入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’21年「夏」(10)

2021年06月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by かんと氏

 Ume氏のドローンによる空撮映像もそうだが、かんと氏の星景写真も、こんな独り言に付き合わせるだけでは勿体ないと思うことがよくある。それでも入笠牧場を鳥になったつもりで眺めたり、宇宙や星への思いや興味を感じ、想像を膨らせてもらえればこの独り言も救われ、報われると、大いに感謝している。

 およそ神秘という言葉が最も相応しいのは、宇宙だろう。人知を超えたとてつもなく広大な世界で、それをわれわれは極めて限られた知識で、あれこれと思い描くことしかできない。しかしそれでいいと思う。あまり数学だとか物理だとかの科学知識が入ってくると、この澄んだ神秘性が濁るような気がする。
 それにしても宇宙の深さ、そこに流れる時間の長さなどと比べたら、宗教も極めて狭い世界しか語ってないような気がするが、これは宗教を持たない者の独断だろうか。あの人たちはあの人たちで、神とともに広大無辺な宇宙を眺めているかも知れない。いや、きっとそうだろう。
 
 この素晴らしい星景写真を汚さないでおくには多言こそ有害だ。そっと一歩、ゆっくりと一歩、無窮の遠(おち)へ・・・、そうだ、あの「コスモス」の著者が乗っていた「想像の宇宙船」に同乗して、今夜は久しぶりに長い旅に出よう。

 Mさん、久しぶりでした。またご家族で出掛けてください。今度はゆっくりと。

 最後に無粋なことを呟きますが、牧場内でのドローンによる撮影、あるいは天体観測は、必ず許可を得るようにしてください。本日はこの辺で。明日は沈黙します。
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     ’21年「夏」(9)

2021年06月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

         Photo by Ume氏

 上にいると朝がいい。朝日を邪魔していた入笠山の影が次第に消えて、眩い光がこの谷間にも射してくる。正体は今だ知れない、それでいて聞き覚えのある鳥の声もして、それもいい。牛たちはとっくに目覚め、思いおもいの場所でモクモクと草を食んでいる。
 急いで弁当を作る必要もなければ、修復の進まない山道を冬用のタイヤを履いて1時間以上も走ることもない。漫然と目の前の景色を眺めながら、一日の始まるのを余裕をもって意識していられるのが有難く、今それをしみじみと感じている。

 昨夜も上に泊まった。富士見に下って、充分とは言えないまでも当座の食料と酒は確保した。今年もこれからは牛の入牧を機に山の暮らしを中心にして、里のことは時々届く音信に委ねようと思っている。新聞の購読は中止したし、道路沿いの生垣は一昨日刈り、シタハバの草刈りは人に頼んで済ませてある。陋屋に生える雑草や樹木の類は好き放題にさせておいても、文句を言う人はいまい。
 牛を相手にして、牛の真似をして、あまり急がず、野生化を口実に暴走せず、できれば感情は人ではなく周囲の自然に向けるようにして、暮らす。少し変わった晩年ではあると思うも、今更それを受け入れていくしかないし、それで納得してもいる。あまり容貌は良くなくも、心持が良くて明るい、健康な女房はいないが、多分、ここの自然と牛たちがその空白・寂しさを埋めてくれるものと思っている。
 朝一番で囲いの中に行ってみたら、ジャージー牛が和牛と一緒になって反芻していた。その澄ました、分かったようなふうを、ついからかいたくなったりするのだが、逆に牛たちはそんな人間をおかしな奴が来たというくらいにしか見ていない。
 今のところあまり神経質な牛はいないようだし、草もよく食べている。囲いの中にいる間にも少しづつ調教を進め、牧区へ出すころには牛もここの生活に慣れるだろう。

 O澤さん、通信多謝。楽しみにして待ちます。だけど、こちらで用意してますからあれは結構です。

 郭公がまた鳴き出した。長閑な朝だ。本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(8)

2021年06月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 
 
 遅い、そろそろ牛が来ないとおかしい。入牧にはきょうは申し分のない天気で、午前10時を過ぎると気温は上昇し、20度を超えた。牛はさて置き、これでコナシの開花に勢いが付くだろう。
 そんなことを呟いていたらようやく、トラックのやってくる音がして、間もなくテキサスゲートを通過する時の独特の金属音が聞こえてきた。



 現在、小黒川林道に通づる南門は通行止めになっていて森林管理署によって施錠もされている。その情報が広く伝わっているのか、オフロードバイクが来るのは大分減ったが、小黒川に釣りで入渓しようとして、このゲートの前に車を放置する人が増えた。きょうも「伊豆」ナンバーの車が、入牧の際に車寄せとして使う場所に不法駐車されていて、やむなく別の場所に変えざるを得なかった。もし明日だったら、大型トラックが来るからそういうわけにはいかない。
 トラックから牛を引き摺り出し、検査場のパドックに追い込む前にいったん導入用の囲いの中に入れるのだが、この際に牛が暴れて走り出すことがある。そうした場合、そこらに放置された車に被害が及びかねず、後にややこしい問題に発展しかねない。駐車禁止の立て札を出せばと思うかも知れないが、それを見て、とんでもない場所やキャンプ場に車を乗り捨てて行ってしまう人もいる。頭が痛い。

 きょうと明日の二日間で予定頭数の約半数の牛が上がってくるが、きょうの11頭は下で必要な検査を済ませている。簡単な防疫対策を施し、牛の個体識別に使われる耳標に重ねて、牧場での管理用の耳標を付けてから馴化のために大型の囲い罠の中に放牧した。



