いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

登山者の自負心、自尊心。 self conceit , pride of mountain climber

2013-01-06 19:33:34 | 日記
 (1)厳しい寒さ、寒波の続く年末年始に冬山の遭難事故が相次いでいる。登山愛好家しかわからない「山」のその中でも冬山の晴れわたった澄んだ天上、天空の展望一望の魅力なのだろうが、冬山、特に厳しい寒波、荒天の続く年末年始の山の危険度は脅威そのものだ。

 その都度、専門家は天気図を調べて天候悪化の前に「引き返す」勇気が必要と言うが、なかなか現実はそうはならないケースが多くて、山岳事故はひんぱんに続く。今年も新年早々から日本アルプス、富士山冬登山で10人近くの死亡、不明者続出で、年末年始の荒天の中での登山強行が原因(報道)とみられている。

 (2)厳しい自然環境の冬山登山の場合は、経験者、熟練者が中心で、登る方もすべての「責任」は自分のスキルの問題、最後は自分が責任をとるとの覚悟の自負心(self conceit)、冒険心の「登山」のつもりなのだろうが、その後の顚末(てんまつ)は知るよしもない下界では捜索に大わらわで、残された家族、関係者の精神的、財政的負担は重く、大変なものだ。

 ヘリ捜索では3時間程度で200万円近くの経費がかかる(報道)という重い負担で、気象条件によっては救助隊も現場に近づくこともできない捜索も難行して救助にも影響する、なんとも難儀な心的ストレスを強いられる。

 (3)天上天空の大自然環境が残された山岳頂上の絶景は飛行映像で見ることはあるが、それはすばらしい光景だ。その魅力にとりつかれての冬山登山は、ほとんどの登山者がスキルと自然愛好と環境保護の高い精神性、自負心にあふれての挑戦力、征服力なのだろうが、そういった自負心、征服意欲こそが「自尊心(pride)」を見失った唯一のエアポケット(air pocket)だ。

 (4)安全性登山のためには「自尊心」を意識してもらうことが肝要だが、危険回避の条件としては高い入山料を課すことも必要ではないか。
 それなら高い入山料払って尚更無理して強行登山する者が出るとの向きもあるが、折角高い入山料を払うからには「事前」に登山計画も慎重に見極めての安全行動に期待する。
 周知の仕方、徴収方法、それによる無法不法登山(ルート無視、無謀判断)による危険性の危惧もあるが、登山者教育の中で高い安全精神性の育成、醸成も社会的責任だ。

 専門家の登山者の自負心に対してただ「引き返す勇気」のアドバイスの前に、社会的責任としてすることがあるはずだ。

 (5)そして「自負心」とは、引用がふさわしくないかもしれないが、世界有数の冒険家で登山家の植村直己さんがマッキンリー征服に立ち向かって、救助も不可能な環境の中でひとり露と消えた潔(いさぎよ)さであり、責任力でもあることを、一般登山者は十分理解して自分の立場を心置きして望むべきことだ。

 (6)専門性の高い冬山登山の高い入山料徴収は、登山者の自負心への啓発として事前効果はあると思うが、環境保護から静岡県が検討している市民愛好登山レベルの多い富士山(それでも冬の富士山は危険度も高い)の入山料徴収計画には問題はある。それでは無法不法登山(ルート無視、無謀判断)の対象が各段に多くなる懸念があり対策が必要だからだ。

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正月と景気。 the new year and the tone of the market

2013-01-05 20:20:50 | 日記
 (1)昨年末はX'マス寒波がやってきて厳しい寒さが続き、北海道を中心に観測史上最大積雪を記録(報道)して年を越した。正月の三が日も厳しい寒さのため、鉄道各社の利用状況ではおおむね減少傾向(報道)となった。

 晴天の4日に初詣でに行ったが、例年なら参道から規制が入る人混みのところ今年は本殿前に人だかりができている程度で5分の1にも満たない人出にお陰で余裕をもって参拝できた。その中でも、風習離れの若者の参拝者も多くて、正月だけは和服に着飾って特別のようで風習休日を楽しんでいる。

