)であっても行われていることだ。確かに、ガン性の疼痛は、ペイン専門医のかかわりの有無もしくは、痛みのコントロールの技術を持つ医師の有無で、その対応は雲泥の差であることはよく知られている。
そういった意味での「痛み」とするのか、疾患を抱え、生活をしていく上での様々な痛みをも含むのか…概念の整理がますます難しくなっているように思う。

小児患者は、在宅で終末期を迎えることは、まだまだ数が少ないとのこと。それは受け入れる体制が少ないことも、大きな要因となっていると指摘。
慢性期にある小児患者の主治医は、小児科医でなくても、一般内科医でも十分だという声を聞く。それでもやはり、受け手として、「小児」であるがゆえに特別視してしまう「何か」がある。
実践例が少ないがために、その対応方法が蓄積されていないからなのか…。

補足(初めて知ったこと)
「ムンテラ」の由来…「ムント(口)+テラピー(治療)」の造語で、「患者をうまく丸めこむ」という、よくない解釈が含まれている。

「チャイルドライフスペシャリスト」…苛酷な状況にある子供たちが、そのような環境が原因のトラウマをこうむることがないように支援する。例えば…遊びの中から病棟の子供たちにかかっているストレスを敏感に認識し、積極的にトラウマから護る方法を遊びに取り入れ、駆使する。病棟保育士や小児心理士と業務内容は似ているが、専門性に違いがある。

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「愛」なき国  NHKスペシャル取材班&佐々木とく子(2008)阪急コミュニケーションズ

2009-01-14 22:40:49 | その他
介護に携わる人材不足問題に焦点をあて、その大きな原因の一つである、介護保険のカラクリについて説明。また、人材不足解消のために海外からの労働者を受け入れることになった経過と、現状について触れている。

「書く」ことの専門であるライターさんが文章をつづっているため、とても読みやすく、説明も簡潔で分かりやすい。

・居宅や施設で展開される「介護業務」に対する報酬は、介護保険法の下、介護報酬によって一定額が決められているため、人材確保の重要ポイントである「人件費」の改善ができない現状がある。
・特別養護老人ホーム等は、虐待を受けた高齢者の緊急入所を請け負う。このような、行政的側面を持つセーフティーネットの機能を有していても、ベットが空いているとその分の収入は見込めない仕組みになっている。⇒ベットを空けておくことで、施設側の収益が下がるため、「常に満床」にしている施設がほとんどである。
・介護業務は、「生産性」がないとみなされる職種(職業)である。


読めば読むほど、なぜ介護業務がこれほどまでに見下されるのか…と悲しくなる。
介護は、主に女性が担ってきた「家事労働」の一環であるとみなされてきた側面もある。それゆえに、「専門性」であったり「プロとしての評価」が立ち遅れているのだろう。
訪問診療や訪問看護は、「在宅での生活を長く維持できるためのもの」と言われているが、訪問介護は「在宅生活そのものを作る基盤」である。生活基盤がない以上、訪問系の医療サービスは効果的に機能しない。それは自身の経験から、実感している。食事も摂れない生活環境の中で、医師が治療を行っても何の効果も得ない…そういうことである。

「誰にでもできる仕事」であれば、人材不足に悩む構造は生まれない。福祉専門職への認識を高めるためには、実践を形にし、「専門職」としての位置づけを確固たるものにできるよう、今以上に奮闘しなければならない…ということなのだろう。
大変な事態だなぁ

実践を言語化する方法について(P.266 宅老所の取り組み)
一人の利用者のエピソードを、「当事者」「家族」「地域」の3つに分解し、それぞれの事実と、それに対する考察を記入する。

一利用者の援助経過の記録にとどまらず、「考察」に注目することで、「介護職」の専門性はなんたるや…のエビデンスになる。






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「チームケア論」 第5章チームケアの実際≪事例編≫ 鷹野和美(2008)

2009-01-11 22:24:58 | 社会福祉学
9つの事例を紹介。
そのなかで、チームは医療者のみで構成されるのではなく、施設もしくは病院の職員全員、そして地域住民をもその対象となることを説いている。

