新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

土崎みなと歴史伝承館

2021-08-27 23:08:32 | 鉱山

今日は少し足を延ばして秋田市まで出かけました。目的は土崎に2018年に新しき出来た土崎みなと歴史伝承館です。国道7号線沿いにあることは知っていました。今回、土崎空襲についての特別展が開かれているとのことで、どんな感じの展示なのかを見たいと思っていました。

入口そばには、7月に開催される土崎湊祭りの山車が展示されており、それがこの伝承館の目的のひとつですが、奥には常設展示で、昭和20年8月14日夜に行われた土崎空襲の展示ブースがありました。ここには空襲の標的となった旧日本石油秋田製油所の建物の一部が移設展示してあります。

特別展は2階の一室で行われていて、空襲による被害や、当時の遺品、写真などの展示が行われていました。今回わざわざ出向いたのは、その空襲がどうして行われたのか、その当時の秋田製油所がどれだけ重要施設であったのかが、わかればと思ってのことで、鉱山(油田)を調べる一環でもありました。

秋田に住んでいれば、今でも一部の場所で油田が動いていることを目にして、油田があることは普通の光景なのかもしれませんが、他の地域から来た方は、日本で油田があるなんて発想はほとんどなく、秋田では戦前戦後にどれだけその産業が大きな影響を与えたかなどとは考えないでしょう。残念なことに戦時中は多くの場所で空襲があり、空襲があったということだけでは、土崎空襲を語り切れないと思っています。テレビなどで展示内容はある程度把握していきましたし、この土崎みなと歴史伝承館は入館無料ですので、こんなもんか?と少し消化不良気味で後にしました。特別展は今月いっぱいです。

のち

 

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横手市/吉乃鉱山

2021-06-26 23:28:46 | 鉱山

先日の十文字ツアーで、せっかく梨の木塚遺跡まで来たので、ついでに吉乃鉱山を見に行きました。十文字駅から国道342号を東に8kmの成瀬川北岸、梨の木塚遺跡から車ですぐの吉野集落にあった銅鉱山。発見は享保2年(1720)にはすでに鉛の採掘が行われていたと記録が残る。江戸時代は鉛や銀の採掘が個人により行われ、一時は院内銀山の銀精錬用にもここの鉛が使われたという。

(選鉱場跡地)

大規模な採掘が行われたのは、明治44年(1911)にそれまで小規模だった鉱山を小坂鉱山の技術者だった武田恭作が買収し、当時経営していた椿(後の発盛)鉱山の支山として採掘を開始。大正4年に熊ノ沢で新たに大鉱床が発見されたことで、大日本鉱業㈱を設立し、吉乃鉱山に改名した。大正6年には十文字駅まで6.4kmの架空索道(鉄索)や水力発電設備、選鉱場増強などの設備投資を行い、産出量は粗銅23t(明治44年)から3,974tへと急拡大し、本邦の重要鉱山に数えられ、吉野地区に鉱山関係者6,000人を超える鉱山町が出来上がった。

第一次大戦後の不況で人員整理を行ったが、その後生産は回復し、年1,000t前後の銅精鉱を荒川、小坂製錬所に売鉱。昭和6年には住友財閥が資本参加し、鉱石は発盛製錬所まで鉄道輸送した。第二次大戦中には需要に追い付かず、隣接の倉刈沢(増田)鉱山を買収し、高水準の産出を続けるため、朝鮮人労働者も使ったという。

戦後は、戦時中の乱堀とそれによる鉱石の枯渇、資材不足による坑道保全の不備などの悪条件が重なり、朝鮮戦争時には一時盛り返したものの、市況の低迷、鉱石の枯渇で昭和32年(1957)に休山。大日本鉱業㈱は昭和52年(1977)に解散した。閉山後、長期にわたり鉱毒対策が行われ、現在でも廃水処理が行われている。

吉野集落の奥、沢の入口の当時の架空鉄索の吉野駅があったと思われる場所には、吉乃鉱山の案内板と、当時の鉄索の支柱と思われる鉄塔が一つ残されていました。そこから舗装された道を沢伝いに上がると、排水処理を現在でも行っている施設があり、沈殿槽などが現在でも稼働中のようで、少し廃鉱山の雰囲気が残っていました。その一番上の開けた場所にかつては選鉱場があったようで、道路はその先は鎖で通行止めとなっていました。この沢の奥、突き当りには4番坑入口があったようですが、安全のため入口はコンクリートで封鎖されているとのこと。

(この先に鉱夫長屋があった?)

