15日の終戦記念日までに新聞やテレビでいろいろな人たちが戦中、戦後に経験したことを証言していた
どの人も極限の苦しみの中で生き抜いて来たから、それは重みのある内容ばかりだった
その中で私が最も印象を受けた証言があったが、それはある特攻基地での出来事だった
これから特攻に向かう隊員たち数人がある高名な司令官からの訓辞を受けていた
訓辞が終わると司令官は 「何か、質問はあるか?」 と隊員たちに問うた
すると一人の隊員が 「敵艦に魚雷が命中したら、帰ってもいいですか?」 と、質問した
しかし司令官の返事は語気鋭く 「ならぬ~」 と一喝したそうだ
間違いなく死へのカウントダウンが始まっているこの質問した隊員も、生への一縷の望みをかけて司令官の返答に期待したのかもしれない
そしてこの若い隊員たちは全員が特攻と言う外道の作戦の犠牲になってしまった、と、証言者は語った
しかし、その司令官はその後も生き延びたという
このように若い者たちを特攻という死への世界に追いやった上官たちの多くは、戦後も温々(と生を享受して責任を問われることはなかった
本来ならば戦後、日本人によって 「特攻作戦」 を検証してその上官たちを訴追して然るべき罪状を負わせることが、若くして逝った特攻隊員たちへの鎮魂への証しになるはずだった
しかし 「朝鮮戦争」 勃発によってその検証も忘れられてしまった
私はその証言に強い感銘を受けながら 「特攻死」 した三千人以上の若者に改めて哀悼の意を捧げました
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