社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「訪問看護ステーションにおける遺族ケア」 秋山正子(2006)

2009-06-30 14:21:14 | 看護学
『家族看護』vol.04 No.02

筆者の体験をもとに、訪問看護ステーションにおける遺族ケアの実際を紹介している。

・(遺族ケアは一律で行えるものではなく、個々の家族のニーズによって変化させる必要がある…という前提を踏まえて)「担当した看護師を中心にデスカンファレンス(亡くなった方のケースカンファレンス)を開き、亡くなる過程の振り返りを行うと同時に、遺族ケア(グリーフケア)の計画を立てる」
・「もっともケアを必要としている人は誰か、そしてそのケアの頻度はどのくらいがよいのか、最長を1年と考え、まずは亡くなって1カ月から四十九日前後までのところで必ず1回は訪問できるよう計画していく」
・「ケアを受ける側ばかりにいると、特には自己決定能力が低下し、すべての判断を人の頼ろうとしたりすることもある。死別から間がなく、悲嘆が大き過ぎる場合は、意思決定を代行せざる得なくても、セルフケア能力を取り戻せるような関わり方が遺族ケアの中で求められる」


本論文でも、訪問看護ステーションは、遺族ケアによる報酬が得られないことが指摘されていた。そのため現時点での有効策としては、遺族ケアを行っているボランティア団体の紹介や、受診が必要と見込まれる場合は、精神科への受診支援を行う…などが挙げられていた。

「大切な人」が亡くなってから、「はい、では次はこちらで」と新しい機関と関係を持つのは、しんどうであろう。理想としては、患者本人のケアを行った機関のスタッフが継続して支援する。もしくは、ボランティア団体等と協働し、患者本人を「看取る体制」に入っている段階からかかわってもらい、患者本人が亡くなったらボランティア団体がメインとなって支援する…であると考える。
医療技術が発達し、「生」に焦点がいきがちではあるが、その裏(隣?)に「死」があることを忘れてはならない。そして、それにまつわる支援の在り方も、もっともっと重んじられるべきであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地域に潜在する遺族ケアのニーズ」 橋本眞紀(2006)

2009-06-29 13:51:50 | 看護学
『家族看護』Vol.04 No.02

 わが国における遺族ケアは、いまだにホスピス等の限られた施設の中での取り組みであることがほとんどである。地域には、様々な状況で「大切な人」を亡くした人が生活を営んでいるが、そのような人への支援はどの程度行われているのか。…といったことを、具体的な事例を提示しながら、遺族ケアの必要性を説いている。


引用
・(訪問看護師もグリーフケアに積極的に取り組むべきであるが)訪問看護の契約は、基本的にその患者の生きている間のケアに対するものであり、遺族ケアまでは業務として承認されているわけではない。
・(配偶者を失った高齢者の事例を通しての筆者の所見→)後期高齢者では心身ともにその危機をに対処できる力がなくなっているといえる。
・人生最大の危機とも言える配偶者の死という現実に遭遇した時に、間髪入れずにサポート体制が取れるか否かは、その後の生活再建に大きな影響を及ぼすと言えよう。
・(病院内でも機能分化が進み、病状によって院内でのベット移動/病棟移動が一般的となり、担当医療者がその都度変わっていくことについて)…発病から入院・外来・再発・終末期・遺族ケアに至る医療の節々に、家族をも含めて一貫して寄り添ってくれる看護の存在を求めているように思えてならない。


 一般病院で入院をしていた「大切な人」が亡くなった場合、入院先の医療機関から遺族ケアを受けるられることはほとんどないだろう。訪問診療/訪問看護では、定期的に「茶話会」を開き、もしくは手紙等を送ることで、「何かあったら、あなたのサポートは私たちが行いますよ」と知らせているところもあるが、初七日を過ぎたころにお焼香に伺うことで、家族とのつながりが消えてしまうことが多いのではないだろうか。
本当にサポートが必要なのは、「大切な人」を失い、その人がいない生活を紡いでいく過程であり、それは長期間に及ぶものであろう。
そのシステムをどのように作り上げていくのか。個々の医療機関であっても、地域の保健センターであっても、包括支援センターであっても、それはどこでも構わない。その人がその人らしく、もう一歩を踏み出せる力をサポートしていく取り組みを、業務のひとつとして位置付けていくべきであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おかあさんががんになっちゃった」 藤原すず(2008)メディアファクトリー

2009-06-28 21:03:29 | その他
がんでおかあさんを亡くされた家族によるお話。
マンガで書かれていて、家族の率直な「思い」「気持ち」がじんわりと伝わってくる。

・「気持ちのズレと想いのズレ」…おかあさんがいなくなってしまうという事実を知ってから、家族は様々な感情を抱く。それは家族がいつも同じ感情を抱いているとは限らず、落ち込んでいる人(例えば夫)もいれば、落ち込みを過ぎて前向きになっている人(例えば娘)もいる。その気持ちのズレは、感情の持ちようの違いであって、ガンを患う家族を「想う」ことのズレではない。