引用
がんの告知に関する記載…「告知(お知らせ)するからには、その後を支えきるだけのケアチームの用意が不可欠である」


病院(施設)であれ、地域であれ、ニーズを抱えた患者(利用者・住民)を支える/そのためのサービスを開発するためには、誰もがチームの構成員になりうる。それは当り前のことかもしれないが、組織のなかで目の前の仕事をこなすことで精いっぱいの状況にいたら、「理想論」として消化してしまうかもしれない。
しかし今後、在院日数の短縮、療養型病床の削減等で、多くの人が在宅ケアの対象となる。対象となる人が増えることで、ニーズもより多様になっていくだろう。
ニーズを洗い出し、解決に結びつけるためのサービスを開発し、サービスの継続に工夫を凝らしていく…そういった働き(機能?)も、ソーシャルワーカーに求められてくるのかもしれない。
病院のソーシャルワーカーが、院内から遠隔操作で行うのではなく、地域を活動基盤とするソーシャルワーカーが行うほうが効率的な印象を受ける。
地域包括の社会福祉士、社協の社会福祉士等は、実際に取り組んでいるところもあると認識している。
では、診療所に所属するソーシャルワーカーはどうだろうか?広く地域に目を向け、活動が展開できているだろうか(もしくはできる環境に置かれているだろうか?)。



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「チームケア論」第3章・第4章 鷹野和美(2008)

2009-01-10 22:47:33 | 社会福祉学
第3章「チームケアの可能性」
チームケアは、援助者主体で存在するのものではなく、利用者のニーズがあって初めて存在するということを、繰り返し述べている。
⇒様々な職種が意見を出し合い、練り上げていくプロセスこそがチームケアであり、出来上がったプランに基づいて、粛々と決められたサービスを分担しあうだけのものは、チームケアとは言わない(p.64 一部引用)。

第4章「医療と福祉の接点」
引用有効なケアチームを生むには職種間の相互理解が必要
⇒教育課程で、他職種の役割や専門性を知る機会を設ける必要がある…と提案


第4章において、「社会福祉士」についての説明があった。
引用「福祉サービスが必要な人のために、専門的な知識や技術により相談や助言などの援助を行う社会福祉の専門家」

「社会福祉の専門家」…そういった説明に、くすぐったい感じを受けるが、そのくらいの意識(自覚)を持って援助にあたることが本当の意味でのプロなのかもしれない。
そして、「当事者(サービス利用者)が一番の理解者である」という考え方がある。押し付けではなく、伴走者の意識で援助を行うことも、社会福祉の専門家であるがゆえの姿勢であると思う。

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チームケア論 医療と福祉の統合サービスを目指して 鷹野和美(2008) ぱる出版

2009-01-08 21:29:26 | 社会福祉学
「チームケアって、一体何ですか…?」と現場で奮闘する後輩に聞かれ、言葉に詰まった。
医療・福祉に関する法改正のたびに必要性が叫ばれ、明文化されることで、言葉そのものは浸透してきている。しかしその言葉が本当に意味することは何か?あらためて考えさせられた。

分厚い本ではないが、言葉をじっくり消化するために、複数回に分けて紹介したい。

『第1章 チームケアとは何か』
引用
チームケア…利用者のニーズに規定される、複数の医療と福祉の専門職によるフォーマルサービスと、非専門職のインフォーマルサポートを統合して提供されるケアサービスの形態と機能

・ケアチームは、利用者があってこそ存在する。
・デンマークのある病院は、平均在院日数6日以下。入院時には在宅で関わっていた「コンタクト・パーソン」が同行し、申し送り。入院中は、院内の「コンタクト・パーソン」が全ての連絡窓口になり、退院後の引き継ぎも行う。このチームケアがあるからこそ、在院日数の最短化が実現している。


ケアチームが本来的に有する志向性は複数ある。それは、ひとつのチームにどれか一つ…という志向の在り方ではなく、その場所や場面によって、ある志向が大きく位置づけをする、とのこと。
「チームがいかに多様に変化できるか?」が、そのチームの援助の幅の広さにもつながるだろう。
例えば在宅医療の場において、退院間近で在宅調整を緊急的に短期間で行わねばならぬ時の志向と、サービス導入が定着し、定期的もしくは適宜に情報交換をする程度でおさまる時の志向とは、違いがあるだろう。

その場面場面での対応をいかに柔軟に行っていくか。
それを見極め、札の差し替えをスムーズに行う…これも専門家としての姿勢なんだと考えさせられた。
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地域における見守り活動のあり方 河合克義 (ゆたかなくらし2008年6月号)

