社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「ホスピス・緩和ケアにおけるグリーフサポートとソーシャルワーカーの役割」岩本喜久子

2012-07-20 10:39:25 | 社会福祉学
『ソーシャルワーク研究』Vol.37 No.4 2012

グリーフケアにおけるソーシャルワーカーの役割について、諸外国における筆者の臨床経験とインタビュー調査をもとに、具体的に説明している。

引用
・ソーシャルワーカーがグリーフ支援を効果的に実践するには、グリーフに関する正しい臨床的知識を理解することが第一である。そして、グリーフを体験している個人の潜在的な回復力を信じ、グリーフには幅広い反応と体験がある、と教育することである。
・(医師からのがん告知を受け、混乱のなかにいる患者、家族に対してソーシャルワーカーが行った最初の介入は)医師が話した内容を、もう一度専門用語を抜いて、患者と家族で話すことであった。


筆者は、ソーシャルワーカーの役割は「教育」であると強調している。米国等では、ソーシャルワーカーは高等教育を受け、ホスピス緩和、グリーフケアの専門性を叩きこまれている。それゆえに、患者、家族への教育が可能であり、他職種との連携も円滑であると考える。

日本のソーシャルワーカーのなかにも、専門性を有し、チームメンバーとの連携(役割分担)を適切に実践できている人達もいる。
しかし関心があり、学習の意欲があっても、地域によって学習の機会が得られない人もいるだろう。
それは地域における医療サービスの格差にもつながることであり、日本でホスピス緩和、グリーフケアの実践が浸透しない原因の一つとも考えられる。

教育機会の確保…それをどの組織が責任をもって実施していくのか。職能団体か、養成機関か…。
この点については、日本はとっても遅れていると痛感する。
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「いのちの砂時計-終末期医療はいま」共同通信社 社会部

2012-07-17 20:44:49 | その他
 がん、難病、死産、老衰…様々な「死」について、患者本人、家族等のエピソードが綴られている。
新聞の記事がもとになっているため、とても読みやすい。そしてとても考えさせれる。
自分の家族(特に高齢の親族)は、死に方の意思表明をどの程度明確にしているのか?と、しみじみ思った。

引用
・延命治療中止の議論を受けて、とある教授のコメント…「議論の原点は患者本人の意思。『死ぬ権利』ではなく、生き方の最後の選択、つまり死の迎え方の問題として考えるべきだ」
・故遠藤周作さんの奥様のコメント…「自分が最期をどう迎えたいのかちゃんと考えて、自分の希望と、意思を伝えられなくなったときの判断を家族の誰に委ねるのかを指定しておくこと。そうでないと、家族が困ることになる。誰もが六十歳ぐらいになったらそうするのが当たり前にしたほうがいい。それで死んでゆく人間のエチケットだと思います」
・ALS患者が人工呼吸器装着後に、自分の意思で外せるようにすべきか否かを巡る議論を受けて、とある医師のコメント…「患者の意思で呼吸器を外していいのか、私には答えは出せない。でも外したくなった時に外せるなら、つけて生きてみようと考える患者は増えるかもしれない。その議論はすべきだと思うんです」



ひとり暮らしの高齢者は増え、今後さらに増えていくことが予測されている。そこで議論されることのひとつに、「どこで、どのように最期を迎えたいか」を「誰が把握しつづけるのか」があると思う。家族がいない、家族と音信不通、家族とは関わりたくない…そんな方々に対し、法律はどこまで対応できているのか?

一番大切なのは、その時を伴走している支援者が把握しつづけることであろう。しかし、人の考え方は、病状の変化や世論の変化を受けて、変わり続けるであろう。その変わり続ける意思表明に、どこまで根気強く対応できるか。
意思が変わりすぎると、「もしかしたら認知症が始まったかもしれない」と疑うこともある。「困難ケースだ」と投げやりになってしまう場合もある。

支援者も含め、自分を取り巻く人達へのマナーとして、「死」や「最期の過ごし方」について、我々はもっと向き合い、学習すべきだと思う。


いのちの砂時計: 終末期医療はいま (新潮文庫)
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