日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

戦時中の想い出

2015年08月15日 14時10分51秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

薔薇の花

空堀川沿いの民家にて
(撮影: H270815)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




今日は終戦記念日
この大戦で310万人もの人たちが犠牲になった

何故この戦争が始まったのか? と、歴史好きな私がその謎に挑戦したが、未だにその理由を理解していない

そしてこの日が近付くとテレビや新聞で多くの人たちがその戦争での経験を語って報道されたが、私も興味深く見聞させていただいた

終戦時、私は満5歳。多くは戦時中、戦後の出来事は憶えていないが、幾つかはまだ脳裏に貼りついている出来事もある

昭和18年、中島飛行機武蔵野工場に勤めていた父が病死した
当時、私たち家族はこの工場のすぐ近くに住んでいたが、何れはこの工場が爆撃されることを母は予感して、19年には東村山の実家に一時避難した

出戻りの母はかなりの重圧を感じていたことであろうが、とにかく実家の納屋のような部屋で私たちの生活が始まった

実家は大きな農家で、母屋の前は見渡す限りと表現するような広い農地があったが、当時は家もまばらで視界も開けていた

ある時、大人たちが数人、西方を見て騒いでいた
私もその大人たちの隙間からそちらを見ると、小さな飛行機が急降下しては反転、今度は急上昇して上空へ、そしてまた急降下の飛行を繰り返していたが、それは急降下しながら機銃掃射しているらしかった

大人たちは 「グラマンだ~ グラマンだ~」 と言っていたが、そのグラマンとは米軍飛行機の通称だと教えてもらった

その場所は隣町の軍需工場で米海軍の艦載機がその拠点を攻撃している白昼の出来事だった

私は難しいことは判らなかったが、よく見ていると、それはオモチャの飛行機が飛び回っているようだったが、現地では大変な被害を蒙っていた

遠くから見たこの光景は今もはっきりと憶えているが、この時、機銃掃射を受けた建物の一部は壁に弾痕を受けた跡が今も現存しているらしい

その後、母が予想した通り、武蔵野工場は重点爆撃されて徹底的に破壊されたが
人伝(ひとづて)に私たちが住んでいた住宅も直撃弾を受けたとのことだった

東村山には軍需施設が無かったので直接爆撃は受けなかったが、武蔵野工場を爆撃したB29はその後東村山上空を通過して帰投する

B29は全ての爆弾を投下したはずだったが、中には爆弾槽に引っ掛かって落ちない爆弾もあるので、その爆弾を人為的に落とすとそれが東村山辺りに落下することがあった

ある時、私たちが住んでいる所から六百メートル近くにその役目違いの爆弾が落ちた

私はその時の音を今でも覚えている
 ”サラ、サラっ、サラっ” とあの竹藪で笹の葉を揺すぶるような音がした後、大きな爆発音が聞こえて大地が震えた

その爆弾で民家が直撃され、住民が即死した

その時私たち家族は皆で蒲団を被って静かにしていたが、庭に掘った防空壕は湧水で使い物にならなかったからだった

まだまだ戦時中の想い出は尽きないが、父は34歳で幼子三人を残して逝ったから、戦後は母の苦労が始まった

 「戦争はもう二度と起こさないで」 と、今日改めて平和の有難さを噛み締めながら願い続けることにしよう







なぜ 値上げ?

2015年08月14日 11時14分02秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ハイビスカス

空堀川沿いの民家にて
(撮影: H270812)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★





今日は朝から曇り空。明るいが重くて層の厚そうな雲がお日様を遮っている

9時半過ぎ、妻と歩きで家を出たがいつもより気温が低いので汗の出る量も少しは減ったようで助かった

この辺りでは昨日からお盆になったが、歩いていると何となく世間が静かになったような気がする

多くの人がお盆休みだから、その気配を世間が感じ取っているのかもしれない

だがお盆になると品物の価格が上がるのは何故なのだろうか?

