先日、今年のセンター試験が行われたそうで。試験自体は二度と受けたくありませんが、試験問題そのものは気になるので、毎年国語と英語、社会はサラッとチェックしています。数学と理科?当時ですら解けなかったのに、大分知識が抜け落ちた今、解けるわけがないので確認すらしていません(苦笑。
そんでもって、国語の現代文から読み始めたのですが・・・「リカちゃん人形」「ミニーマウス」「やおい」「メイド・カフェ」などが取り上げられていました。内容としては、リカちゃん人形が様々なキャラを演じるようになったが、リカちゃん人形であることは変わらないということから始まり、キャラも個性の一部であることなどが書かれていました。読んでいて面白い文章ではあったのですが、まさかセンター試験にこれらの単語が出てきて、その上真面目な注釈がつけられる日が来ようとは・・・
私は実際に試験を受けるわけではないので、この文章を「読み物」として捉えることができます。しかし、実際に試験会場でこの文章に立ち会った学生さんたちは「問題文」として捉えることでしょう。
思えば、国語の教科書には様々な文章が掲載されていました。「クマの親子が信号を『えい』と言って変える話」「ネコのお祈りの話」「こんび太郎の話」「乾物店?の話」「夏目漱石の『こころ』」などの物語や、騙し絵にまつわる文章など、色々ありました。タイトルこそ思い出せませんが、乾物店?の話では、友人たちが挿絵に落書きをしていたのを覚えています。店の看板の店名を消して、何かに書き換えてたっけな・・・
国語の授業であるため、ただ読むだけではなく、「作者の気持ちを答えなさい」「○○とはどういうことか、文章中から適切な語句を抜き出しなさい」といった問題が付属してきます。ああいった問題は、ただ読むだけじゃなくて色々と考えさせるためのものだったのかなぁと、今になってようやく思えるようになってきました。
「こころ」は授業中に読んだ後、気になって原作を手に取ったことがありました。当時は専ら漫画か星新一さんの本ばかりでしたから、勉強を通じてその他文学作品に触れる、というのも国語の授業の醍醐味だったのかもしれません。
パッと思い出せるもの以外にも、改めて読んでみれば面白いと思える文章があったかもしれない。「問題を解かなければならない」という義務感や、試験時間という制限から離れて、「勉強」における「問題文」という捉え方から離れて、はじめて国語の文章の面白さに気づくこともあるかもしれないと思う今日この頃です。
そんでもって、国語の現代文から読み始めたのですが・・・「リカちゃん人形」「ミニーマウス」「やおい」「メイド・カフェ」などが取り上げられていました。内容としては、リカちゃん人形が様々なキャラを演じるようになったが、リカちゃん人形であることは変わらないということから始まり、キャラも個性の一部であることなどが書かれていました。読んでいて面白い文章ではあったのですが、まさかセンター試験にこれらの単語が出てきて、その上真面目な注釈がつけられる日が来ようとは・・・
私は実際に試験を受けるわけではないので、この文章を「読み物」として捉えることができます。しかし、実際に試験会場でこの文章に立ち会った学生さんたちは「問題文」として捉えることでしょう。
思えば、国語の教科書には様々な文章が掲載されていました。「クマの親子が信号を『えい』と言って変える話」「ネコのお祈りの話」「こんび太郎の話」「乾物店?の話」「夏目漱石の『こころ』」などの物語や、騙し絵にまつわる文章など、色々ありました。タイトルこそ思い出せませんが、乾物店?の話では、友人たちが挿絵に落書きをしていたのを覚えています。店の看板の店名を消して、何かに書き換えてたっけな・・・
国語の授業であるため、ただ読むだけではなく、「作者の気持ちを答えなさい」「○○とはどういうことか、文章中から適切な語句を抜き出しなさい」といった問題が付属してきます。ああいった問題は、ただ読むだけじゃなくて色々と考えさせるためのものだったのかなぁと、今になってようやく思えるようになってきました。
「こころ」は授業中に読んだ後、気になって原作を手に取ったことがありました。当時は専ら漫画か星新一さんの本ばかりでしたから、勉強を通じてその他文学作品に触れる、というのも国語の授業の醍醐味だったのかもしれません。
パッと思い出せるもの以外にも、改めて読んでみれば面白いと思える文章があったかもしれない。「問題を解かなければならない」という義務感や、試験時間という制限から離れて、「勉強」における「問題文」という捉え方から離れて、はじめて国語の文章の面白さに気づくこともあるかもしれないと思う今日この頃です。