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まだ少し早いかも知れないが、4月から5月の山旅をぼんやりと考え始めた人がいるかも知れない。
登山と山旅とどう違うかと問われれば、前者は頂上が最終の目的地だが、後者は高さにこだわらず山の中を歩く、逍遥する、あるいは彷徨(さまよ)うというような感覚に近い気がする。なだらかな森には谷川の流れがあって、気持ちのよい起伏の続く丘には青い空の下に広くて大きな眺望が待っていてくれる、そんな自然の中を幾日か特に目的地を意識せずに旅をする、そういうのが山旅だと勝手に決めている。それと、あまり人と出会わないことも、山旅の大切な条件に加えたい(巣鴨さん、どこを思い浮かべて書いているか、分かりますね)。
そうやって考えたとき、そう、他にふさわしい山があるだろうか。思い浮かぶのはあの上高地だったりするが、しかしそれは観光客で賑わう現在などではなく、釜トンネルが開通する前の、今となっては本でしか知らない、「上河内」時代と断わるべきだろう。
上高地へ行くのに、徳本峠を越えるしかなかった時代のことは、本を読み想像してみるしかない。何しろ大正池までバスが行くようになったのは昭和8年(1933年)のことだから、すでに80年以上も昔のことになる(「釜トンネル」菊地俊郎著/信濃毎日新聞)。
まだあまり人に知られていなかった上高地を訪れ、あの景色を目にした人の感動がどれほどのものだったか、そう思うと、いまでもその興奮が伝わってくるようだ。真っ青な空に雪を残した穂高の峰々、鉛色の急峻な胸壁、岳沢が押し出した扇状に広がる岩屑の堆積と常緑樹の森、そして梓川の清冽な流れ、その透き通った水をたたえた大正池と枯れ木立・・・、中断。
このブログに上高地のことなど書いても仕方ない。実はこの幾日か、山の思い出でも書いて、入笠牧場の絵葉書の代わりにしようするのだが、思うようにいかない。恥ずかしながら、まだ週休二日制が珍しいころの安給料取りの身で、年間50日以上も山のお世話になっていたころのことを、大方忘れてしまった。だから、この先がどうなるのか不明。
FC/Nさん、ご心配をおかけしました。出てきました。一度お会いして、いろいろご教授願いたいです。村上君、PHこんなもんで。