沢の入口まで戻り、吉野集落を東に進むと、山神社の入口階段が残っており、そこから左の沢を上がった所には鉱夫長屋が並んでいたそうですが、そちらは入口すぐに未舗装になり、既に背の高い草むらで入るのを拒むような状態。集落の東、現在工場のある場所には役員住宅19棟があったとのこと。

観光鉱山ではありませんし、今でも廃水処理が続いている場所ですので、多くの場所が立入禁止状態です。道路での見学は出来ますが、無理に入り込もうとすると熊の危険もある場所です。また今の時期は何処を見ても草むらで、やはり初春か晩秋が適時のようです。

のち

 

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秋田県立博物館・秋田の石ころ展

2021-03-12 23:08:20 | 鉱山

昨日の秋田市ツアーでは、昼食後、最初に目指したのは金足の小泉潟公園にある秋田県立博物館。ここで4月初旬まで開催されている「秋田の石ころ」という展示を見るのがこの日の目的でした。入館料無料。古くに採取されていた男鹿産の黒曜石や接着剤で使用された天然アスファルト(土瀝青)のついた土器などの時代物や院内石、関口石など中世から近世に採取された石材、現在でも商業採掘が行われているモンモリナイト(横手市大森産)やゼオライト(能代市二ツ井産)などの袋詰め製品までありました。

鉱山県であった秋田県ですので、当然県内の鉱山で採れた鉱石の展示もありましたが、鉱石の展示に関しては、秋田大学付属鉱業博物館の展示の方が充実しています。それでも幅広い石に関する展示は、今まであまり興味を持っていなかった人には、導入編としてはいいのかもしれません。

少し時間があったので、博物館のメイン展示も古代に関する部分だけ見直しました。ここには県内各地の遺跡で採掘された土器や石器などがあり、県内全般を取り扱っているため、かなりの量になっていましたが、見落としたのかもしれませんが、「続縄文」という表記はありませんでした。ただ、縄文関係は多くみられるが弥生のものは秋田県には少ないとの表記があり、それが暗示していることなんだろうと思いました。

博物館のメイン展示では、写真撮影が厳しく制限されていますが、この石ころの展示に関しては、すべて写真撮影OKとの大盤振る舞いでした。見物客は平日なのにパラパラあり、三密になるほどの状況ではありませんでしたが、予想よりも人気があったようでした。

一時

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仙北・田沢湖クニマス未来館

2021-03-06 23:29:32 | 鉱山

いつもなら観光客が多い週末ですが、まだ雪があり、緊急事態宣言が延長となり、首都圏からの観光客も増えていない時期なので、本日は久しぶりに田沢湖方面に出向いてみました。まだ埼玉から戻ったばかりですので、地元の人が多くいく場所を避け、湖畔のクニマス未来館に。従来の田沢湖畔にあった田沢湖郷土資料館の建て替えと、平成22年(2010)に山梨県の富士五湖の西湖でクニマスが発見されたことで、クニマスをさらにクローズアップするために平成29年(2017)に新設された資料館。話には聞いていて、てっきり前の郷土資料館の近くにあると思っていましたが、湖畔南の「たつこ茶屋」のそばに新しくできていました。

通常入館料300円のところ、新型コロナ下の観光促進で3/31まで入館無料。西湖から来たクニマスが水槽に泳いでおり、展示はクニマスと田沢湖に関する展示のみでした。今回の目的は縄文などの古代の発掘品をみることでしたので、見当違いも甚だしい状態で、クニマスに興味がある人なら、実物も見られるので価値はあるようですが、それ以外では通常時の入館料は割高感があるかも。

ここで一番興味がわいたのが、入り口近くに申し訳程度に展示してあった湖畔で採取された石。近くの田子ノ木(旭)鉱山、荒川大沢鉱山など近くに鉱山が過去にあり、その鉱石の残骸らしきものや、田沢湖周辺は、縄文時代に秋田県でも数少ない黒曜石の産地だったこともあり、今でも湖畔で黒曜石が採取されるとのことで、そうしたものがごくわずかでしたが並べてありました。

見学者はほかになく、貸し切り状態でした。

時々

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念願の大泉(大鳥)鉱山

2020-10-16 23:39:27 | 鉱山

来週から春に滞在頂いたビジネスのお客様が再び来られるとのことで、自由になる平日が今日限りとなり、思い切って本日は鶴岡まで足を延ばしました。

目的地は山形県鶴岡市の山奥、大鳥地区にある大泉鉱山の選鉱場跡。象潟、鶴岡を経由し、国道112号で庄内朝日から県道349号線に入った一番奥の地区で、当YHから4時間程のドライブでした。

大鳥地区には近くの大鳥池にいたという巨大魚、タキタロウの資料館があり、更にその奥の寿岡地区に選鉱場はありました。本当はあと2週間ほど後に来ようと思っていました。まだ雑草が枯れ切っておらず、草むら半分という状態ですが、なかなかいい感じに残っていました。