・「照れるなんて言ったら、そのうち何にもできなくなってしまう。私たちはおかあさんへの想いをどんどん表へ出していった」
・「いっしょにすごすのは最後かもしれない」


 先日読売新聞に、ある図書館が「闘病記コーナー」を設けたという記事が載っていた。患者家族のみならず、医学生や看護学生が、患者の立場を理解する手段として読む傾向が強くなったそうだ。
病気にかかることの悔しさや苦悩や悲しみ…そして喜びや楽しみは、なった人にしか分からないし、人それぞれであろう。
だからこそ、「少しでも知りたい」「どういう形でサポートできるか」という姿勢で取り組むことこそ、プロとしての援助者であると思う。

本書は、ある家族の大切な時間が書かれている。この大切な時間にどう寄り添えるのか、とても考えさせられた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「癌患者とのコミュニケーション」藤森麻衣子、内富庸介(2008)

2009-06-23 08:09:41 | 医学
『コンセンサス癌治療』VOL.7 NO.1

「悪い知らせ」をどのように患者に伝えるか…そのコミュニケーション方法について論じている。
「悪い知らせ」とは⇒「患者の将来への見通しを根底から否定的に変えてしまう知らせ」と定義されている。

わが国におけるインフォームドコンセントの解釈は、「説明と同意」とされることが多い。そのことについて、心の機能を表す「知情意」という言葉になぞらえて考え、「説明」を受けて「同意」に至る間に「情」が抜けている…と指摘している。医師は気持ちへの配慮も欠かせないとしている。


紹介されているコミュニケーション方法は、準備段階から今後についての話し合いまで「起承転結」でまとめられている。それらは「癌医療における効果的なコミュニケーション」として紹介されているが、必ずしも癌に限定されるものではなく、広く「対人援助」に通じるものであると感じた。
たとえば、「患者が相談や気がかりを話すように促す」や「患者に感情表出を促し、患者が感情を表出したら受け止める」はSWの教育としては浸透しているものである。
これまで医師の養成課程では、患者・家族へのコミュニケーション手法の教育が十分ではなかったという面がある。その反省を生かし、他領域の手法を「医師としてどう活用するか」に取り組んだものである印象を受けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「癌患者の家族に対する精神的ケア」佐伯俊成、高石美樹、田妻進(広島大学病院医系総合診療科)

2009-06-19 21:19:05 | 医学
『コンセンサス癌治療』VOL.7 NO.1

癌患者の家族の心理的ストレスの実際と、援助の指針についての概説。
癌の経過(急性期、慢性期、終末期)に沿った心理的ストレスの実際、患者との関係別(ex.患者が配偶者の場合、子供の場合)の危険因子も取り上げており、簡潔だがとてもわかりやすい。

引用
・海外での面接による研究結果⇒(癌)家族の30~50%に何らかの精神科診断がなされている
・海外での質問紙による研究結果⇒(癌)家族の7~35%に不安・抑うつなどが見られた
・家族の健康には、癌の疾患因子よりも個人的、心理的な因子のほうが重大な影響を及ぼしている


本論文では、「家族が患者を援助する際の指針」(6項目)も提示されている。
家族も利用者である…という解釈をする立場にあるSWとしては、この関係での「援助する」というとらえ方に違和感を抱いた。そして一方で、医療スタッフが家族を援助する指針としては、「傾聴」に終始されている。
以前このブログで紹介させていただいた徳山磨貴氏の調査研究では、「家族が医療スタッフの一員とみなされがちである…ことが一つのストレスである」と指摘されていた。
「どうやって接したらいいのか?」と混乱する家族にとって、有効な「指針」であるかもしれないが、まずは本人にとっても家族にとっても、交通整理をする「第三者」が必要であろう。
そこに一つのSWの可能性をあらためて感じた。


    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大都市高齢者の社会的孤立の発現率と基本的特徴 (斉藤雅茂、冷水豊、山口麻衣、武居幸子)

2009-06-18 15:11:39 | 社会福祉学
『社会福祉学』Vol.50-1(2009.5)

東京都板橋区に住む、ひとり暮らし高齢者に対する訪問面接の調査結果の報告。
社会的な孤立は、「未婚である、子どもがいない、収入が少ない」人が多いとのこと。
また、ちょっとした用事をしてもらったり、長く寝込んだときに看病や世話をしてくれる人がいると回答した人は、全体の1割強しかいないという結果が報告されている。
「いっしょにいてホッとするひとがいる」と回答しても、その相手が必ずしも「世話を頼める相手」とは限らない…ことも明らかになった。
情緒的なつながりとは別に、より現実的なサポートネットワークが必要であることが課題として提起されている。


2025年には、ひとり暮らし高齢者が680万世帯になると予想されているそうだ。
この世帯のすべてが「孤立状態」ではないと思うが、斉藤らの調査結果を踏まえると、日常生活の世話を気軽に頼める相手がいる人は、この1割程度になるのだろう。
今の高齢者層は、ある程度の地縁がある印象を受けるけれど、約20年後の高齢者層(いまの40代以上)にはどれだけの「地縁」があるのだろうか?もしくは、「消費者姿勢」が浸透している世代であるからこそ、「地縁」に頼らず、「サービスを買う」ことに積極的かもしれない。
いずれにせよ、選択できるだけのサービスがそろっていないと、多くのひとにとっての「安全な生活」は保障されないであろう。

ひとり暮らしであろうとなかろうと、「孤立」は避けたいものであり、それを回避するためには何が必要か?と考えるには、とても参考になる論文である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする