入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「春」(16)

2022年03月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 春らしい陽気がまた戻って来た。今まで耳にしたことのない小鳥のチチ、チチと鳴く声や、その間には別な鳥のルルルという忙し気な声も聞こえてくる。注意すれば3,4種類の野鳥の声が聞き分けられるのだが、Ume氏にでも訊ねてみなければ、声の正体は分からない。
 そういえば、今朝はヤマバトの声がしなかったがどうしたのだろうか。もしかすればこっちが春の惰眠を貪っている間に、朝のお勤めを早々に済ませて山に帰ったのかも知れない。

 ウクライナからは悲惨な報道が届くばかりだが、長野県内のcovid-19の感染者数が依然として減らないのも気になる。昨日は500人を超えたという。旅館やホテルなどの宿泊施設とか、飲食店についてはそれなりの対策がされているはずだし、ワクチン接種もかなり進んでいるようだが、介護や医療施設での集団感染がまだまだ止まらない。
 因みにNHKの調べによれば、県内の1回目、2回目の接種率は80パーセントを超えている。しかし、3回目になると39.4パーセントと、格段に落ちてしまう。どうも副反応を怖れ接種を控える人がいるようだが、これについては、ファイザー製のワクチンに接種希望者が殺到したのがそのいい例で、報道が騒ぎ過ぎた気もするがどうだろうか。
 副反応を怖れてしかるべき人は何らかの持病を持っている。そういう人はかかりつけの医師もいるだろうから、相談すればどうしたらよいかが分かるだろう。問題は、重篤化の心配が比較的少ない若い人たちが副反応を嫌い未接種のまま、本人が罹っていることにさえ気付かずに感染を広めてしまう場合だろう。若者同士だけで済むならまだしも、それでは終わらないから厄介なのだ。
 
 牧場の山小屋やキャンプ場の営業に関しては、少なくとも利用者人数についてはこれまでのような対応を続けていきたいと思っている。これはコロナ対策というよりか、これまでも務めてきたことで、快適な自然環境の中でいい時間を過ごしてもらいたいというのがその趣旨、本当は気が進まないが、今年もやはり予約制を原則としたい。
 昨夏は、よく来てくれて親しくなった人の中にも断った幾組かがあった。大変に申し訳ないことをした。
 本日はこの辺で。
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     ’22年「春」(15)

2022年03月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 寒いはずで、今朝外に出たら地面は凍っていた。一度春の陽気に味を占めると、この名残の寒さが身に応える。その寒さのせいでか今朝は早起きしたが、いつも聞こえてくるヤマバトの声が一度もしなかった。ボケの花の開花もこれでまた遅れるだろう。
 
 牧場の小屋には、食べる機会を逸した古米がまだ残っている。古い米は味が落ちると聞いているが、その昔は、米一粒でも粗末にしたら目が潰れると言われたほどで、さすがに目は潰れないにしても、さてどうしたらよいかと気になっていた。ある時そんな話を友人宅でしたら、彼の奥さんが混ぜご飯にしたらどうかと言ってくれた。日本酒を盃1杯入れて炊いたらどうかと考えていたが、さすがに主婦だとその案に感心した。
 また一昨年、友人から新米と一緒に貰ったもち米の扱いにも困っていたら、別の友人が米と混ぜて炊けばいいと教えてくれ、ついこの間までそうしていた。このもち米をくれた年下の友人は昨年亡くなってしまい、彼を惜しみ、その厚意に感謝しつつ、無駄にしないで済んでほっとしている。
 牧場の仕事が始まっても、すぐに生活を上に移すわけではないが、この頃は16年目の牧守の仕事ばかりか、山の暮らしもチラチラと意識するようになって、長いこと忘れていた古米のことまで思い出している自分が可笑しい。
 こんなことを呟いていたら、今丁度、来年度に備えての契約更新の手続きをしたいという電話が入った。きょうは森林管理署へ行く用事もあり、ついでにそれも済ませることにした。