12日、仏壇への仏花、お墓参りの花などをいつも利用している街中の花屋さんに買いに行ったが、以前の価格より倍になっているのにびっくりした

私はお墓参り用にはいつも小菊を買うが、一本100円だったのが200円になっているし、仏花も倍になっていた

このような値段を見るとお盆を見透(みす)かして価格を引き上げたとしか思えない

この花屋さんは近くのスーパーでも販売しているが、そこでの価格は同じなので、ますますお盆価格としか思えない

文句を言っても仕方の無いことだが、年間通じて幾つかある大きな行事の度に値上げするのは消費者にとっては迷惑なことであることを販売者は理解すべきではなかろうか?





今日は盆様迎え

2015年08月13日 15時14分39秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

夏の薔薇

空堀川沿いの民家にて
(撮影: H270813)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




今日は迎え盆の日

盆様を迎える風習は宗派によっても、また地域によっても違うようだが、あまり広くない当市でも幾つかの宗派に別れているのは何故なのだろうか?

それは地域毎に宗派が違っていて、真言宗、臨済宗、曹洞宗などあるが、同じ臨済宗でも建長寺派、大徳寺派などに別れている

我が家は真言宗豊山派、その信者たちの墓地は町内にあるが、一般的な迎え盆のやり方は次のようだ

今日、夕方になると早々と小ざっぱりな服装になって家族でその墓地に向うが、迎え盆は早や目に行くのが慣例だ

墓地に着くとそこで自家のお墓参りをして、多めに線香を灯して持ち帰る

線香を多めに持つのは盆様が行く道筋を間違えないようにと、角、角に少しずつ線香を置いて行くからだ

だから人によって家までの距離に応じるように線香の本数を用意しなければならない

日が暮れて暗くなると墓地に通ずる町内の道路の角っこには線香の小さい灯りが無数に見えたものだった

だが今はその風習に ”待った” が掛けられている

それは住民から ”置かれた線香” を問題視する意見が出るようになって、何処の角にも線香を置くことが自制されるようになってしまった

古くからの土地の人はそんな文句を言わないが、新しくこの町内の住民になった人はそんな風習に馴染めないのだろう

昔の町内は土が何処でも露出していた。置かれた線香もすぐ土に帰ったが、今のようにコンクリートだらけの町内では線香はいつまでも消えることがない単なる残骸となってゴミ扱いになっている。住民の苦情も一理あるのかもしれない

我が家ではここに転居してからは墓地が遠くなって、盆様迎えは簡素化したが、やはり想い出すと懐かしい8月13日の夕方の風習だった

もう少し時間が経てば早い家庭では盆様迎えに行く人もいるだろう。今日夕方は傘マークが付いていて心配した天気だったが、15時現在は晴れているので大丈夫だろう

盆様送りは15日の夜、送る時はなるべく遅い時間を選ぶ。妻が病気してから本来のお盆の行事も大幅に少なくなったが、ご先祖さまにはそれを許してくださるようにお願いするしかない





あれから30年 (日航ジャンボ機墜落)

2015年08月12日 06時02分02秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

着陸するボーイング747
(JAL)

第二ターミナル展望デッキにて

(羽田空港 H201029)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




1985年 (昭和60年) 8月12日、日本航空123便 (ボーイング 747-100型機 JA8119) が、羽田空港を18時に離陸、その12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の山中に墜落、搭乗員524名中520名が死亡した

旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数を出した事故であったが、私にはこの事故が人生の中でも忘れられない想い出となっている

そのニュースを最初、何処で知ったか?
私は隔離された病室のベッドの上で、10インチくらいのソニー・テレビでそのニュースを知った

私は6月過ぎから総合病院で入院療養中であった
4月、会社の定期健康検診で病状が判り、即入院することを余儀なくされた

 「入院しなさい」 との宣告は私には ”死” と同じように打ちのめされた冷たい言葉だった

この入院は私だけで止まらず、家族にも大きな負担を掛けることになった
特に妻はそれなりに見えない苦労を一身に引き受けて良く対処してくれたことを想い出すと、今でもそれに対する感謝を忘れたことはない

特効薬のお陰で病状も良くなった頃だったので、このニュースは衝撃的だった
翌日、墜落のニュースが報道される度に私の気持ちは揺れ動いた
 ”あのジャンボ機が墜落するなんて?” とても信じられないことだった