2009-01-07 14:42:44 | 社会福祉学
近年増加傾向にある「孤独死」の現状と、各自治体が取り組んでいる活動内容を紹介(主に東京都港区、横浜市鶴見区)。

著者が行った実態調査の結果→港区と鶴見区のひとり暮らし高齢者の特徴 
①3割が貧困状態 ②孤立している高齢者が多い(孤立=「病気や体が不自由になったとき」にも誰も来てくれる人がいない状態)。
…孤独死や餓死問題を考える出発点はここにある、と指摘している。

引用
厚生労働省が進めている対策
①「孤立死防止推進事業(孤独死ゼロ・プロジェクト)」
②「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」の報告書(タイトル「地域における『新たな支えあい』を求めて-住民と行政の協働による新しい福祉-」)


住民同士のつながりを尊重しながらも、公共機関も関与していく…どうやらそれが、国の求める「新たな支え合い」のひとつの形のようだ。
それは今と何が違うのか?
国庫補助事業で、それらの実態調査や対策の検討、モデル事業の推進をはじめたことは、ある意味「今の時代」ならではの現象なのかもしれない。
介護保険をきっかけに、民間事業者の参入を奨励したことで、地域住民への公的機関の介入が減少したのは、明らかである。
「新たな支え合い」を住民に求める以前に、公的機関としての責任体制の検討も必要ではないだろうか。
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高齢者医療難民 吉岡充 村上正泰(2008) PHP新書

2009-01-05 16:08:26 | その他
副題:介護療養病床をなぜ潰すのか

吉岡氏:医師、村上氏:元財務省(厚生労働省への出向歴あり)職員による、その問題提起と廃止案可決に至るまでの動きをまとめている。
吉岡氏の章は、話し言葉でつづられているため読みにくい面もあるが、現場の医師が持つ「苦悩」を感じることができる。

・介護療養病床の廃止の結果、約11万人の高齢者が行き場をなくすと予想。
・受け皿の整備として設けた在宅療養支援診療所は約1万か所が登録を申請しているが、実際に24時間体制で稼働しているのは、200クリニックしかない。
・そもそも違う目的で設けられた「医療区分」(3段階)が、介護療養病床をなくすための目安として用いられることになった。この発想そのものが、実情を無視した政策の発端である。

引用
「高齢者医療では、医療とケアを分けることができないということです。生命を支える医療と生活を支えるケアが切り離せない。そうしたケアを毎日ていねいに続けていくことで、状態の増悪や急変を防ぐ、それが介護療養病床が行っていることです」(P.27)



「今の状態をキープするために、ケアをする/受ける」という考え方が、根本から崩されてしまいそうな危機感を抱いた。
「医療区分1」に該当する人が、今後入院対象とならないのであれば、自宅で介護体制をとれない人は、何らかの医療処置(IVHや胃ろう、人工呼吸器など)をあえて行い、そして入院するほかないのだろうか。
「家で看取る/看取られる」というのは選択肢の一つとして保障すべきことであり、国が強制するものではない。
このままだと病院でも在宅でも、その体制が十分に整備されないまま、「延命治療」の技術が悪い方向で活用されかねない。
「受けたいケアを受けたい場所で保障される」…こういった考え方は、通用しなくなっていくのだろうか。



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「許す心②」 朝日新聞朝刊 1月3日付

2009-01-03 16:01:58 | その他
ただ世間話をしたくて、週に何度も家に上がりこんでくる隣人がいる。それでも追い帰すことはなく、この「迷惑かけ屋さん」に気持ちを「合わせて」、存在を受け入れる
…そんな付き合いが日常的に行われている、ある集落が紹介されている。


こうした「心のつながり」が取り上げられるのは、いわゆる「田舎」であることが多い。
この記事を読みながら、日本がビバリーヒルズ化していることを報じた別の記事を思い出す。
セキュリティーとプライバシーを重視するため、街全体に入り口を作り、居住者以外の出入りを厳重にチェックする…そんな物件が、首都圏を中心に出始めているとのこと。

周りの人と協力しながら、生活をしていく…それは社会生活を営む上で、最低限のマナーのように思えるが、実現は容易ではない。
特に、新参者の集まりでつくられ、個々の生活スタイルを優先することが当たり前の風潮となっている都会では、「迷惑かけ屋さん」は生まれようがないのかもしれない。
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