 話は大分変るが先日、友人4人で外へ夕飯を食べに行った折、例により食い物の話になった。そこでつい、ジンジャー醤油を使った和風味のハンバーグの考案者が誰かを明かしたら、それを聞いた3人は爆笑、罵倒、危うく嗤い殺されかけた。
 そのまま無実の罪で果てるのかと思っていたら救世主、途中から車に乗り込んできた記憶力がよいことで評判の元警察官Sが、ある馴染みのレストランで半世紀も昔し、よくそういう特別注文をしていたことを覚えていてくれた。それだけで、元祖を名乗るのに不充分は承知だが、ここから先はかなりややこしい。それを説明すると終わらないので先はまたいつか。
 で、信州に帰ってきてから美味いハンバーグと縁がなかったこともあり、何年ぶりかで「オレ風ジンジャー醤油味ハンバーグ」を作ってみた。この時も「CAMP ONE」時代のあの古いノートを引っ張り出し、遠い記憶と、苦い思い出に哭いたり笑ったりした。
 その結果、また哭いた。涕かざるを得ないほど自作のそれは美味過ぎたのだ。そして思った、3年間の赤字の原因は、決して味のせいではなかったのだと。遠いとおい、小さな思い出である。
 本日はこの辺で。
 
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     ’22年「春」(14)

2022年03月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 咲き出したばかりの梅の花に霙雪が降っている。上は当然本格的な雪降りだろうから、これでまた牧場の門は固く閉ざされてしまう。気温は低くないからそのうちに雨に変わり・・・、と思いながらカーテンを開けたら、まだ白いものが激しく降っている。積もるまでには至らぬも、それでも庭のそこかしこがうっすらと白くなっていて驚いた。
 クマだかカエルを真似ていまだ冬眠中らしく、すっかり気配を絶ってしまったあの人の好きな言葉、「老人の元気、春の雪」ではないが、去っていく冬の切ないあがき、さながらこの雪もそんな経緯を辿るだろう。一冬愛用した毛糸の帽子を被って、見送ってやることにする。



 諦めかけていたカタクリが一株だけは無事だった。いや、もう一株も小さな芽を出し始めている。隣家のはすでに花を咲かせたというのに、わが家のは随分と晩生(おくて)で、毎年気を揉む。
 昨年、新たに3,4株植えたはずだが、今のところはたったこれだけで、後は続かないかも知れない。あんな灌木が生えた山の中よりか、ここの方が余程周囲の状況も良くて大事にしてやれると思ったのだが、それは人の勝手な判断で、馴染んだ土や環境の方がやはりいいのかも知れない。
 このカタクリの群生を初めて目にした時は、てっきり誰かが植えたのかも知れないと思ったほどで、まさしく自然の花壇と呼ぶに相応しかった。しかしそれから数年の間にすっかりと環境、様相が変わってしまい、数年して久しぶりに訪れた時には場所の特定にさえ手間取ったほどだった。
 あのようになってしまっては早晩絶えてしまうだろうと、ここ何年か幾株かを里におろしてみたのだが、それでもあの生まれ育った土にはかなわないようだ。いくら大事にしてやっても里親には懐かず、実の親を恋しがるならそれも仕方のないこと、今春もあの峠を訪ねはするが、余計なことはもうしないつもりでいる。

 桜の花は短命の象徴のように言うが、梅の花の方がその散りかたはもっと呆気ないと思う。この花は、咲くか咲かぬかの微妙なころのその蕾の白さが特に気高く、多くの固い蕾に混じって控え目に二、三輪咲き出したころが見るのに一番適している。今がまさにそんな時で、そこに降る思いがけない春の雪をさて諒とするか、まだ決めかねて眺めている。
 昼近くなっても雨にはならず、雪はまだ大きなボタン雪になって降り続けるようだ。
 本日はこの辺で。
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     ’22年「春」(13)

2022年03月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 5か月の休みも残すところついに1ヶ月を切った。もう少しすればまたいつもの春が来て、こんな芽吹きの風景を春の訪れが遅い山室川の流域でも目にすることができるようになるだろう。それを心待ちにする一方で、被り慣れた毛糸の帽子とおさらばするようなとでも言ったらよいのか、後姿を見せながら遠ざかりつつある季節を、心のどこかで惜しんでもいる。春まだ浅き今は、そんな矛盾した時季でもあるのだろう。

