社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「小児在宅ホスピスの果たす役割とグリーフケア教育の重要性:米、豪、英国比較報告と今後の課題」

2009-11-27 14:57:21 | 社会福祉学
岩本喜久子 『在宅医療助成 勇美記念財団』報告書(2008)

小児在宅ホスピスはなぜ必要か?そして現状として、なぜ普及していないのか?
こういった点について、各国の医療職、家族(遺族)へのインタビュー調査、文献研究、学会聴講などを通して、現状、問題点の整理、課題について述べている。

引用
・WHOによる「小児緩和ケア」…緩和ケアは病気が診断されたときからはじまり、子どもがその病気への直接的な治療を受けていなくても継続的に行われる
⇒(筆者追記)成人に対する緩和ケアは、「余命宣告を受けている」「ガン患者」を対象にしていることが多いが、子どもについては余命宣告は特に必要なものではない。余命宣告が難しく、長期的な緩和ケアが必要な病が多い。

・ホスピス先進国の英国でさえ、約1割に子供しか緩和ケアを受けられていないという調査結果がある。

・米国、英国、豪州における在宅ケア環境の共通点…成人の緩和ケアを必要とする患者層に比べて、小児患者は後回しになりがちである。

・諸外国のソーシャルワーカーの取り組み…疾患がもたらすストレス、疾患によってひき起こる生活障害が原因によるストレス、「死が近い」という状況がもたらすストレス…こういったストレスを軽減させ、精神的なケアを提供する。

・家族(遺族)、専門職双方から求められている今後の重要課題…「残された兄妹姉妹へのケア」


「子供は在宅療養という選択肢すらない。だから、どんなに状態が安定していても、障害児施設や長期入院が可能な病院があくまでは、退院を支援できない」と、小児専門病院に勤務する友人から聞いたことがある。
諸外国はそこまではいかなくとも、やはり成人と比較し、様々なケアが後回しになっているようだ。
それは全人口に占める割合が低いからなのか。それとも患児のみならず、父母、兄妹姉妹、祖父母などなど、ケアの領域が広範囲に及び、「難しい」からなのか…。

たしかに「判断や決断」にまつわることは、成人よりも擁護されるべき面が多い。そして臓器は小さく、医療技術的にも困難を来すと言われ、成長とともにその疾患の進行状況をアセスメントする必要があるため、「より専門化する」とも言われている。そのうえ、緩和ケアの定義は「余命宣告 疾患に限らない」となると、余計に混乱してしまうだろう。

しかしどんな人間であれ、根本にあるのは「生存権の保障」であり、「人間らしい生活を受ける権利」であろう。
ひとつひとつを整理し、ひとつひとつに取り組んでいくことで、「病気をしていても、自宅で過ごせる」ことが当たり前であって欲しい。





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「在宅療養支援のための緩和ケアのあり方」藤田敦子など(2006)

2009-11-16 15:13:12 | その他
『東京大学医療政策人材養成講座2期生 研究報告書』

わが国において、緩和ケアを普及させるには何が必要か?について、アンケート調査ならびにヒヤリング調査を実施。その結果と諸外国の動向を紹介している。
分量は多めだが、文章が読みやすく、内容も理解しやすい。
医療従事者のみならず、一般市民のアンケート調査も実施しているため、生の声を感じることができた。

引用
・アンケート結果から、その人の立場によって「緩和ケア」の認識に違いがあることが分かった。まずはこの認識の統一をしていくことが必要である。
・緩和ケア普及のために、ホスピス・緩和ケア担当者へのヒヤリングを行った結果、緩和ケアを病棟中心ではなく、在宅療養を中心に提供体制を作っていくことが大切だと分かった。
・オーストラリアで築かれた「緩和ケアの三角」・・・患者が一般病院、緩和ケア施設、あるいは自宅で自分の望む所を利用でき、生活の場とすることができるようにすること、また、三つのどの施設でも一定以上の緩和ケアが受けられるシステムにすること。そして緩和ケアの主体となる患者が主体的な意志決定と参画がなされること。


調査結果を読み、当然のことながら、在宅での緩和ケアを普及させるには、病棟の力が不可欠であることを実感した。
それは、入院患者に「在宅療養」を適切にイメージさせることから、退院後もレスパイトも含め後方支援病院としての機能を果たすことなど、幅広い。
現状として、機能別の医療機関の整備が進んでいるわが国においては、診断がついた病院でのレスパイト入院は不可能に近い。
切れ目のないケアを提供するには、スタッフの「連携力」のみならず、ハードな面での改変も必要だろう。
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「子どものホスピスを訪ねて 最後までその子らしく充実した日々」多賀幹子

2009-11-14 16:02:34 | その他
『NHK すくすく子育て11月号』

いわゆる育児本。そのなかの「こんな育児 あんな子育て」というコラム。
疾病を抱えている子どもの世話をすることは、「看病」のみならず「育児」でもあるのだと、このコラムタイトルを見てハッとさせられた。

筆者が訪れた、イギリスにある子どもと青年専門のホスピスについて紹介している。


・疾患をもつ子ども(患児)のみならず、その家族も一緒に泊まることができる。もちろん、兄妹姉妹もOKで、スタッフが患児のケアをし、親はその兄妹姉妹と触れ合う時間を確保することができる。
・利用料は本人、家族ともに無料!!
・利用料無料が実現する理由:企業や個人のボランティアによって、サービスが遂行する部分が多い。
・子どもの死後に親を訪問し、親のほうから「もう大丈夫」と言うまで訪問は継続する。3年後も継続して訪問しているケースもある。