今日はあの日から30年目、犠牲者のご家族には簡単に時の流れを許せたであろうか?
 「あの事故がなければ?」 と、誰もがこの日のことを想い出すと涙するであろう

航空関係者は 「日航ジャンボ機墜落」 の言葉を想い出す度にこの事故から得た教訓を無駄にしてはならない

幸いにも私はその年の11月末に退院した
だが私の人生史の1985年版には 「入院」 と 「ジャンボ機墜落」 の出来事がはっきりと刻まれている

多くの犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます
                              合掌



以上の文章は昨年の今日 「あれから29年 (日航ジャンボ機墜落)」 のタイトルで投稿した内容を一部修正したものです







今日は妻の通院日

2015年08月11日 16時28分08秒 | 日暮らし通信


今日は妻の通院日
目覚まし時計が午前3時半、予約した通りに起こしてくれた

6時半車で出発。診察予約は9時だが、道路事情を考えて早や目に家を出た

今日は何故か? 道路も空いている?
35分で病院の駐車場へ到着したが、このように早く着くとは思っていなかった

まだ時間も早いから駐車場はこのようにガラガラで好きな所に停められる




    写真説明: 着いたばかりの駐車場
    撮影場所: ある公立病院にて (撮影: H270811 07:10)



9時前から妻の診察が始まった

まずは先日行った血液検査、胸部レントゲンそして心電図の所見を聞いた

血液検査は全ての検査項目が上限値と下限値内で異常ないとのことだった

レントゲン、心電図も異常が無いとのことで一先ずは安心した

次は妻が通常受けている問診が始まったが
妻と同じ干支である担当医は必ず 「今日は何曜日ですか?」 と質問する

妻は即答した訳ではないが何とか 「平成27年8月11日 火曜日」 と答えた

朝、起きてから私が 「今日は何日?」 と聞いて、少しは教えたが
後は妻任せの答えなので私は聞いているだけにしていた

その後は先日転んだ時の右膝を診て貰った

患部の内出血を診て 「関節や骨は大丈夫だろうか?」 の所見で
 「レントゲンを撮って診ましょう」 とのことで
 「撮影後は再びこの診察室へ来てください」 と言われた

私はちょっと心配気味になってしまったがすぐレントゲン撮影した

その写真を見せて貰ったが、関節も骨にも特に異常が無いとのことだったが
専門医では無いので後日、整形外科の医師に診察して貰うようにと
その場で予約を取ってくれた

私はこの一連のやり取りを見ているとIT技術の進歩が目につく
レントゲン写真は撮ると瞬時に担当医のパソコンに伝送されるそうで
全てはデジタル処理されている

だがその便利なコンピューター処理だが
もし 「システムダウン」 発生時の混乱は如何ばかりかと、不安にもなった

お陰さまで何事も無く、今日の通院も終わりました

着いた時にはガラガラだった駐車場も満車になっていました




    写真説明: 帰る時の駐車場
    撮影場所: ある公立病院にて (撮影: H270811 09:53)




仏花の日持ちが良くなりました

2015年08月10日 14時22分39秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

仏花は夜、屋外へ

自宅にて
(撮影: H270810)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




 「頑張れ~ 仏花」 のタイトルでブログアップしたのは先月29日のことだった

ところで私は 「仏花(ほとけばな)」 と言っているが、一般的では無く、私が勝手に付けた言い方です

しかし、仏花は仏壇には欠かせない大事な供え物だから、何とか仏花が日持ち永くなるような方策を考えてみたが、私はB型で意外と凝り性なので、一度脳に取り込んだら先走るタイプなのです

まずは仏花が置かれている環境を見ると、仏壇での定位置は奥深く、風の通気性がすこぶる悪いことに気付いたが、それはいわゆる ”風通しの悪い” 状態にあったようだった

かつて永年私が園芸農家で働いていた時、必ず行う仕事に 「株間拡(かぶまひろ)げ」 と言う作業があった

最初は小さな苗を植え付けたポッドをトレイ1個に20個ほど詰めて育成する

その後、ある程度育ってくると、そのトレイからポッドを1個ずつ取り出して、温室内の台上に置き換えるが、その時は前後左右に充分な空間があるようにする
その作業が 「株間拡げ」 だった

