諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

幽霊との対峙。 その3

2013年12月12日 02時28分53秒 | 霊体・恐怖

続きです。

何時もながらくだらない話で回り道しちゃってます。話を石段に戻します。

手足を小刻みに振って足元を見つめて石段を登ります。そして石段の中頃の踊り場??に差し掛かりました。

踊り場っと言っも直線の石段ですから踊り場と言って良いのか判りませんが、数メートルの縦幅がある平面な場所です。

私はその石段に足を掛け登り、一、二歩踏み出し頭を上げて正面を見ました。そしたら居ました。私から向かって右側の石段の脇に。身長は180センチ弱。私より10数センチ以上背が高い角刈りの男が立っていました。

着ている服はチョット麻色がかった長袖の開襟シャツ。下は麻のズボン。何か金田一耕助シリーズに出てくる刑事が、夏場に着ている服装っぽいです。昭和初期、戦後直ぐの時代の服装です。今の時代、上下とも白っぽい服着ている奴は少ない筈です。変だなぁーと思いました。

そして顔を直視。歳は40代後半、50歳前後でしょうか。菅原文太を悪相にした様な顔してます。しかも目を見開いたままで私を見ています。確実に言えることは私を歓迎していない表情と言う事です。

人間なのか幽霊なのか。その人物は明らかに固体です。薄れて見えている訳では無いです。しっかりと固体として存在してます。靴は見ていませんが、ちゃんと足はあります。人間の可能性も有ります。

でも不思議なのは、その人物は何となく薄っすらと光っているんです。光っているから服装も顔も確認出来たと言えます。

そこから暫く睨み合いました。私は幽霊なのか人間なのか考えを巡らしました。でも判断付かず。正直、襲ってくる感じがしています。ずっーと目を見開いたままです。何を考えているのか判らない表情で。意思が感じられない顔でです。

私は確かに多少なりとも恐怖を感じてます。でも幽霊であるなら「本当に居たんだ」と嬉しさも感じています。

そして意思が感じられない顔をしていますが、私を歓迎している顔ではない事は確か。「襲ってくる」と思いました。

襲ってくるなら好都合です。私は悪霊には強い恨みがあります。その人物と私との距離は2メートル足らずです。一歩踏み込めはパンチが届く距離です。

そして怒りと共に臨戦態勢を取りました。襲ってきたら殴り返すつもりで。

「早くかかって来い、殴り倒してやる」との思いで私はその人物の顔を睨み続けました。相手も私を見下ろす形で睨んでいます。相変わらず瞬きせず目を見開いたままでです。

どれだけ睨み合ったでしょう。長い時間が過ぎてます。せいぜい1,2分だと思いますが凄く長く感じます。

「如何しようか、如何しようか。何で襲って来ないのだ。こっちから殴りかかろうか。でも人間だったら如何しようか。警察沙汰になるかも。早くかかって来い」等々、意外と頭の中では冷静に考えを巡らせてます。でも、睨み合ったまま進展せず。

こっちから「幽霊なのか、人間なのか」と声を掛けようかとも思いましたが、人間だとしても正気を失っている表情をしています。反応はしないだろうと思いました。

だったら如何しよう。「そうだ、驚かしてやろう」と思いました。

後ろを向いて、一、二歩下がって、「ピヤッ」っと声を出して驚かせば、例え人間でも罪にはならない筈です。もし幽霊なら消えるのではないかと思いました。これしか確認する術は無い。やるぞ。

そして実行。そしたら・・・・・・・・・・・・・、

 

つづく。

 

 

 

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幽霊との対峙。 その2

2013年12月10日 11時03分04秒 | 霊体・恐怖

続きです。

神を見てみたい。実感してみたい。如何すれば良いか。取りあえず神社に行こうと思いました。夜に、丑三つ時に。

丑三つ時って午前1時30分から午前3時頃でしょうか。この時間帯ならもしかしたら神の姿は見れなくても、何らかの神のメッセージを得られるのではないかと考えました。そして神を見るまで、神を実感するまで神社を回り続けようと堅く決意しました。

