この月も、きょうを入れて3日、呆気なく過ぎようとしている。暖かい日が続くが、このまま季節は次の季節、春へと順調に向かうのだろうか。
このごろ、野良犬や野良猫の殺処分を減らそうと努力している人たちのことを聞いた。もちろん反対などしない、良いことだ。ただ、そういう人たちに、家畜はどんどんされ人間の胃袋におさまっていくが、これについてはどんなふうに考えているのかを聞いてみたい。クジラをまるで身内であるかのように、捕鯨に反対する人たちにも同じ質問をしたい。もしかして、全員が菜食主義者なのだろうか。彼ら彼女らにはトリ、ブタ、ウシなどの家畜と、愛玩動物や野生動物との境界をどのように設けているのか尋ねてみたい。まあこんなふうに問い詰めても恐らく、シーシェパードのリーダーは別だろうが、大方の人たちにとっては心情的なもので、そこらあたりのことまであまり考えてはいないと思う。
野良犬や野良猫が増えても構わないと思ってはいない。これは、野生鹿も同じで、その増加には手を焼いている。捕獲すれば殺処分と言って、殺さなければならない。歌にあるように、小鹿は愛らしい目をして可愛い。近付けば必死で逃げようとして、それでも駄目だと分かると声を上げる。昏倒させ、胸を刺す。と、後ろ足で最後の攻撃をしてくる。こういう光景を目にしても、ジビエなどと言って、キャーキャーする気になれるだろうか。
しかし、ブタはもっと悲惨だ。生まれて80日もすれば"出荷"されてしまう。肉牛は、30か月だ。そういうふうに家畜は人間の都合で、できるだけ短期に成長できるように変えられていった。しかし、あの家畜たちも動物であり、しっかりと哺乳類としての本性を持っている。ブタは賢いから、自分の産んだ子ブタを他の子ブタと間違えずに授乳する。乳牛にすれば、人が手を加えなければ、自分の子を育てるだけの乳さえ出れば足りたはずだし、もと長生きもできる。
人間も万年の長い狩猟採集民として、野生動物への愛情、感謝、畏敬、神格化などの感情を持ち合わせてもいただろうが、今や地球上に生きる大型動物の7割が家畜で、2割が人間さま、残りのたった1割が野生動物とあっては、最早そこまで増やしたブタ、ウシなど家畜に、憐憫など寄せる暇などないのだろう。
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