窮屈なトレイから通気性が良くなった場所に置かれた草花は見違えるように勢いよく成長する
それほど通気性の良し悪しは草花の成長に影響する条件だった

そんな経験から仏花も同じだと考え、仏壇の風通しが良い位置に置くことにした

それともう一つ、何と言っても妻が元気な頃、それも真夏の頃に夜は仏花の花瓶を表に出して風に当てたことを想い出して、私もそれを実行することにした

16時半過ぎには日の(かげ)った軒下に置くことにした。だが風で花瓶が倒れるので写真のようにフォルダーを作ってガードした

仏花を風通しの良い所に置く、そして夜は表に出して夜露にも当てる、そんなことしか私には思い浮かばなかった

だが、この対策は意外と効果があった
新しく仏花を替えて対策実施したのが先月29日だが、写真のように今日になっても菊の濃い葉緑は変わっていない
こんなことは始めてだった

この間、東京では8日間猛暑日連続記録の中で暑い日が続いたが、仏花はその暑さにも耐えて元気だ

朝起きて、表にある仏花の葉緑を見ると、私も今日一日を元気に過ごせるような気持ちになるから不思議だ






長崎平和祈念式典

2015年08月09日 15時05分55秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

長崎平和祈念式典

自宅DKにて
(撮影: H270809)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




長崎は今日、70回目の 「原爆の日」 を迎えたが、その日、長崎の朝は雲一つない快晴だったという

だが11時2分、B29爆撃機に搭載された 「ファットマン」 と呼ばれる憎っくきプルトニウム型原子爆弾を投下、長崎市の人口25万人の約3割にあたる6万?8万人が亡くなり、建物の三分の一が全半壊した

あっと言う間にこのように多くの殺戮が行われたのは人類史上初めてのことでもあった

それからもう70年、未だに原爆による後遺症により多くの人が苦しんでいる

私はこの原爆投下は許しがたい犯罪行為であると考えている。戦争だから何もしても許されるという保証などないからだ

それにしても米軍は日本の民間人を無差別に殺し過ぎた。それは原爆投下もさることながら、主要都市での焼夷弾爆撃により、また多くの民間人が犠牲になっているのも 「無差別爆撃」 の作戦ミスによる被害だった

米軍爆撃機には 「ノルディン式照準器」 と言う優れた精度の高い機器があった。それを駆使すれば軍需工場のみのピンポイント爆撃だって可能だったはずだ

アメリカでの9.11テロ事件では死者三千人以上、負傷者六千人以上の被害があり、アメリカ国民はそのテロ行為を非難したが、広島・長崎での原爆投下被害と比べたことはあるだろうか?

その桁違いの犠牲者の差をアメリカ国民はどのように考えているのだろうか

某国が解決済みの 「従軍慰安婦問題」 で日本政府に反感を持っているようだが、日本国民も 「原爆投下・無差別都市爆撃」 でアメリカに抗議して補償を求めてもいいほどの大罪ではないだろうか?