 きょうも、敢えて作れば別だが、何の予定もない。そして、それに不満もなく、喜んでさえいるほどだ。冬休みの行動が夜の散歩と月に1回の入笠行ぐらいで、これまでの4か月は似たような毎日が過ぎていっただけだった。しかし、まあ、こんなものだと思う。
 それでも、もう少ししたら今春も、カタクリの峠を超えて小横川の源流をTDS君と訪れることになっているし、昨年途中まで登った風越峠にも行ってみたいと思っている。まだ雪深いだろうが4月になれば入笠へも様子をみに行かねばならぬし、安房峠を超えて飛騨の温泉へ行く計画もある。
 また、言い出しっぺであったことから形式ばかりの主宰の地位を、駄句ばかり作り追われた俳句の会「法華の会」が、晴れてもうすぐ記念号を出す。そこには旧会員ということで、畏れながらも恥多き残滓を晒すことにもなっている。そうなれば出版を記念して、みんなで集まる機会もきっとあるだろう。
 こうして呟いてみれば、結構することがまだある。今年の大河ドラマは見ていないが、炬燵に当たり鎌倉や室町への「小さな旅」はまだ続くから、暇を持て余すということもなさそうだ。
 確かに、冬休みの行動範囲は知らずしらずのうちにすっかり狭まってしまったが、これから春の日はさらに明度を増し気温も上がる。covid-19の脅威も少しづつ減るだろう。暗い穴倉から這い出る時が来た。
 
 凍土を利した戦車による軍事行動は気温の上昇とともにさらに難しくなる。一人の錯誤と妄念により始まったこの痛ましい紛争も、落としどころが見付かるかも知れない。と言ってしかし、それにより強いられた犠牲は、どのように償われるのだろう。
 トンボの顔をしたあの国の独裁者も、日本に馴染みの深いあの国の軍事政権もいまだ続いているし、花火のようにロケットを発射する若き鉄面皮も意気軒昂である。頼まれてもいない極々少数の人間のせいで、この世界にはどれほどの不幸が生まれているのか。神聖な舞台に勝手に登場し拙劣極まりない演技を見せつける、その度し難い図々しさが、恥知らずな振る舞いが、人類70億の生存を危うくしている。
 本日はこの辺で。

 
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     ’22年「春」(12)

2022年03月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうは予報通り曇り空で、季節の進み具合にも一服感がありそうだ。こんな天気でも義理堅く、ヤマバト(=キジバト)は今朝も来て朝のお勤めをしているようだと思っていたら、いつの間にか鳴き声は聞こえてこなくなった。いつもよりか早目に勤行を切り上げて、どこかへ飛び去っていったのかも知れない。
 昨日、大崎様の近くを通った際に気付いたが、3本あったサワラの木は全部伐られたと思っていたら、1本だけまだ残っていた。しかし、ヤマバトはもうその木には寄り付かなくなってしまったらしく、今朝も鳴き声はどこか別の方向から聞こえていた。
 あの程度の変化でも鳥は敏感で、その行動に影響を及ぼすのだとしたら、深山で行われている大量伐採などは野鳥ばかりか、他の動物にもかなりの影響を及ぼしているだろう。特に、そろそろ冬眠から目覚めるクマの機嫌を損ねなければよいが、さてどうだろうか。



 昨夜は蕗味噌を酒の肴にして、春宵の独酌をしみじみと味わった。
 この季節、日の光は輝きを増し、眠っていた野山の草花は生気を取り戻す。人も自然と心浮き立ち、解放感に誘われて外へ出る。しかしふと、この季節の底にまだ残る冷たさを、「早春賦」の「春は名のみの風の寒さや」の歌詞とともに、今春も思い知ることがあった。そう言い残して、短い人生を自ら絶ったある女子高生のことは、すでに毎春のように呟いてきた。
 あれも今頃の季節だったろう、年を取ったらふる里へ帰る。そしていつか来る春を二人して縁側に座り、目の前の梅の花を眺めながら茶を飲みつつ、過ぎた去った苦労の日々を懐かしく振り返る。そういう時が必ず来ると言って、途方に暮れていた相手をなだめた。そしたら、そんな遠い先の日まで待なければならないのかと問われて、返す言葉を失った。
 確かに、年月だけはいつの間にか過ぎたが、そんな日が訪れることはなかった。春の風にも、一掬の酒にも「あはれ」は秘そむ、昨夜のこと。

 念のため、蕗味噌の作り方を調べてみたら、酒の肴ではなくてご飯の副菜として扱われ、みりんに加えさらに砂糖もだと、いやはや。主役はあくまで蕗の薹、その苦味。

 かんとさん、あまり早い予約は連休の天気が大いに不安になります。しかし、かしこまりました。
 本日はこの辺で。」
 

 

 
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