ホスピスケアが充実した国では、必ずと言っていいほど「ボランティア」の存在がある。それは単にお国柄だけではなく、それを支える組織運営がきちんとなされているからだろう。
日本においても、緩和ケア病棟を中心にボランティアが活躍し、そのことによってサービスの幅が広がったという話を耳にする。

ハード面でイギリスや米国に近づくことは容易ではないが、せめて療養環境面ではドンドン近づきたい。その方法のひとつに、ボランティア活動があると思う。
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『エピキュリアスなエンド・オブ・ライフケアを実現するALS「人工呼吸器による緩和ケア」にむけて』 

2009-11-11 22:23:17 | その他
川口有美子『第14回 日本緩和医療学会学術大会 発表要旨』(2009)より

エピキュリアスという言葉を初めて知った。辞書やネットでヒットせず。詳細の意味は不明。

昨今、議論の深まりを見せている「緩和ケア」について、ALS患者については現状の解釈のままでは適応しにくい。この点についての議論の深まりを期待しつつ、わが国におけるALS患者の現状、及び諸外国の動向(尊厳死にまつわる法律を絡めて)も報告している。

引用
・わが国のALS患者のおよそ3割が人工呼吸器を装着している
・治療や障害、生活に対する不安を取り除くことは、複数の専門職、非専門職が多方面から支援を行う緩和ケアにおいてできるが、家族の負担を取り除くには、介護保障の確立という政治的介入が必要になってくる。
・わが国における「緩和ケア」の概念は、主として終末期のがん患者を対象とするエンド・オブ・ライフケアを指す概念として了解されてきた人工呼吸器による長期療養を前提としたケアではない。


呼吸筋マヒの進行→人工呼吸器装着の選択→装着を希望しない=終末期?!…ゆえに緩和ケアの対象?

兼ねてから「緩和ケア=がん末期患者」という括りに違和感を抱いていたが、この報告を読み、ますますその思いが強くなった。
疾病…まして余命によってケアが限定され、それが専門特化されるのではなく、色んな解釈があったとしても、それは多くの人に対して用いられることを望む。

たとえ余命宣告を受けていなくても、事故で数日後に命をおとせば、今この瞬間はさかのぼれば「終末期」であっただろう。
「終末期だから特別なのか?誰にとっても、一日一日は大切で、重んじられるべきでしょう」と言った、恩師の言葉を思い出した。

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「在日コリアン高齢者に対するソーシャルワーク」文鐘聲(ムン・ジョンソン)

2009-11-10 22:00:21 | 社会福祉学
『ソーシャルワーク研究』35-5

大阪市生野区のある地域に居住している在日コリアン高齢者を対象に、質問紙調査を実施。その結果と、結果を反映させた大阪市の取り組みを紹介している。

本調査の結果報告のみならず、在日の社会背景や文化的特徴等の説明も丁寧にされており、大変読みやすい。

引用
・同地域に住む日本人高齢者に比べ、在日コリアン高齢者は社会経済的問題、非識字者が多いことが明らかになった。
・「生きがい」についての質問に対し、「生きがいがない」という答えが最も多かった(27%)。
・在日コリアン高齢者は日本人高齢者と比べ、抑うつの頻度が高いということが明らかになった。


私が以前勤務していた地域も、在日の方が多く居住しており、在日コリアンの方を対象としたデイサービスや、同国出身のヘルパーを有する訪問介護事業所もあった。
「民族」というカテゴリーは、その人がもつ「個性」の一端であると考えていたが、一端ではなく「根本」であるということに、今更ながら気づかされた。
人を理解することが援助職の基本であるからこそ、在日の方々が置かれている状況を、適切に理解しておかねばならないと感じた。
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「独居在宅ケア」中山康子(2008)『緩和医療学』 Vol.10 No.4

2009-11-04 07:49:13 | 看護学
宮城県内のNPO法人代表の方の論文。
在宅独居での看取りについて、自身の経験をもとに紹介。
4ページと分量的には少ない論文ではあるが、適切で分かりやすい。
独居といってもひとくくりではなく、様々なケース(パターン)があることをあらためて感じた。

引用
・『本人のこれまでの生き方のなかでさまざまな事情があり、だれにも協力が得られないし、得たくない人もいる。このような場合には、本人に、社会に生きる住民の1人としてしなければならない最低限のことを明確に提示する。「1人で死ぬ。誰にも構わないで欲しい」という人もいるが、死後のことも自分で準備しなければ、社会に人に迷惑をかけることをわかってもらい、準備すべきことをして、生き抜くように支援する』
・「訪問介護士や医療従事者が、民生委員やインフォーマルサポートとチームになってケア体制をつくることができれば、独居の場合でも自宅で看取ることは不可能ではない」


「独居」「身寄りなし」というキーワードにぶつかると、「在宅困難」という答えを出しがちである。
しかし、その人がそれまでの人生のなかで作り上げてきた人間関係を見つめ、そして活用できれば、たとえ独居であっても、自宅での看取りは可能であるということに共感した。
また関わりを拒否する人に対しては、「世間との関わりを拒否すること」と「世間に迷惑をかけること」は別物であり、それをきちんと知らせるべきである…という筆者の意見に、「なるほど!!」と深くうなづかされた。
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