 (2)正月商戦も1日からのオープンのデパートは福袋目当ての買い物客が集中して25%増の売り上げを記録し、昨年どおり2日営業のデパートは軒並み数%の減益(報道)で明暗が分かれた。最近の福袋は企画、趣向も多様、多岐(本品そのものよりは付加価値の高い引き換え金券など)で人気商品(item)となっており、年明け一番の福袋商戦に集客力がみられた。

 政権交代で円安、株価上昇の景気回復(basic recovery)先行きへの期待感もあって、また昨年末からの厳しい寒さが近場のあたたかい元日デパートへ後押ししたのではないのか。

 (3)株価も4日営業開始で東日本大震災前の1万円台に回復して、円安は88円台と大幅に回復基調で昨年正月(8千円台の株価、70円台の円高)とは雲泥(うんでい)の差だ。
 もちろん実体のともなわない景気回復基調なので、企業経営者からは依然慎重な厳しい経済環境の中の認識(過半数が景気悪化中アンケート)が相次いでいる。

 自動車産業からは自動車取得税、重量税と消費税との二重課税問題について、消費税引き上げ前の解消、解決を求める意見が繰り返された。政府の取れるところから取る安易な姿勢の意味不明の課税方式については、その他税制体系の問題提起が遅すぎた。
 国民投資の課税名目については、全面的にわかりやすい使途のはっきりした税制体系に整備し直す必要がある。

 (4)国民投資の税の徴収、使途方式については、もっと強い関心とチェック姿勢が求められる。そもそもはかっての長期自民党政権時代の既得権益、密室政治の負の資産だ。
 今回の政権交代で今夏の参院選までに自民党は「変わった」ことが実証できるのか手並み拝見だ。

 言われているように参院選までは隠忍自重で、その後政権基盤を万全にしてからの憲法改正、国防軍、債務超過の公共事業拡大など保守先鋭回帰、財界擁護路線ではまた国民に見切られてしまうだろう。

 (5)しかし、その受け皿となるべく野党は今は存在感を示すものがなく、かろうじて日本維新の会、みんなの党あたりが主だったところだが、自民党理念とそうは違いもなく互換関係にある方が距離感は近い。
 民主党はまずはきっかけの糸口を通常国会が始まってからの国会論争に活路を見い出すしかないところまで落ちた。余程実現性の高い裏付けのある改革、革新主義を披露しない限りは、理論だけでは相手にされずに自民党の政策を批評してみるだけでは「あなたたちは政権3年半近くで一体何をしてきたのか。できなかったじゃないのか。」と切り返されるだけだ。

 自民党大勝で、政治閉そく感を打開する衆院選後の政界再編の声は完全に聞かれなくなったが、今の政党乱立、すぐの分党、解党、離党心理では出来るはずもない無責任な空論であった。

 (6)医学分野の研究推進の加速化はすばらしいものがある。iPS細胞作成の研究成果による山中伸弥京大教授のノーベル賞授賞で、年を越してからも連日のようにiPS細胞による免疫細胞化での強力ながん治療法(東大)、神経抑制細胞増によるうつ病治療法(藤田保衛大)の実験成功のニュースであふれている。

 

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レコード大賞異聞。 curious story of japan records great award

2013-01-04 20:08:10 | 日記
 (1)12月31日はいつものように何、何しながらの紅白歌合戦の観戦であったが、前半はどこの国の音楽祭かと見間違うほどの不思議なステージであったが、それも時代、音楽構成が変わった証しなのだろうからそれを悟ることが出来るだけでも「新鮮」ではあった。
 むしろ31日のNHKのゴールディンタイムに懐古調の番組を見せられてはがっかりさせられるだけで、時代の「先端」を見られるだけで12年の大晦日これはこれで致し方もないことだ。

 歌合戦というからには投票によって勝ち負けを決める方式ではあるが、人気アイドルグループの司会者にその系列の人気グループがいくつか出場していて最初から投票は白組に偏(かたよ)ることがあきらかな構成演出の中で、演出が無理に勝負の行方はと盛り上げるまでもなくそのとおりの結果となったのは愛嬌(あいきょう)だった。

 (2)日本レコード大賞(japan records great award)なるものがまだ存在していた。かっては31日に民放のレコード大賞が決まってから、参加ミュージシャンが数分後のNHK紅白歌合戦のオープニングステージに間に合わせる移動方法が話題にもなっていたが、時代音楽はレコードからCDにさらに今はインターネットのダウンロードの時代となって、日本レコード大賞も目的、意義もはっきりせずに関心、興味も薄れてすでに31日大晦日から撤退していた。
 ミュージシャンの中には、自ら選考対象となることを辞退する動きもある始末だ。

