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2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

男鹿市史は平安後期に

2025-01-14 22:15:08 | 秋田古代史

今週から半年ぶりの「1週間のお休み状態」に入りましたが、雪の面倒を見ないといけないので、遠出もできません。そのため、先月から時間の空いた時に読み進めている男鹿市史も、読むペースが上がってきています。市史や県史といったいわゆる自治体史を書かれる方々は、主に古い書物から歴史をひも解くようです。そうした史料では、今の秋田県域について書かれたものが少なく、さらに男鹿市に限定すると特に古代(弥生~平安)については限られています。

他の地域の自治体史でも、その地域についての文献がない場合は、広く東北地方に関する全般的な歴史の話で時代の空白を埋めることが多いようですが、今回の男鹿市史も同様に、男鹿にはほとんど関係のない、前九年、後三年の役などで平安後期は終わっていました。前九年の役は、その後の平泉藤原氏が栄えた岩手県南部(当時の奥六郡)が中心ですし、後三年の役は、秋田県ではありますが、仙北、平鹿地域が主たる地域。

また今回の男鹿市史で困惑するのが、誰の意見を書いているのかが混在していてわかりにくくなっている点です。今回の男鹿市史では前秋田大学学長の新野直吉博士の考え方を元に書かれているところが多くあります。市史の中で、時々新野氏の意見なのか、古い文献にある文章なのか、それをうけた市史の編者の意見なのかがわかりにくい箇所が複数あるようです。

これから先、鎌倉時代になると、鎌倉幕府から男鹿半島にも地頭職の武士が派遣されてくることになりますし、「吾妻鏡」という鎌倉幕府の実績(?)を記録した古文書が存在することで、男鹿地域も少しは歴史的に賑やかになりそうで、楽しみです。(写真は本文とあまり関係ありません)

のちのち

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