仏教的な意味合いからすれば、犠牲になった方々の怨念がそうは容易(たやす)く消えるとは思えない。投下した国に対するその怨念は何らかの形で現れるはずだ

妻とテレビの 「長崎平和祈念式典」 の実況を見た。妻も神妙な顔つきで見入っていた

式典の式次第にのっとり、11時2分、私たちも起立して黙祷を捧げた

改めて広島・長崎への原爆投下での犠牲者に哀悼の誠を捧げます





おばあちゃんとの会話

2015年08月08日 15時12分28秒 | 街角から

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ツユクサ

路傍にて
(撮影: H270808)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




今日はやっと猛暑日から抜け出したように曇りがちの天気になった

日課の散歩はどうしようか? と、心配なのは妻が転んで打った膝のことだった

その膝と相談すると ”大丈夫です” とのことなので、今日は妻と歩いて近くのスーパーへ向かった

昨日の暑さと比べるとかなり気温が低いので妻との散歩では有難い条件だった

途中、農地からフェンス越しに飛び出して咲いているツユクサを撮っていると、畑仕事をしていたかなり年配のおばあちゃんから

 「お宅たち、どこから来たの?」 と、まず声がかかった

話を聞くと、そのおばあちゃんは私たちを時々見かけるので、いつかは話しかけてみようと思っていたそうだ

おばあちゃんの家はこの辺りの旧家で、母屋の前には細い道路越しに南側に広い畑が続いている

私はあまりこのおばちゃんを見たことはないが、逆に私たちを見ていることを知ったが、亡き母が 「誰もいないようでも、人間は必ず他人から見られているんだから、悪い事をしてはいけないよ」 と厳しく言われたことを想い出した

でも今日は気温が低いからまだしも、昨日までのような暑さの中で畑仕事をするのはすこぶる危険のように思われたので 「熱中症には充分気をつけてください」 と言った

このおばあちゃんの畑はいつも散歩の時に見ているのだが、仕事しているのはおばあちゃんとその連れ合いだけで、その他の人を見たことが無いのは何か寂しい気持ちになってしまった

 「跡取りさんはいないのですか?」 と聞きたかったが、失礼過ぎて言葉にはならなかった

 「近くに娘が家を建てて住んでるよ。だが畑は大変だね。すこし手を抜くと雑草だらけ、その上、固定資産税も馬鹿にならないし」 と少し愚痴めいたことも私に言った

本来ならもう隠居の身分なのに、この暑さの中で働いているなんて、ちょっと可哀想な気持ちになってしまった

だが、このように広い畑を高齢者夫婦で管理しているなんて、私はその行動力に脱帽しました
凄いことだと思ったが少し心配にもなった

いろいろな会話の後に 「キューリでも持っていくかい?」 と言われたが 「今度いただきます」 とお礼を言って別れた

いつもブログで言っているが、この辺りの畑では若い人が働いている姿を見たことがない
日本の今後の農政は大丈夫なのだろうか? と不安を持つのは私だけだろうか?

今日はやっと猛暑日から逃れたようだが、それでも気温は30度を越えている
その気温差のお陰で私の発汗量はぜんぜん少なくなった

心配した妻の歩き具合も問題無く元気に歩いた
 ”良かった” と、実感して日課の散歩も終わってホッとした





また、転んだ

2015年08月07日 14時57分11秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノウゼンカズラ

ある民家にて
(撮影: H270805)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★





それは4日16時半過ぎのことだった

椅子から立ちあがった妻が歩き出そうとして突然倒れた
すぐ傍にいた私は仰天してなす術もなかった

絨毯の上で横になった妻は ”痛いよ~” と悲鳴を上げているので、私はますます頭の中が真っ白になってしまったが、 「何でこんな所で(ころ)ぶんだよ~」 と、そんな思いが先走った

すぐ正気に返った私はすぐ抱き起こして立たせたが意外と重みのある妻の体だった

 「どこか? 痛いか?」 と、訊ねたが 「痛くない」 との返事だったので少しは安心した

半ズボンやTシャツを脱がして体を診たが、右膝の上が赤く内出血しているようで、その(ほか)には特に異常も認められなかったので安堵した

だがこの膝の内出血を見ると痛みがありそうだが、妻の 「痛くない」 との言葉を信じたいが、痛さを感知する機能が鈍くなってしまったのだろうか?

それと以前転んだ時、立っている時は無痛でも起き上がる時に激痛を訴えたことがあったので、それも心配したが幸いにも痛みは無いようだったので、取りあえず膝の患部に 「鎮痛消炎シップ剤」 を貼ることにした

妻を介護する中で最も注意していたのが 「妻を転ばせないこと」 だったので、極く近くにいながらこのようなことが起きたことは私にとってはショッキングな出来事だった

だが 「何故(なぜ)、転んだのか?」 は未だに判らない
床面に凹凸もある訳でもないのにと思案したが、もしかしたら妻が座っていた隣の椅子の脚の部分に当たって(つまず)いたのかもしれない