 今年のレコード大賞は、昨年に続いて「AKB48」が授賞した。今年のCD年間売り上げランキングの1位から上位を独占してミリオンセラーも記録するなど、若年層に絶対人気のグループだ。
 この結果に対して、審査員の作曲家から「これも時代の流れか」という結果に不満(あるいは現代の大衆音楽への不満)と思われる発言が報道されて話題となった。楽曲構成に対する時代の変化、CD売り上げが若年層中心に偏っている現代音楽、事情への啓発(enlightenment)なのだろうが、それは審査があるとすれば既定の事実、前提であって何を今更の感はある。

 なぜ今「レコード」大賞なのか、音楽時代はレコードからCDにそしてダウンロードの時代に大きく変化している中で、伝統文化を重んじているのか唯我独尊のつもりなのか、その目的、趣旨、意義と合わせて今ではよくわからないはっきりしない音楽賞だ。
 まわりはすでに作詩大賞とか有線放送大賞とか音楽大賞とかでありふれており、名称変更も容易ではない事情もある。

 当の審査員の作曲家は、受賞作品、グループへの不満をこれも時代の流れかと嘆く(多分)まえに「日本レコード大賞」の現在名称のミスマッチと選考基準のはっきりしない、あいまいさに、そして「日本レコード大賞」の存在意義(identity)そのものに問題提起すべきことであった。

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金融資本主義と宗教。 financial capitalism and religion

2013-01-03 19:44:52 | 日記
 (1)民主主義には政教分離の理念、原則論はあるが、政治支配、宗教独善排他性をそれぞれの領域にまで介入して自由かっ達な活動を阻害して組織を独裁支配することが問題であって、気の利いた啓発論であれば政治、宗教の問題点を相互に指摘、示唆することは自由であっていいところもある。

 ローマ法王が1日の新年ミサで「規制のない金融資本主義(financial capitalism)にみられる利己主義(egoism)、個人主義的な傾向、さまざまな形態のテロ・犯罪」が世界の「緊張と紛争の温床」になっている(報道)と指摘した。

 (2)米国議会では、中間所得層への減税政策の継続が期限切れの年末ギリギリに一転合意されて、年明けの急激な財政緊縮事態が回避されて世界にひろがる可能性もあった財政金融不安危機も一応回避された。
 これを受けて円安が進み2年5か月ぶりに1ドル87円に回復した。日本の輸出基幹産業の自動車ほか製造業にとっては経営採算のとれる90円に近づいて、年明け幸先(さいさき)のいいニュースだった。

 (3)米国には日本同様に財政赤字の削減問題が残っているが、民主、共和党ねじれ議会の中でこちらは先送りとされて、米国内の経済不安は依然として解消には向かっていない。
 米国、EUの財政金融不安の影響が瞬時に円高となって世界に波及する経済構造をローマ法王は批評、指摘した。

 日本と米国もともにねじれ議会を抱えて、それぞれの党内事情、主導権争いを反映しての独自論を主張し合って国益、世界益を損ねている独善独断政治の現実だ。
 壮大な政治、経済、平和の連合実験のEUも、EU各国の財政金融政策の努力、改善への不信感から懐疑的になって連合体(union)としての協調効果が見られない。

 (4)ローマ法王が批評、批判する「金融資本主義にみられる利己主義、個人主義」がぶつかり合って世界の緊張の温床になっている。さらに経済成長の著しい新興国の中国、インド、中米諸国もいまだ世界経済の協調主義の中心軸の中に参画しようという気概、責任も見せずに、利己主義、個人主義に甘んじて世界経済は回復基調に向かわせない。
 すでに世界経済の主導権は先進国G8から新興国を含めたG20に移行しているのだ。

 (5)ローマ法王は金融資本主義の利己主義、個人主義、テロ犯罪が世界の緊張と紛争の温床と指摘、批評しているが、世界の紛争の大きな主流のひとつはイスラム国家と米国(キリスト教)の対立宗教戦争、国際テロ紛争でもある。
 足元の宗教問題にこそ、普遍的な平等、博愛理念、信条に反した排他的な宗教の利己主義、個人主義の度量の狭さを考察し、語るべきだ。