 ジャージー牛が2頭いる。この牛の顔はどれも本当に可愛いくて、不細工な顔の和牛と比べると特にそう感じる。もっとも、あくまでも「不細工な」と断ったように、和牛が全てそうだというわけではない。可愛い和牛も要れば、ホルスもいる。これから4か月の付き合いになるのだから、あまり偏見を持たず、可愛いのも不細工なのも等しく大切に扱ってやらねば。
 まだ入牧したばかりで牛たちは落ち着かない。ちょっとご機嫌を伺いに囲いの中に行ってみよう。どういう反応を見せるだろうか。

 本日はこの辺で。
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     ’21年「夏」(7)

2021年06月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 郭公の声がするまき場の朝、牧草が朝露に濡れて光っている。きょうもいい天気だ。こういう平穏な朝を、ここでこれまで何度迎えたことだろう。上に暮らせば朝も夜も時間的余裕ができ、こんな気持ちの良い一日を始められるだけでなく、昨日呟いたような思いがけない事故もない。

 毎日100㌔近くを、走行距離20万キロに近い軽トラで通勤するわけだから、何らかの事情で車を捨てて歩かざるを得ないようなことが起こることは覚悟していた。前任のMさんも車が動かなくなり、そのころは携帯電話もなかったから、オオダオ(芝平峠)から枯れ木の頭を越え千代田湖まで歩いて、ようやく千代田荘で電話を借りたことがあると話してくれた。それだってかなりの距離がある。
 牧での仕事は歩くことから始まるから、10㌔程度がそれほど負担になるわけではないし、夕暮れの山道をあれこれ考えながら歩けば、別な角度から山室の谷が見えるような気持もして、15年間無視していた小さな橋の名前を改めて知ったりもした。
 よく使えてくれた相棒の軽トラとは、あんな形で別れが来るとは思ってもいなかったが、7月が来れば車検を迎え、それを機に廃車にすることが決まっていた。エンジンは快調でも、その他の諸々の不備で車検を通すことは無理だろうということだった。特に最近は、ブレーキの機能がよぼよぼの老人の足のように踏ん張りが効かず、制動の加減ができず思いっきり踏み込むと、雨の日などは後輪がズルズルと滑るようなこともあった。
 人との別れもそうだが、思いがけない形でそれが訪れることもある、と言い聞かせるしかない。

 K氏から、昔の入笠の写真を借りた。まだ道路はできたばかりで山肌を削った跡が痛々しかったり、北門辺りにはバス停まであった。何よりも、コナシやダケカンバなどの樹木がまだまだ低木でそれを切り開いた様子も写っていた。昭和42年とあるから半世紀以上も前のことである。昭和39年に東京オリンピックが開催され、日本がいよいよ経済復興の緒に就いた影響が、こんな山間の牧にも現れたということだろう。そのうち、ここでも貴重なその写真の幾つかを紹介したい。

 先日呟いた平澤真希さんの自然を舞台にしたピアノ演奏が好評です。https://youtu.be/pmcTtQRl0_Mでご覧ください。赤羽さん、rinrinさん、通信多謝。本日はこの辺で。


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     ’21年「夏」(6)

2021年06月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 いつかはきっと起きるだろうと思っていたことが実際に起きた。先週の土曜日、仕事を終えていつものように山室川の谷を下っていった時だった。
 第2堰堤に取り付けられた舗装路をあと少しで下り終える所まで来ると、下から山梨ナンバーの乗用車が上ってきた。そこは未舗装の道路で左に傾斜しているため、誰もがどうしても道の中央を走ろうとする。こちらは下り、いつものように待つことにした。そして、相手の車が通り過ぎたので動き出してわずか2,3秒後だった、突然、左前輪に大きな衝撃を受けた。何かに乗り上げたような気がし、同時にそのショックの激しさに、良き相棒もう使えないだろうなと直感した。
 2,3㍍ばかり離れた衝撃を受けた場所に行ってみた。何と路肩の草むらの中に写真のような国交省の道標が隠れていたのだ。乗り越せたから良かったが、そうでなかったらどうなっていただろう。





 車に戻り、ホイルが歪み、パンクをした車を無理して動かし、通行の妨げにならない場所に停めた。そして善後策を考えた。
 約3キロ、峠まで戻れば、そこからなら電話が使える。しかしその時の結論は下ることだった。電話が通じる赤坂まででも少なくも5,6㌔以上はある。ただしそこに着いても、さて救援を求める相手を誰にしたらよいのか。身内が近くにいない者はこういう時に往生すると、前から分かっていたことだったが、対策を立てる前に予期していたことが先に起きてしまった。
 途中、北原少年(お師匠)の片道8㌔の通学はもっと大変だっただろうなどと空想したりしながら赤坂まで来たが、誰に救援を求めるか決まらず、さらに歩いた。
 結局、タクシーを呼び、ともかく高遠の街まで出るしかないと思いながら、それでも歩き続けて弘妙寺の近くまで来ると、その時、電話が鳴った。TDS君だった。親切にもタケノコの煮たのを持ってきてくれて、我が家にいるという。それで事情を話したら、即決で迎えに来てくれるという返事、助かった。
 さらにそのまま歩き続け、結局10㌔ほど歩いてTDS君の車に拾われた。TDS君にはここでも厚くお礼を述べておきたい。
 この件についてはいろいろ呟きたいことはあるが、予定していた文字数が過ぎた。

 toirinさん、気付かずにいてすみません。有難う。K子さん、恐ろしいことを。本日はこの辺で。

 

 
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