これで私の妻を介護するチェックリストにまた新しい項目が増えたが、とにかく転ばないように注意するしかない

転んでから今日が4日目、特に妻の日常生活に異常は見られない
右膝患部はまだ内出血があって赤黒い色をしているが、悪化しているとは思われない

状況によっては整形外科で受診することも考えたが、このまま様子を見るつもりだ

毎年春先の頃、必ず何か起こったが、今年は今までに妻に大きな変化が無くて安心していたが、やはり 「良い事は長続きしない」 との教訓はその通りだった





街中で見た空家のこと

2015年08月06日 15時30分29秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ノウゼンカズラ

ある民家にて
(撮影: H270805)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




今日は特に暑い。猛暑のピークも今日までとの予報だが、東京は七日間連続猛暑日の記録になるのは間違いなさそうだ

妻がDSなので私は9時前空堀川沿いを散歩したが、この遊歩道も殆どがコンクリートなので、気温以上に照り返しの温度はかなり高いはずだ

この時間、普段は行き交う人も多いが、今日はあまり人を見ない
やはり暑さで表に出るのを控えているのだろう

いつもと同じコースを歩こうとしたが、今日は少しコース変更していつもと違った街中を歩いたが、時にはこのようにコースを代えると思わぬ光景に会うこともある

そこで見たのは広い敷地に立派な大きな家が空き家になっていることだった
何故空家か? は、家の敷地に植えられている樹木が伸び放題で、家の周りは雑草で覆われているから空家に間違いないだろう

家自体はそんなに古くはなさそうだが ”訳ありの空家” のようで近くの人も困っていることだろう

世間でも多くの空家が問題になっているが、空家対策はなかなか難しい問題を抱えているようで、簡単には事は動かないようだ

家に帰るともうTシャツはびっしょり、今日も一杯汗をかいたが、それにしても暑い中での散歩だった

熱中症対策としてよく 「こまめに水分を取る」 と必ず言われるがその ”こまめ” とはどのくらいの間隔なのだろうか?

私も水分だけは取るようにしているが、あまり冷たい水分ばかり取っていると、逆に腸に負担となって 「夏バテ」 の原因になると聞いたので ”こまめに、ほどほどに” と思って水分補給している

家ではエアコンがあるので涼しいが、エアコン嫌いの高齢者が多いと聞くが、その人たちはいったいどのようにこの暑さの中で生活しているのだろうか?





またまた猛暑日です

2015年08月05日 14時21分08秒 | 日暮らし通信

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

サルスベリ

地蔵堂墓地苑にて
(撮影: H270805)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




東京は昨日で5日連続の猛暑日になりました
この5日連続猛暑日は1875年 (明治8年) 6月の観測開始以降、140年間で初めてのことだが、東京のこれまでの連続猛暑記録は4日で過去に6回あったそうです

総務省消防庁によると、7月27日~8月2日の1週間で、1万1,672人 (速報値) が熱中症で搬送され、25人が死亡、入院が必要と判断された人は4,048人とのことです

スポーツの記録更新なら関心もありますが、このような猛暑記録はあまり歓迎されないだろうが、特に高齢者には有難くないことです

今日、妻はDSなので、私はお墓掃除をすることにした

しかし、この暑い外の陽気で仕事するには熱中症に注意しないと危険だ

広い墓地では誰もいないから、もし緊急事態になってもSOSを発することもできない
そんな墓地の中で倒れていたなんて、あまり人聞きのいい話ではない

でも掃除するなら今日しか時間がないから、熱中症対策して9時前に自転車で家を出た

10分ほどで墓地に付いたが、やはり誰もいない。そしてやはり暑いの一言だ

掃除で一番時間がかかるのが、植えてある一本の樹木剪定
先代が植えたので名前は判らないが、樹形もだいぶ伸びているので、それを刈り込むのが一苦労だ
数年前に思い切って強剪定して小型化したのだが、最近はまた勢いを増して新しい小枝も伸び放題だった

