日々のパソコン案内板
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21年前の午前5時46分突然、かつて経験したことのない大きな揺れ・・・
とっさに横に寝ていた妻をかばい・・・別室に寝ていた娘に声をかけた「大丈夫か?!」
その時、階下で何かが割れる音が・・・
頭から布団をかぶりながら、脳裏を駆け巡ったのは・・・
「俺も何とかここまで来たのに、また0になってしまうのか・・・」と
それというのも、その前年の4月にこの家を購入したばかりやったんですね。
その時は、「死」ということは意識してなかったようです・・・
我が家の居間には、当時の揺れで壁のつなぎ目が少し浮いて壁紙に一本割れが残っています。
その割れを見乍ら、年月も経ち・・・
2年前の丁度この日午前4時、17年5か月という長い年月を共にしたビーグル犬のナナ様ともお別れを迎え・・・
あらためて、1月17日という日は忘れてはならない日となってしまいました・・・がっ!
今朝、5時半過ぎのテレビの電源を入れるまで・・・忘れてしまってたんです・・・
人は長い年月を生きているうちに、辛いことは忘れ、楽しいことが脳裏に残るようにできていると聞きます。
でも、忘れ去ってはいけないことをせめて心の片隅には留めなくては・・・
ましてや、天災や人災による犠牲者を悼む心は持ち続けなければとあらためて肝に銘じたいと思います。
今朝は、阪神大震災に関するコラムを紹介してみようと思います。
~以下、1月17日読売新聞朝刊より抜粋~
とっさに横に寝ていた妻をかばい・・・別室に寝ていた娘に声をかけた「大丈夫か?!」
その時、階下で何かが割れる音が・・・
頭から布団をかぶりながら、脳裏を駆け巡ったのは・・・
「俺も何とかここまで来たのに、また0になってしまうのか・・・」と
それというのも、その前年の4月にこの家を購入したばかりやったんですね。
その時は、「死」ということは意識してなかったようです・・・
我が家の居間には、当時の揺れで壁のつなぎ目が少し浮いて壁紙に一本割れが残っています。
その割れを見乍ら、年月も経ち・・・
2年前の丁度この日午前4時、17年5か月という長い年月を共にしたビーグル犬のナナ様ともお別れを迎え・・・
あらためて、1月17日という日は忘れてはならない日となってしまいました・・・がっ!
今朝、5時半過ぎのテレビの電源を入れるまで・・・忘れてしまってたんです・・・
人は長い年月を生きているうちに、辛いことは忘れ、楽しいことが脳裏に残るようにできていると聞きます。
でも、忘れ去ってはいけないことをせめて心の片隅には留めなくては・・・
ましてや、天災や人災による犠牲者を悼む心は持ち続けなければとあらためて肝に銘じたいと思います。
今朝は、阪神大震災に関するコラムを紹介してみようと思います。
~以下、1月17日読売新聞朝刊より抜粋~
元日の朝、神戸市灘区の国道2号沿いの住宅地に立った。
1995年、淡路島対岸のマンションにいて阪神大震災に遭った。被害状況も知らぬまま、持ち場の大阪府庁へ向け、空が白む頃、車で家を出た。途中、三宮からは大渋滞。灘区まで進んだ時、大阪市の消防車が何台も対向してきた。
と、左から男性が飛び出してきて、1台を止めた。「家に人がいる。助けてくれ」。角の住宅から炎が上がっていた。「まだ先に行かないといけない」。ひきつった消防士の表情が、フロントガラス越しに見えた。
今も、震災当日のことを思い返すと、この場面が動画を見るようによみがえる。
今年開かれる追悼行事は、昨年から半減して60件足らずになると聞く。神戸市役所南の東遊園地で催される「1・17のつどい」で、明かりを灯 す竹灯籠を準備してきた市民団体は解散を決めている。阪神大震災を経験していない市民は今や4割を超えた。追悼のカタチは変わりつつあるようだ。
そう思うと、あの場を再訪したくなったのだった。他人 の死、命の危機を目の前にしながら、何もできなかった。想像を超える被害を前に、どこか実感のない体験でもあった。
現地にはマンションが建っていた。復興し、街は変われど、犠牲者を悼む気持ちは、忘れずにいたい。その誓いを込め、今年も東遊園地に足を運ぶ。
1995年、淡路島対岸のマンションにいて阪神大震災に遭った。被害状況も知らぬまま、持ち場の大阪府庁へ向け、空が白む頃、車で家を出た。途中、三宮からは大渋滞。灘区まで進んだ時、大阪市の消防車が何台も対向してきた。
と、左から男性が飛び出してきて、1台を止めた。「家に人がいる。助けてくれ」。角の住宅から炎が上がっていた。「まだ先に行かないといけない」。ひきつった消防士の表情が、フロントガラス越しに見えた。
今も、震災当日のことを思い返すと、この場面が動画を見るようによみがえる。
今日
のノート
追悼のカタチ
今年開かれる追悼行事は、昨年から半減して60件足らずになると聞く。神戸市役所南の東遊園地で催される「1・17のつどい」で、明かりを
そう思うと、あの場を再訪したくなったのだった。
現地にはマンションが建っていた。復興し、街は変われど、犠牲者を悼む気持ちは、忘れずにいたい。その誓いを込め、今年も東遊園地に足を運ぶ。
地方部長 青野達哉