しかし、どの神社を参拝しに行ったら良いのかねぇー。まさか最初から上級コースの貴船神社に行って丑の刻参りの人にでも会ったら、目も当てられませんからね。

丑の刻参りは他人にその現場を見られたら貴船神の祟りを受け死ぬそうです。祟りで貴船神に殺されない為には、自分の姿を見た者を殺すしか方法がありません。

五寸釘で藁人形を御神木に打っていた白装束の女の人が「見たなぁ~」と言いながら、頭に鉄輪と蝋燭三本立てて髪を振り乱し襲ってきたら、そりゃ恐ろしいですよ。

こりゃダメです。流石に貴船神社へは最初から行くべきではないですね。

最初は何事も初心者コースにすべきです。そこでピンと来たのが某征夷大将軍を祀った神社です。勿論、仙台にあり私の家からも近いです。

実は私の血筋にその征夷大将軍の秘書兼、ボディーガード兼、軍師??兼だった男がいました。私の血筋の宗家です。

私の血筋ですから神に嫌われた因果な人生をおくったのですが、立派に生き抜いた素晴らしい人物です。私の心の師でもあります。

宗家は惚れ惚れするほどの美男子で文武両道。義勇に生きた男です。曲がった事が嫌いで出世にも禄にも興味が無かったようです。

豊臣秀吉から「比類無き勇者」と称えられ、豊臣姓まで送られても全然驕らなかった様です。勿論、調子に乗って豊臣姓など名乗っていたら滅んでいたかも知れません。そんなこと宗家は呪われた家系故知っていたと思いますね。

確か童門冬二さんが「参謀は名を秘す」と題する本を書いていますが、、名を知られない事は敵を作らない事になります。生き残るには目立たない事が一番です。

多分、宗家は先祖の失敗から深く学習し、でしゃばらない実直すぎる性格になったのかも知れません。だからこそ徳川幕府の終焉までお家が続いたのだと思います。

そして我が血筋は代々熊野神社神職を兼ねた武家の生まれです。宗家も神道にも精通しています。

実際、その仕えていた戦国武将を神道の知識を駆使して無理やり神に祭り上げた人物の一人でも有ります。だから私も安心感があります。

また宗家はその戦国武将を祀る総本山の神社建設の現場監督もしてます。最初に回ろうと決めたその神社は仙台支店みたいなもので、祀られている神様も私を優遇してくれるだろうと考えたのです。

しかも仙台のその地に某征夷大将軍と共にやって来ています。彼らが一休みした地にその神社が建立されています。何らかの保護が期待できます。

それに夜でも街の明かりが煌びやかな場所に鎮座している神社です。深夜でも結構明るい。そんなにオドロオドロシイ雰囲気ではないです。

小手調べと言ったら大変不謹慎ではありますが一番最初に参拝するのなら理想的だと思いまして、この神社からのスタートを決意しました。

私の商売は午前0時で終了。それから深夜までやっているスーパーで半額になった食品なんぞ買いながら週刊誌の立ち読みで時間を潰し、午前1時過ぎに目的の神社に到着。「よぉーし、よぉーし」と気合を入れ、神社の石段を登り始めました。

私の親の家業は新聞販売業でした。私は小学校から新聞配達をしてます。労働基準法違反ですが働いていました。新聞配達のプロです。まっ、それはどうでも良いのですが、私には新聞配達で掴んだ奥義があります。階段を疲れず登る奥義です。

それは特撮ヒーローになりきり敵と戦っているつもりで興奮しながら足元を見て、小刻みに手足を動かし階段を登るんです。そうすると意外や意外疲れも少なく、身も軽くなり軽々と石段を登れる様になります。嘘だと思ったら試してみてください。

 

つづく。

 

 

 

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幽霊との対峙。 その1

2013年12月09日 01時24分05秒 | 霊体・恐怖

今回のお題、何時書こうかズッーと考えておりました。まぁ、幽霊を信じない人は大勢居ると思いますし、幽霊を見たことある人も錯覚の可能性はあると思います。

しかし私は見ました、幽霊を。しかも目の前で。2メートルも離れていない距離でです。そして確信し断言します。幽霊は絶対います。間違いないです。本当に絶対います。

そこで私、思いました。幽霊が実在するのであれば神も絶対いると。

実際に幽霊を見て感動しました。かなり嬉しかった。勿論、恐怖心もありましたが、それ以上に嬉しかった。私は間違っていなかったと思いました。

っと言う事で、今回はその幽霊と対峙した時の経緯をお話したいと思います。時は今から11年前の10月です。

私は以前にも書いた通り従兄弟を祟りとしか思えない事故で亡くし、神の存在、霊体、そして祟りについてズッーと引きずってました。

どうして従兄弟はあんな死に方をしたのだろうか。そして従兄弟は自分の死を予期していた。生前に縁のある者の前に現れ挨拶を交わしていた。そして最後に私の所に来た。私は寝ていた。従兄弟と会った弟は私は留守だと言い、従兄弟は残念がって帰って行った。そして数日後に事故死しました。

