入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「冬」 (53)

2019年02月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日、四徳から帰る時、入笠や権兵衛山がよく見える場所を通ってきたら、第3牧区の西斜面にはほとんどと言ってよいほど雪がなかった。ところが肝心の入笠山がどうだったかは、まるで覚えていない。入笠山は、伊那側からはあまり目立つ山ではなく、権兵衛山や釜無山の方がよく見える。「入笠山」という山名にしても、だから山の向こうの人たちが付けたものだと勝手に考えている。伊那側では明治のころまで「雨乞い岳」と呼ばれていたという資料を紹介したことがあるが、それも一部の人たちの間ではないかという気がする。牧場にいても個人的には、入笠山は付き合いのないご近所のようなもので、南隣の権兵衛山の方が身近な存在になってしまっている。



 四徳では訪れる人の形跡もない墓地や墓石を見てきたが、これが唯一の例外であった。誰が被せたのか、地蔵の頭に赤い毛糸の帽子が載っていて、足元には造花ではあるが花が添えられていた。右の石柱には「秋葉大権現」の文字が読め、この辺りからも火伏の神を祭る秋葉神社へ参詣する人たちがいたことが分かる。
 この秋葉街道と呼ばれた街道、現在は国道152号線だが、これが国道かと疑いたくなるような険路、難路も一部にはあって、とはいえ、昔から遠州と信州を結ぶ重要な道であったことは間違いない。
 四徳からは、中川村の中心へ行くよりも大鹿村の方が近く、人々は講を作りここから大鹿に出た後、秋葉に通ずる山間の長い街道を歩いていったのだろう。近年、大鹿歌舞伎なども映画になって大分人に知られるようになったが、このような芸能も、この街道を通り伝わったものらしい。

 理由もはっきりとしないまま、秋葉神社に参拝するのは長年の課題だった。それも、未知の部分が残る秋葉街道や、通過する幾つもの古い集落についても、神社に負けないくらいの関心がある。まだ地蔵峠は通行止めかも知らないが、歩くのはもう諦めて、とりあえず今週にでも車で行こうと考えている。

冬の営業案内」をご覧ください(下線部を左クリックしてください)。予約は早めに頂ければさいわいです。





 
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