選鉱場は鉱山から鉱石を運んで、含有率の高いものを選別する施設。上物は木造でしたので残骸はありませんが、基礎や付属施設が残っていました。この選鉱場は、昭和6年(1931)からの後期、吉乃鉱山(横手)などを所有した大日本鉱業が大泉鉱山として大鳥鉱山を再稼行した時に使われていたもの。11km山奥の鉱山から索道で鉱石を運び、ここで選別後、精鉱として秋田県八森にあった製錬所(発盛製錬所)に運んだそうです。規模としては、尾去沢(秋田)や阿仁小沢(秋田)などよりもこじんまりした感じです。

鉱山として発見・稼行されたのは江戸後期のことで、明治28年(1895)には古河鉱業が大鳥鉱山として所有し、大正にかけて全盛期を迎え、3000人を超える従業員がこの山の中に暮らしていたと。雪崩で宿舎などが被害を受け、死者154人という惨事と直後の第一次大戦後の金属価格の暴落などで閉山。その鉱山や旧大鳥鉱山時代の製錬所があった場所は、この場所から朝日スーパー林道を進んだ場所にあったのですが、下調べが足りず、今回は1km手前で断念。やっぱり四駆が欲しいかも。

見学の結果は、目標達成率6割程度でしたが、今回は行くことが大きな目的でしたので、かなりも満足感でした。

時々

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鉱山探し③ 小坂/鴇鉱山

2020-09-05 23:35:38 | 鉱山

相内鉱山の後、一度小坂に戻って、未だ言ったことのなかった小坂七滝の道の駅に。小坂に戻る際に、ついでに鴇(ときと)鉱山跡も探してみました。鴇集落から大分奥に入口の標識がありましたが、そこから先は雑草に埋もれて、行けば熊と友達になりそうでしたので、標識までで今回は撤退。

鴇鉱山は、延宝6年(1678)に発見され、南部藩の藩営鉱山となり、現地で選鉱、製錬まで行われた。その後は中断と再開を繰り返し、明治35年(1905)にはかなりの盛況になり、近くに鉱山集落が出来た。同40年に藤田組(現DOWA)が買収して鉱夫375人で採掘を行い、国内重要鉱山にも指定され、索道で小坂製錬所まで鉱石を運搬したとのこと。

大正10年(1921)に選鉱場が焼失し、そのまま閉山となった。戦後の昭和30年、同和鉱業㈱(現DOWA)が探鉱を行ったが、すぐに閉山。

遺構として、レンガ造りの煙突やカラミ捨て場、選鉱場の跡地等が残されているそうです。また川沿いの道は鉱石運搬用のトロッコ線路の跡で、毛馬内まで続いていたという。

(小坂・カラミ(製錬滓)処分場)

その後小坂に戻り、大規模リサイクル施設として現在稼働中の小坂製錬の周辺をウロウロして、旧小坂鉱山も少し見ることが出来ました。見れたところ、雑草などで見られなかったところ、いろいろありましたが、小坂の周辺を3時間以上もウロウロ出来たのは、今回初めてで、面白かったです。

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鉱山探し② 小坂/相内鉱山

2020-09-05 23:32:07 | 鉱山

次に古遠部鉱山跡に来る途中に道路標識で見つけた相内鉱山。入口には石碑があり、すぐ先には茶褐色の水が溜まる沈殿池を発見。その先にも砂利道が続いていたので、木製ゲートがありましたが、チェーン等がなかったので、行けるところまで、と思って1キロ程走ると、坑道入口発見。かなり感激でした。排水がまだ勢いよく流れ出ていました。戻って調べたら中切坑口だったようです。

相内(あいない)鉱山は文久元年(1861)とも伝わり、昭和初期まで個人が鉱業権を設定。昭和初期から開発規模が拡大し、昭和8年(1933)には小坂製錬所に黒鉱を売鉱した記録が残り、戦時中の昭和18年には戦時緊急開発重要鉱山に指定され、700人の鉱夫が露天掘りを行ったという。

戦後の昭和25年(1950)に大揚鉱業㈱によって再興され、大規模鉱床の発見で本格的な開発が行われ、昭和32年には大揚鉱業(青森)と蔵王鉱山が合併してできた日東金属鉱山に移譲され、昭和60年(1985)鉱石市況の悪化などにより閉山した。

現地は、休廃止鉱山鉱害防止工事などによりズリ山や選鉱場跡などは整地済みで、季節柄、深い藪になっていました。長居すると熊と鉢合わせになりそうでしたので、早々に撤退。

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鉱山探し① 小坂/古遠部鉱山

2020-09-05 23:25:53 | 鉱山

先日の鹿角大湯ツアーでは、温泉3湯に入浴後、日中の気温が35℃予報で、早い時間に帰るのが危険な状態でしたので、温泉の次に鉱山探し。鹿角の北には鉱山の街、小坂があります。