私は悔やみました。人生ってパチンコの玉の様なモノじゃないですか。最後に私と言うピンに当たっていれば死ぬ事は無かったのではないか。私なら何らかを察知して従兄弟に忠告が出来たのではないか・・・・。

本当に悔やみました。そして恨みました。祟りを起こした悪霊どもを。何度も事故現場に通いました。こんなところで死んだのかと思いましたよ。そして祟り殺した悪霊に挑発続けました。私を祟ってみろと。私は死んでも良い。死んで悪霊になってでも従兄弟を祟り殺した奴に復讐したい。

「出て来い、出て来い。祟れるものなら、祟ってみろ。地獄に落としてくれるわ」と何度も念じたものでした。

私は本来、楽天的な男でした。目立ちたがりだったし、ユーモアもあり、リーダー的なタイプだったと思います。

しかし、従兄弟が死んでから変わったと思います。何も感動しなくなったし、何も信じなくなりました。何も望まなくなりました。

中学から高校、大学とプロテスタント系の学校に通いキリスト教も学びましたが、宗教には矛盾しか感じられませんでした。

牧師でもあった副校長は自分の権力を高める為、行使する為にキリスト教に入ったのではないかと思えたし、聖書を学んでもピンと来ませんでした。

第一、イエスキリストは十字架に掛けられた時、神に対して恨み言言っているし、絶対神・ヤハウエはアブラハムの自分への信仰心を試す為に、アブラハムの息子・イサクを生贄に出せと要求してます。自分に対しての信仰心も判らない神が絶対神なんて信じられませんでした。

犬なら人の精神状態、または自分に対して敵意があるか好意があるか人のアドレナリンの分泌状態を嗅いで的確に判るのに、そんな事も判らない神なんて信じられるかと思いました。

イエスキリストに対しても同じ磔で死んだ戦国時代の徳川方の一兵卒、鳥居強右衛門の武士道の方がはるかに上です。イエスは鳥居強右衛門の精神力の前には足元にも及ばないと思いました。故に私はキリスト教では納得出来ませんでした。

逆に新約聖書の「マルコによる福音書」の内容と、その数十年後に書かれたマタイ、ルカ、ヨハネの福音書の内容の差から、イエスキリストも存在を疑問視するようになりました。ただ単にイエスはバクテスマのヨハネにくっついていた大工にすぎなかったとしか思えません。

一体、神とは何のなのか。本当に神がいるのであれば神の存在を知りたい。神の姿を見たい。神の正体を知りたいと言う気持ちが段々と強くなって来ました。

 

つづく。

 

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軽自動車増税への提言。

2013年12月05日 14時51分19秒 | 政治・経済

とうとう軽自動車の国内販売台数が、国内で販売される自動車のの50%を占めるようになりました。

いやー驚きです。今売れている自動車の半分が軽自動車ですよ。ほんの10年前は20%程度だったのにです。凄い伸び率ですわね。

そうなると国も黙ってません。軽自動車からもっともっと税金取ってやろうと考えている様です。

現在、軽自動車にかかる軽自動車税は年間7200円。普通車は1000cc以下で同29500円。つまり軽自動車税の約4倍も普通車の方が高い訳です。

これ、軽自動車の税金が高い訳ではなく、普通車の税金が高すぎると言えます。

若者の自動車離れが叫ばれていますが、こんなに高いのでは非正規労働者ではクルマなんて持てる訳無いです。それでなくてもガソリンにかかる税金も異常に高いのです。

若くて自動車を持つなんて禁治産者覚悟じゃないと持てないと思います。ホント、税金は高すぎですね。

それで今度は普通車と比べ軽自動車の税金は安すぎた。増税すべきだとなってます。

しかし、地方に住んでいる者にとって軽自動車は身近かな足です。バスも電車もない地域で、クルマ無しでは生活が成り立ちません。それでなくても地方は所得が低いのです。

宮城県なんか東京都の半分近い所得なのです。税金が高くなって軽自動車にも乗れなくなったら、本当に困りますよ。

そこで一つ提案と言うか、提言があります。軽自動車にもう一段階の規格を設けたらどうでしょうか。

例えは原付バイクには50cc以下と原付二種があります。原付二種は90cc以下の黄色ナンバーと125cc以下のピンクナンバーがあります。

だったら軽自動車にもピンクナンバーの規格を創ったらどうでしょう。

勿論、黄色ナンバーはそのままの税率で置いときます。そして税金も通常黄色ナンバーの1.5倍から2倍のピンクナンバーを設定すれば、、ある程度税金を徴収出来るし景気も活気付くと思います。

