いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

デモの数と民主主義。 demonstrative numbers and democracy

2015-09-07 19:37:42 | 日記
 (1)夏休み最後の日曜日の30日に全国を網羅する安保法制案に反対するデモ集会があった。国会正門前を上空から映した映像では道路を埋めつくす圧倒的なデモ参加者の波(wave)が象徴的であった。

 主催者発表12万人、警察把握で3万人(報道)が国会前デモ集会に参加した。大規模デモ集会となると自然発生的に起きることはなく、組織が動員計画して同意する一般参加者も巻き込んでふくれあがる図式が一般的なだけに、主催者側は当日参加しようとしまいと組織参加構成者の総数を集計して発表し、警察当局の参加者数把握との大きなかい離になるのはご愛嬌だ。

 (2)参加者数は実は重要な意思表示の力、影響力を持つものだが、8月30日の国会前の安保法制案に反対するデモ集会参加者の圧倒的な波は数の正確性以上に映像でよく伝わってくるものだった。

 直近のメディアの世論調査でも国民の65%以上が安保法制案に反対しているが、この国民の意思を今国政に反映させる手段として選挙もなければ国民投票もないのだから、せめてデモ集会で具体的に意思表示するしかない。

 (3)橋下大阪市長はこの30日のデモ集会に対してツイッターで「デモは否定しない。たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定だ」(報道)と述べている。

 いかにも主催者組織のリーダーによる呼応で先導されたデモ集会の偏向ぶりもあり、橋下さんに動員の足元を見られた格好だが、全国では大学で教員、学生による反対集会や専門家、文化人による反対声明も出されており、規模は小さいが自然発生的な反対デモ集会も数多くある。

 (4)全国での安保法制案反対へのデモ集会の波を見れば、政治、政府も何かを考えてもいい状況だ。この安保法制案を自民党実務協議責任者として主導した高村副総裁は講演で「(安保法制案は)国民のために必要だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない。国民の理解を得られなければ政権を失う。それが民主的統制だ」(報道)と述べている。

 安倍首相も決める時には決めると述べる一方で、国民にていねいに説明して理解を得なければならないとも常々述べているのだから、高村副総裁の発言はこれを踏みだしたものだ。

 (5)橋下さんのように目に見える現象だけをとらえて意図的ではあっても象徴的にとるに足らないと批判するのは論外としても、国民の65%以上が反対している調査データを無視して安保法制案の成立を急ぐのは「民主主義」とは到底言えない。

 橋下さんも高村さんも民主主義の何たるかを理解せずに(理解を拒否して)、民主主義を勝手に解釈、標榜している危険な野望、教条主義だ。

 (6)そもそも憲法学者、国民の多くが違憲と考える安保法制案を政府の憲法解釈の変更で成立させようということが、民主主義の根幹にかかわる立憲政治に背く行為なのだ。
 高村さんが言うように安倍内閣の支持率は30%前半に急落している背景を国民は来年の参院選、続く衆院選で目にものみせるしかない。

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