昨夜は雨がかなり激しく降った。きょうは「大暑」の日が射しているが、午後遅くなって雨が降ってきそうだ。まだ梅雨明けは先延ばしされているが、気象学的にはどうであれ、二日ばかり続いた怪しい夏空を見て、梅雨明けだと思うことにした。先程少しの間だけだったが、聞こえていたセミの声にしてもこれまでと違い濁音が喧しく、鳥の声もいろいろな声色、鳴き方が新に加わったようだから。
きょうは午前中、北原新道の草刈りをした。昼の気温25度、この夏初めての大汗をかいた。あの高座岩に至る山道は、北原のお師匠が当時の営林署、現在の森林管理署に何度も足を運び、ようやくにして許可をえて拓いた道だということはすでに何度か呟いた。師にすれば、かつては日朝上人も通ったであろうテイ沢と高座岩を結ぶ古道が時代の流れの中で消えてしまったことを惜しみ、それを偲ばせる道を新たに残したいとの思いで奮起したのだろう。その労を思い「北原新道」と名付け、今は定着したと思う。
日朝上人とは身延山久遠寺13世で、「芝平誌」によれば1472年に高座岩において「七日七夜の題目を唱座して道を開」いたとある。都ではすでに応仁の乱が始まっていたころの、遠い昔の口碑である。
もう何年前かは正確に思い出せないが、その北原新道を、間伐した木材を搬出する作業道を作るため重機が横切り、無残にも新道は分断された。大分してから見かねて、近くに切り捨ててあった木材で削られた斜面に多少のことはしたが、今はそれも朽ち、踏み跡は崩落してしまった。
師も90歳を過ぎた高齢とあってはどうするわけにもいかない。その不肖の弟子が、草を刈りながらいろいろなことを思う。新道を重機でえぐった後、せめて若干の手当はできなかったのだろうかとか、伊那市も杭を打ってあるのだから、この国有林内の北原新道の存在は認めているはずだが、その後は・・・とか。
また、登山道は登山者によっても育てられるもので、そもそも道筋を決めるに当たってはそのことを考え、さらに、そうなるように手を入れなければいけない。とは言え、決して思うようにいくばかりではなく、お師匠だってきっと、幾度となく大きな切り株や、立木に行き当り当惑を重ねたはずだ。
きょうも草を刈っていたら若い単独の登山者が登ってきた。栗立川上流の大崩落の調査には、県や市など行政にもこの道が利用されことを知っている。北原新道は、高座岩から法華道へと通ずる歴史を訪ねる道であるだけでなく、実際にも使われている、これからもだ。
番長様、ちゃんと準備して、是非来てくだされ。Mさん、きょうはどうですか。
本日はこの辺で、明日はTDS君の応援を得て、テイ沢の草刈りをもう少し。