入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’16年「春」 (12)

2016年03月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 
 まだ少し早いかも知れないが、4月から5月の山旅をぼんやりと考え始めた人がいるかも知れない。
 登山と山旅とどう違うかと問われれば、前者は頂上が最終の目的地だが、後者は高さにこだわらず山の中を歩く、逍遥する、あるいは彷徨(さまよ)うというような感覚に近い気がする。なだらかな森には谷川の流れがあって、気持ちのよい起伏の続く丘には青い空の下に広くて大きな眺望が待っていてくれる、そんな自然の中を幾日か特に目的地を意識せずに旅をする、そういうのが山旅だと勝手に決めている。それと、あまり人と出会わないことも、山旅の大切な条件に加えたい(巣鴨さん、どこを思い浮かべて書いているか、分かりますね)。
 そうやって考えたとき、そう、他にふさわしい山があるだろうか。思い浮かぶのはあの上高地だったりするが、しかしそれは観光客で賑わう現在などではなく、釜トンネルが開通する前の、今となっては本でしか知らない、「上河内」時代と断わるべきだろう。
 上高地へ行くのに、徳本峠を越えるしかなかった時代のことは、本を読み想像してみるしかない。何しろ大正池までバスが行くようになったのは昭和8年(1933年)のことだから、すでに80年以上も昔のことになる(「釜トンネル」菊地俊郎著/信濃毎日新聞)。
 まだあまり人に知られていなかった上高地を訪れ、あの景色を目にした人の感動がどれほどのものだったか、そう思うと、いまでもその興奮が伝わってくるようだ。真っ青な空に雪を残した穂高の峰々、鉛色の急峻な胸壁、岳沢が押し出した扇状に広がる岩屑の堆積と常緑樹の森、そして梓川の清冽な流れ、その透き通った水をたたえた大正池と枯れ木立・・・、中断。
 
 このブログに上高地のことなど書いても仕方ない。実はこの幾日か、山の思い出でも書いて、入笠牧場の絵葉書の代わりにしようするのだが、思うようにいかない。恥ずかしながら、まだ週休二日制が珍しいころの安給料取りの身で、年間50日以上も山のお世話になっていたころのことを、大方忘れてしまった。だから、この先がどうなるのか不明。
 FC/Nさん、ご心配をおかけしました。出てきました。一度お会いして、いろいろご教授願いたいです。村上君、PHこんなもんで。
 
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       ’16年「春」 (11)

2016年03月11日 | 牧場その日その時


 今日で 震災から「5年を迎え」と新聞は報じている。正確に言えば、そうだろう。記事が出稿された段階では、まだ丸5年は経っていないから「5年が過ぎた」とは書けない。しかし、分かりにくい。
 
 あの時と同じ部屋で、同じように炬燵に入りながら、地震発生時偶々いたT君が「この家は大丈夫か」と不安気に聞いてきたことを思い出す。続いて、5年という年月がスッポリと抜けてしまったような鮮明な記憶が甦る。
 あの時、津波による被害が刻々と写しだされる映像を見ながら、それがまさに日本のある地方で、現実に起きていることだと納得することに苦労した。船が流され、家が流され、波にのまれて多くの人の生命が絶たれた。そして原発事故へと・・・、日本中が動転した。
 あれ以来、今なお遺体の捜索は続けられている。それも誠意だ。しかし批判を覚悟で書くが、過ぎた年月を考えれば、海に同化し、大地に同化した人たちにはそこを「永遠の臥床」として、静かに眠ってもらうわけにはいかぬのだろうか。残された者たちの、そういう誠意もありはしまいか。

 今日ぐらいは、思わせぶりな名残りの雪に付き合いながら、じっとしていよう。
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       ’16年「春」 (10)

2016年03月10日 | 牧場その日その時


  かくして、日本「なでしこ」は、リオ五輪への出場権を逃した。元来、あまり団体スポーツには興味がなかったが、特にサッカーは、同じ団体競技の雄である野球と比べても騒々しく、選手個々の競技場内での動作・振舞いも、言ったら悪いが幼稚に思え、敬遠していた。それが何故か、件の「なでしこ」の、五輪出場が絶望視されてからの3試合を見た。「何故か」と書いたが、試合中継の時間帯のせいだったろう。NHKも五輪出場は確実と読んだ上で、恐らくあのような編成をしたのだと思う。
 最後の2試合は見事に勝利して、それはもちろん良かった。それはいいが、NHKの実況中継が鼻に付いた、癇に障った。アナウンサーが何遍となく「リオ五輪への出場は叶わなかったが」と誰もが承知のことを繰り返し、そしてその代わり「次の世代へ繋げる闘いを」と、これまたくどいほど言う。
 よっこなことを言うなと腹がっ立った。解説者が言うならまだしも、実況中継をする者がことさらに物語性を作ろうと感情的な言辞を弄し、未来の女子サッカーのために試合に勝利して欲しいと、繰り返す。戦っている選手に失礼である。彼女たちはそれまでに立派な戦績を残し、ここまで来た。そして雨の中、目の前での戦いに精一杯の努力をしているのであって、何も未来に繋げようなどと思って戦っているとは思えない。そんなことを考える余裕もなければ、必要もない。
 なるほど、あれだけの実績を上げた日本女子サッカーが五輪に出場できないことは残念である。今回はNHKも含め、予想外の展開となってしまったろう。しかし、中継のアナウンサーに、これからの「なでしこ」のために選手はぜひとも良い結果を出して、視聴者はそれを見て今後の活躍に期待や希望を持てとまで言われ、慰めてもらい、敗北を糊塗してもらう必要など全くない。彼は淡々と中継すればよいのであって、試合についての不要かつ情緒的発言など要らぬ雑音、そんなことはゲスト解説者あたりがついでに言えば足りる。スポーツは、選手が、それを見るものを感動させれば、充分である。