まずは小坂鉱山事務所(移設)の駐車場で、地図を見て鉱山のおよその場所を確認。最初は県境近くの古遠部鉱山跡。国道282号沿いにあるとのこと。現地に着くと、木の間から建物が見えましたが、立入禁止で工事中。入口の案内板だけで我慢。時期的に葉が茂って、雑草が伸び放題のこの時期は、本来、鉱山巡りの時期ではありません。

古遠部(ふるとうべ)鉱山は明治44年(1911)に尾去沢鉱山を経営していた三菱鉱業㈱が西部を発見。東部は太平洋戦争前は倉持山鉱山として、戦後は東又鉱山として個人が開発、のちに三菱鉱業㈱が買収して古遠部鉱山に合併。本格的な採掘が行われたのは、昭和33年(1956)と秋田県内でも後発の鉱山で、立て続けに鉱床が発見され、昭和38年に運搬坑や選鉱場など、他の鉱山と比べて近代的な構造物が建設されました。

昭和51年古遠部鉱業㈱として分離独立し、昭和61年(1986)に鉱石枯渇で閉山。当時、従業員は尾去沢からバスで通勤し、鉱山集落は出来なかった。現在も大型の建物が残り、一部廃墟マニアの間では知名度が高いようです。

のち

 

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恐山鉱山

2020-08-22 23:59:49 | 鉱山

(三途川上流)

青森県の鉱山のお勉強は、まだ基礎資料を集める段階なので、資料を見つけるたびにいろいろな地域に飛んでしまいます。今日は恐山周辺の鉱山のお勉強でした。恐山は日本三大霊山のひとつと云われ、イタコの口寄せなどあの世とつながる場所とも称され、その荒涼とした景色がそれを強く感じさせています。

でも、この光景になったのは、実は明治以降の硫黄採掘が原因で、目の前に広がる宇曽利山湖も、もともともっと水面が高い場所にあったようですが、湖の水の流れだし口周辺を採掘で掘り下げたため、水面が低下したとの話。かつて鉱山が賑わっていた時代には、現在の三途川近くに飯場や遊郭などもあり、今の雰囲気とはだいぶ違ったとの話もあるようです。

多くのサイトでは、明治中頃に三井鉱山㈴が開発を行い、その後昭和の太平洋戦争前後には王子製紙㈱が一括して恐山鉱山として経営したとの表記が多くなっていますが、調べてみると、三井鉱山以前にも多くの個人により硫黄採取が行われ、江戸時代には金の採掘地であったとのこと。

(下北鉱山近く?)

平成元年に恐山周辺に世界最高品位の金鉱床があるとの報道があり、話題になったそうです。多くの金鉱山はその含有量は1トンの鉱石から10~20g前後あれば良い方だと云われていますが、ここは一部の場所で436g/tとの話。ただ周辺は国定公園で開発はNG。景観を台無しにするとのこともあり、また火山地帯で多くの硫化水素ガスや砒素が含まれることから開発は当面、出来ないとしているようです。観光で訪れる方は多い場所ですが、そうした視点で見てみるのも面白そうです。

のち時々

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青森県に油田?

2020-08-21 23:46:53 | 鉱山

(国立国会図書館デジタルコレクションより)

先日から青森県の鉱山のお勉強を空いた時間に少しずつ行っています。そうした中で見つけたのが、青森県に石油や天然アスファルト(土瀝青)の露頭があり、試掘井戸がいくつか掘られたとのこと。大釈迦油田とも呼ばれたようで、弘前平野と云われる平地の東端の山沿い、奥羽線大釈迦駅の西から青森空港近く、黒石市から平川市にかけての広い場所で、地質調査や試掘が行われていたようです。

まだ詳しくは調べていませんので、一部断片的な情報でしかありませんが、明治の後半から大正時代にかけて、秋田での油田開発が行われた時期に、青森でも同様に油田の開発を目指したものの、幾つかの試掘で量産には適さないということで本格的な油田とはならなかったようです。

秋田県では油田開発で掘った井戸が、油でなく温泉が出て、その後温泉として残っている場所がいくつかあります。青森県では、ザっと見たところ、そうした温泉は浪岡駅周辺にある温泉がそれに該当しそうですが、それ以外の場所は、青森県でも珍しい温泉の少ない場所にあたっています。

(浪岡駅前温泉)

日本で油田は秋田県と新潟県で商業ベースでの採油が行われていますが、山形県(庄内)や青森県で油田開発を目論んだことがあったというのは、地元の一部の方はご存じの話なのでしょうが、こうしたお勉強をしてみないとわからない話でした。

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