 (6)パレスチナが国連からオブザーバー国家に認められながら、イスラエルとの関係に変化は見られず、シリア内戦ではこれまでに6万人が死亡していると言われて(報道)も解決に向かわないのは、米国、ロシア、中国の利己主義、個人主義の大国イズムが障害となっているからだ。
 政治、経済、平和、宗教問題にどこからでもいい、領域を超えての指摘、示唆、啓発する発言があっていいだろう。

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東電の刑事責任。 criminal responsibility

2013-01-02 19:51:05 | 日記
 (1)昨年、イタリアの地震学者7人が大地震の予知を見誤って国、国民に被害を及ぼしたとして刑事罰を科せられた。学者にも厳しいものだと驚かせられた。
 さすがに刑事罰の対象というわけではないが、日本でも東日本大震災での東電の刑事責任追及(pursuit of criminal responsibility)のために検察が証拠固めのための研究者への任意聴取を始めた。

 東電は福島第一原発への想定津波(imagenary tsunami)を最初、①08年5月に社内の独自検証で最大「15.7メートル」と試算していた。さらに、②08年12月には津波の論文にもとづき最大「9.2メートル」と試算を見直した。
 その後、③09年2月に「土木学会」が策定した津波の計算式にもとづき最大「6.1メートル」と想定津波を試算した。
 最終的には、東電は同原発への想定津波を試算上最も低い最大「6.1メートル」に設定していた。

 結果的には東日本大震災で10メートル以上の津波が押し寄せて福島第一原発の格納容器施設を破壊してメルトダウン(melt down)、放射性物質漏えいの重大事故を引き起こした。
 事故から2年近くになっても、いまだに放射性物質汚染により帰宅困難地域があって、東電の告発、告訴を受けて検察は刑事責任(業務上過失致死傷)の捜査を開始した。

 (2)結果論になるが最初の東電社内独自の試算の最大15.7メートル津波を想定した安全対応を整備していれば被害結果も違ったのではないかと考えさせられる、最大津波想定3種類のあまりの「開き」試算数値だ。

 東電の科学技術力の過信による安全よりは建設費圧縮、慢心、横柄な企業精神性の招いた重大事故であることは避けられない、パラドックス(paradox)としてはからずも証明することになった「独自試算」15.7メートルと土木学会計算式による6.1メートル津波設定「採用」の比較落差だった。

 (3)検察は、被害を拡大した東電の刑事責任の証拠となる最大想定津波の試算の根拠性、正当性、妥当性について研究者から任意で事情聴取しているが、それぞれの「学説(doctrine)」について異議、欠陥、比較優劣を付けることなどむずかしいだろう。

 研究者の学説には独自の視点からの理論、論法、手法で構成されており、それぞれが唯一性、絶対性で存在しているものだ。これに比較優劣を付けることなど意味も基準もない。
 「選択」した東電の結果としての判断能力、責任能力、企業責任の「意図・意思」が刑事責任を問えるのかどうかというレベルの問題だ。

 (4)国、事業者が一体となって推し進めた原発行政、エネルギー政策が結果として国民の生命、安全、財産を守れなかったことと、前代未聞の巨大地震発生とのこちらは比較責任論だ。
 確かに原発被災地を含めた復旧、復興は遅れているが、国も事業者も責任を認めて被災者への補償ほか復興責任対応には取り組んでおり、原発政策の見直しも含めて政治的、社会的、企業的責任はいまだ十分とはいえないが継続して負わせている。

 復興と安全への対策、対応が責任優先されることであり、事業者の余程の悪意、意図が出てこない限りは国策上のレベルで企業独自の刑事責任を問える問題ではない。

 (5)東電は事故後2年近くたってようやく復興対応本部を被災現地に設けたが、事故対応で余裕がなかったとはいえあまりに遅い対応だ。政府も復興事業は事故後すみやかに被災地または周辺地域に復興対策本部(復興庁)を置いて、被災地と一体となって復興事業を推進すべきであった。
 これでは冒頭のイタリアのような厳しい態度も必要かもしれないのだ。

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