 XXさん(特定の人物や団体を指してはいません)、わたしのiPhoneはどこへいったのでしょう? きっと思いがけないところに隠れているのでしょうね。
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       ’16年「春」 (9)

2016年03月09日 | 牧場その日その時


 昨日、入笠へ行く途中、通称「山奥」氏の隠れ家に立ち寄ったら、早くも冬用のタイヤを普通タイヤに交換しているところだった。
「この1本で終わるからちょっと待っててくれ」
「あれ、でもこれもスノーでござるぞ」
「なに、折角はずしたタイヤをまた付けてしまったのか」
「そのようで、クク」
「じゃあ5本交換することになるのか」
 というようなドジな場面を拝見した後、ふたりで昼近く、入笠へ上った。
 予報通り気温が上がって、氷結した道路がどんどんと融けている最中だった。横で北海道出身の山奥氏は盛んに雪道の危険を説いてくれるが、適当に聞き流す。こっちもさんざん通った道だ。危険は承知、言われるまでもない。
「ああ、もう少しスピードを落としなよ」
「いや、大丈夫でござる」
 どこかの下手くそが、無理して通ったのだろう、轍がやたらと乱れた所もある。それにしても雪が少ない。約1カ月は早い。二酸化炭素の排出による温暖化なぞないと主張する学者もいるようだが、そういう人がこの光景を目にしたら何というのだろうか。
 小屋の周囲も、雪がない。仕事が始まる4月ごろの陽気だ。遅い昼を食べて大沢山にも行ってみると、そこにももう雪などほとんどなかった。ただ、それにしては、鹿の姿がないのはどうしたことか。まだ新芽の出るには早いせいかも知れない。
 牧場内のJAXAの観測所の前で、丁度来ていたK氏と少し話す。ドコンドコンと気軽に人工衛星を打ち上げるが、失敗したり使用済みになった衛星がゴミとなって地球を周回している。しかし、使用済み核燃料のように、まだそれらへの対策はできていない。氏はその観測をやっている。いつだったか中国が、自国の衛星をミサイルで破壊してその残骸が問題になったことがあったが、一時騒いだだけで、そんなことはみんなすでに忘れてしまった。「下町ロケット」とやらもいいけれど、しっかりとした方策を考えなければまずいだろう。
 慌しく牧場内を見回ってまた、雪道の運転を心配する山奥氏を乗せて帰ってきた。

 海老名出丸さん、新緑の5月楽しみに待ってます。
 
 
 
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       ’16年「春」 (8)

2016年03月08日 | 牧場その日その時


清貧を旨とするも、酒は味でなく気分を嗜むものだから、値段に妥協してはいけないと戒めてきた。と言って、目の玉の飛び出るような高級ワインの話をしているわけではない。ビールと発泡酒とか、はたまた日本酒と合成酒のことである。
 一応、プリン体がどうだとか言われても、頑なにビールを飲んできたし、日本酒もこれ以上頭がおかしくなっては困るが、普通の清酒と言われる酒を熱燗で飲んできた。量も概ね500CCの缶ビール2本と日本酒2合、ビールはチェイサー代わりで主役は日本酒としてきた。暑い夏でもこれは変えなかった。
 ところが昨夜、得意のチキンのトマトソース煮という奴を作って食べたら、さすがに主役の日本酒を飲めなかった。それで飲んだのは500CCの発泡酒だった。完全に宗旨替えをしたわけではないが、最近発泡酒も飲むようになって、少々堕落した。これは、痛風を案じてくれる人が勧めてくれて、渋々飲んでみたら意外と悪くなかったからだが、しかし酒飲みが身体のことを気にして飲むくらいなら、いっそのこと酒など止めるべきだと思わぬでもない。

       
         この鹿の角に生えたワインは銘酒

 まあ、しかしそこまで過激にならずとも、ガンマーGDPも、痛風も、体脂肪も、つまらないから気にするなと言って、1日2合の酒と缶ビールを2缶飲んで、みんなにデクノボーと呼ばれ褒められもせず、苦にもされず、そういうものになった方がよいのかどうなのか、答えはまだない。
 ひとつ発見したことは、早々に酒を切り上げると、翌朝トイレを急かされずに布団の中で心ゆくまで、あのまったりとした幸福感を味わえることだった。お試しあれ。

 今日は入笠や山奥の隠れ家へでも行くつもりだったがサテ。
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