やがて掃除の後、お墓参りして何とか予定通りに終わった

しかし、独りで墓地にいると、何か独特な雰囲気が感じられてしまうが、やがては私も此処にお世話になるのか、と神妙な気持ちになりがらのお墓掃除だった

だがやはり暑い、これでは今日は連続猛暑日が6日になるのは間違いないだろうと思った

帰りは少しコース変更して、毎年楽しみしているある民家の 「ノウゼンカズラ」 を撮ってきました

帰るともうTシャツも、トランクスもびっしょり
着替えてから、また次の買い物に車で出発しました

今日はやる事がたくさんあるから ”頑張ろう~” と気合いを入れました





暴力を受ける介護ヘルパーさん

2015年08月04日 14時34分09秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

アセビの蕾

所沢航空記念公園
(撮影: H270804)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




日常、妻がDSや入浴介護で介護ヘルパーさんには大いにお世話になっていて、私としてもその労力に感謝している

先日、新聞の 「人生案内」 と言うコラム欄に30代会社員男性が 「訪問介護で暴力受ける妻」 との相談内容を見て私は驚いてしまった

それは奥さんが訪問介護先で認知症の独り暮らしの80代女性から頻繁に暴力を受けて腕や首筋に生傷を負っていることが心配で、この介護の仕事から離れるようにと言ったそうですが、奥さんは 「職業柄仕方ない」 と楽観的で辞めるつもりはないとのことで、アドバイスを求めた男性からの相談だった

時々、介護者から認知症の高齢者への暴力はニュースで聞くが、このように逆の場合はまったく報じられていない

そこで元介護ヘルパーだった知人女性にそのような暴力について聞いてみると 「別に珍しいことではありません。よくある話です」 と聞いてまた私はびっくりしてしまった

それによると認知症の高齢者から同じような暴力を受けた事があるとのことで、介護の世界では当たり前のような感じでいろいろな実例を話してくれたが、その中にはセクハラ行為もあるとのことだった

このような話を聞いて私は少し複雑な気持ちになってしまった。介護を受ける者から介護ヘルパーさんへの暴力があまりにもタブー視されて、明るみに出ないことも一つの問題ではなかろうか?

それにしても介護ヘルパーさんの仕事は大変なことだと、私は改めて思い知らされた





日蔭を選んで歩く

2015年08月03日 15時18分18秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

南側から NTT電波塔 を望む

所沢航空記念公園
(撮影: H270803)



★ 写真の上でクリックしてご覧ください ★




梅雨が明けてからの妻との散歩コースはまた所沢航空記念公園に戻した

本当は近場の空堀川沿いが買い物兼ねての格好なコースなのだが、この暑さはでは妻にはどうしても日陰を選んでの散歩が必要なので、公園の多くの樹木による日陰は私たちにとっては有難い散歩コースだと思っている

家を出てから公園の東側駐車場までは約3キロ。駐車する場所も日陰を選ぶのだが、9時前だと何とか空いているので車も涼しい場所で停めることができる

駐車場を出るとすぐ大きな樹木が続いて、お陰でお日様を見ずに歩くことができるが、私たちは園内を時計回りに歩き始める

今日は平日なのとまだ時間も早いので行き交う人もそうは多くはない

その行き交う人は圧倒的に高齢者が多い。私たちも高齢者の仲間だが、それにしても年寄りばかりだ

歩く人が多いが、ジョギングする人もいて若い人、高齢の人といろいろな人が走っている

ジョギングする人たちが着ているウエアはカラフルで体にヒットしていて走りよさそうだが、今はいろいろなウエアが市販されているのだろうか?

特に若い女性のジョギングウエアは余計に目を引いて艶やかなシルエットが走り去って行くようで園内に明るさを撒き散らせているようだ

この時期、園内で咲いている花はあまりない。持参しているデジカメのシャッターもあまり押すチャンスも少ない

今日は少し失敗をしてしまった。いつも持っているバッグには冷たい麦茶が入っているボトルを横にして入れて歩くのだが、途中で気がついたら蓋が何かの拍子で開いてしまったようで、バッグの中は漏れた麦茶でビッショリになって、麦茶も空になってしまった