現在の軽自動車は排気量660cc以下、全長340cm、幅148cmです。

仮に排気量800cc以下、全長で+10cm、幅+5cmでピンクナンバーの新規格の軽自動車を造れば、黄色ナンバーのの軽自動車からピンクナンバーに乗り換える人も出るでしょうし、結構丸く収まると思いますけど・・・・・・・・・。

それにピンクナンバーは660ccの黄色ナンバー車に比べ、回転を上げずに走れるので燃費も上がる可能性も有るし、安全性も高まる筈です。運転もしやすくなるかも知れませんよ。

まっ、でも、頭の固い日本の政府では実現は難しいでしょうけどね。

国民より公務員重視の国ですし、国民は食い物にされるだけですしね。

この程度の事、誰か言い出しても良いと思うのですが、全然話題にもなりませんし、やっぱりダメなんでしょう。

はぁーあ。

 

ではでは。

 

 

 

 

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縄文人の身体的特徴。

2013年12月04日 10時09分46秒 | 伝説

私の体型ですが、誰が見ても純日本人って言うと思います。簡単に言うと胴長短足って事です。

私が学生の頃も足の長い奴はいましたが、今は更に足の長い人が増えましたよね。ハーフですけどタレントのローラなんかは、どんだけ足が長いんだと思いますよ。全く。

しかし、何故にここまで日本人の手足が長くなったのでしょう。理由は幾つか有りますが、一番はパン食だと思います。

パンの原料は小麦粉。そして小麦粉の大部分はアメリカ産。アメリカの土壌は日本と違って石灰質。つまりカルシウムが豊富で土のミネラルも十分ですから、カルシウムも体に吸収されやすいのです。だからパンを食べていけば背が高くなる訳です。

背を伸ばすには成長期にカルシウムを摂取するのが大切です。

でも、日本人って世界的に見ても一番魚を食べていますよね。「魚=カルシウム」と言って良いのですが、カルシウムだけでは背は伸びない。ビタミンD(太陽光からも得られる)、ビタミンB2(肉から得られる)とかも必要と言う事です。だからカルシウム採っていても日本人は背が低かったと言えます。

そして、もう一つの理由として肉食が挙げられます。

肉と野菜。或いは肉と米。どちらが栄養価が高いでしょうか。答えは断然「肉」です。肉は栄養価の塊ですからね。

しかし、肉には毒素も多く含まれます。極論、肉ばかり食べていると癌になります。癌にならない為には如何したらよいのか。

答えは肉食獣を見れば一目瞭然。肉食獣は胴が短い。つまり腸も短い。これは肉の栄養分だけを吸収し、毒素を吸収する前に排泄する為です。

反対に草食獣が胴や腸が長いのは、栄養価の低い草や穀物を食べているからです。つまり栄養価が低い野菜・穀物の養分をギリギリまで摂取する必要がある。だから腸が長くなった。そして胴も長くなったと言えます。

胴が長い人は肉ばっかり食べていると毒素も吸収し癌になり易い。癌にならない為に、段々と腸が短くなる。つまり、胴が短くなったと考えられます。

そう考えると狩猟民族だった縄文人って、胴が短く手足が長かったと言えます。逆に農耕民族の弥生人は胴が長かった事になります。だとしたら妖怪とされる手長足長は縄文人の特徴そのものですよね。

以前、東北でナガスネ彦とされる大男の骨格が見つかりました。体長2メートルの骨格です。縄文時代の骨格と聞いています。更にはアンドレ・ザ・ジャイアントもビックリ、体長2.5メートルの骨格も見つかっています。

人間は温暖な気候になると背が高くなる。寒い気候だと背が低くなると聞いています。日本は300年周期で暑い期間と寒い期間が繰り返しているそうですから、暑い時期に背が高い人間がいたと考えられます。

そう考えると縄文時代の暑い時期の人間は手足の長い巨人だったのではないでしょうか。多分、妖怪・手長足長やダイダラボッチは暑い時代の縄文人じゃないかと考えられます。

だとしたら私、純日本人では無いですよね。背も低く、胴が長いということは粗食に耐えられる体だといえます。粗食に耐えられるという事は、太りやすい事にもなります。

反対に美味しいお肉なんか食べたら、癌になり易い体とも言えます。つまり、美食は厳禁って事なのでしょうね。

これって、幸運なのか不幸なのか。

どっちにしろ、貧乏に向いている体なのは間違いない様です。

悲しいかな、悲しいかな。

 

ではでは。

 

 

 

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