暑さ対策の一つの道具である冷たい麦茶が無くなっては水分補給もままならない。急遽コースを変えて自販機を探してスポーツドリンクを買って妻に飲ませた

日陰を選んでの散歩だが、気温はもう30度を越えているからあまり長い時間を歩くことを控えているが、妻の額も汗がビッショリ、時々それを拭き取る

先日、テレビである医師が熱中症対策での注意事項を話していたが、汗をかくのはいろいろな意味があるようで、汗を完全に拭き取るのは好ましいことではないそうです

そんなことを想いながら、考えながら妻の手を引いて歩いていたら、もう目の前は駐車場でした。今日の散歩も無事に終わりました






今日も猛暑日です

2015年08月02日 14時30分44秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

この持ち主は今何処に?

所沢航空記念公園
(H270801 撮影)



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●





今年の暑さは半端ではない。昨日、岐阜県多治見市では39.9度を観測したとか? もう40度の世界なんてどのような雰囲気なのだろうか?

今日も早や目に妻と公園を散歩しようと思っていたが、8時半過ぎ念の為、庭の寒暖計を見ると、何ともう39度を指している

 ”こりゃあ~ 無理だ” と、もし散歩で妻が熱中症にでもなったらと、散歩は諦めることにした

そこで今日は妻と車で近くのスーパーへ。その店内は過ぎるほどの涼しさで、気持ちがいい

ずうっとこの店内で暮らしてみたいような別天地だが、買い物終わって表に出ると、一瞬、別世界に変化して超暑い空気が漂っていた

これからもこのような気温の差に私たち夫婦は対応できるのだろうか? と、少し心配になってきたが ”まあまあ大丈夫だ” と自分に言い聞かせてこの夏を乗り越えるしかない

今日は散歩なしになりそうなので、その後は暫く清瀬方面をドライブしたが、車内ではいつものように妻は好きな 「天童よしみ」 の演歌を唄っていたので、妻の体調もまだ夏の暑さに負けていないと確信した

昼食後、一時間ほど昼寝して14時過ぎ、表の寒暖計を見ると40度、あまり精度のよい寒暖計ではないが、その誤差をプラス・マイナス1度としてもかなりの外気温だ

午後は家の中で妻はいつものように録画した歌番組を再生して唄っているが、今はエアコンと称する文明の利器のお陰で涼しく過ごすことができるのは有難いことだ





旅の想い出

2015年08月01日 15時13分40秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

遥か 雲海を望む

機内にて
(H171007 撮影)



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




今日もまた暑い日が続いているが、 ”暑い、暑い” と言ってもどうにもならないが、私たちはまだまだ恵まれている方で、この暑さの中で特に表で仕事している方々は大変だろうと気遣いたくなる

そしてそんな酷暑の中、もう8月のカレンダーが必要になった。早い時の流れに驚くばかりだ

今日もあまり気温が高くならない内に妻と公園で散歩しようと9時前に車で家を出た

 「所沢駅東口入口」 の交差点を過ぎると前方には大きなリムジンパスが走っているが、バス後部の大きな行き先表示盤には 「羽田空港 → 所沢」 と、デジタル文字が明るい陽射しに負けずにはっきりと読み取れる

妻もその行き先表示の文字を見たのだろう 「羽田にもよく行ったね」 と、一言(つぶ)いた

妻が元気な頃は毎年2月と10月には羽田から 「とかち帯広空港」 経由で道東へ行くのを楽しみにして、いつも所沢からこの定期リムジンバスをバスを利用していたから、ふとそんな一言が出たのだろう

病気してからはもう道東へは行けなくなったが、最後に行ったのは平成17年10月のことだった

その時は私も同行したが、その道東行きが最後になるとは夢にも思わなかった

家に帰ってからそんなことを想い出しながらその時の画像を眺めてみたが、やはり懐かしい想い出の詰った画像ばかりだった

特に往路の機内から見た遥か下界に広がった雲海の美しい光景は今でも瞼に焼きついていて、楽しかった道東の旅だったが妻も元気だった

本日、15時前、庭の寒暖計は39度を指している。 ”こりゃあ~ 暑いはずだ” と独りで(うなづ)いた