Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

エイトル・ヴィラ=ロボスのピアノ協奏曲第5番を聴きながら西谷から二俣川まで歩く

2009-03-25 06:32:40 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は、西谷駅から二俣川まで歩きました。
今回から協奏曲編は中南米編に入る。
途中聴いたのは1887年生まれのヴィラ=ロボスの作品。
ピアノ協奏曲第5番は、1954年に作曲された。
フェリシア・ブルメンタールに献呈された作品である。
今回のCDはフェリシア・ブルメンタールのピアノ、
ヴィラ=ロボスの指揮、フランス国立放送管弦楽団によるものである
第一楽章アレグロ・ノン・トロッポは、
情熱的なオーケストラの合奏に続き、
独奏ピアノがセンチメンタルな旋律を奏でる。
この情熱的で感傷的なメロディーは、
いかにもヴィラ=ロボスらしい感じである。
独奏ピアノの流れるような速い旋律が流れ、
盛り上がったところで最後勢いよく終わる。

第二楽章ポコ・アダージョも感傷的な旋律が、
冒頭からオーケストラによって奏される。
この旋律はそれに続く独奏ピアノに引き継がれ、
この哀愁漂う主題をもとにゆったりとしたテンポで、
音楽は進行していくが、中間部はやや軽やかとなり、
全般の部分とは対照的にやや明るい感じである。
そのあと最初の感傷的な旋律が再現され、
最後は独奏ピアノ中心に静かに終わる。
第三楽章アレグレット・スケルツァンドは、
ピアノの流れるような速い旋律が印象的で、
途中から独奏ピアノによるカデンツァがあり、
ピアニストのあざやかな演奏技術が披露される場面で、
フェリシア・ブルメンタールの演奏はなかなかよい。
第四楽章アレグロは、前楽章に切れ目なく入る。
独奏ピアノに続き、管弦楽の生き生きとした軽快な音楽を奏で、
独奏ピアノの流れるような旋律が絡み合っていく。
2分ほどの短い楽章で、最後は力強く堂々と終わる。
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エイトル・ヴィラ=ロボスの弦楽四重奏曲第6番を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2008-06-29 11:30:57 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは、1887年生まれたヴィラ=ロボスの作品。
弦楽四重奏曲第6番は1938年に作曲され、
1943年11月30日初演された作品である。
ブラジル風バッハの第3番、5番、6番を作曲した同時期にあたる。
第一楽章ポコ・アニマートは、作曲者自身が語ることには、
ブラジル北東部のセルトン(Sertão)の音楽の
特徴的なリズムを利用しているということである。
照りつける太陽の中での雄大なブラジルの自然を感じさせる。
第二楽章アレグレットは、最初のピチカート奏法が印象的である。
生き生きとして弾むようなリズムは、軽快で心地よいものである。
第三楽章アンダンテ、クワジ・アダージョは、
暗く悲劇的なムードを漂わせながら始まるゆったりとした曲。
第四楽章アレグロ・ヴィヴァーチェは第三楽章とは対照的に、
生き生きとした明るい曲で、ポリリズムで書かれている。
ポリリズムとは、各声部によって拍の位置が違う音楽をいうようだ。
拍が一致しないリズムが当時に奏されることで、
奇妙なリズムに聴こえるようだが、
そんなことはあまり感じさせない軽快な曲だ。

弦楽四重奏曲第1番は1915年に作曲された。
第一楽章カンティレーナは歌うような旋律のゆったりとした短い楽章。
第ニ楽章ブリンカデイラは軽快でユーモラスな感じの短い楽章。
ブリンカデイラとは冗談という意味である。
第三楽章カント・リリコは、歌うような旋律の穏やかな曲。
第四楽章カンコネータも生き生きとした短い曲。
第五楽章メランコリアは哀愁を帯びた曲。
第六楽章サルタンド・コモ・ウン・サッシは、
素朴な踊りのような軽快な古典風の曲である。
跳ねる豆のように跳ねるという意味のようである。
この2つの間でも作風の変化は大きくみることができ、
第6番はよりブラジル色が強まっている感じで、
いかにもヴィラ=ロボスらしい曲である。
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ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第5番」を聴きながら、星川から横浜まで歩く

2008-02-14 23:32:48 | 古典~現代音楽ブラジル編
今日は星川駅から横浜まで歩きました。
昨日までで声楽曲・合唱曲の北アメリカ編は終わりにし、
今回からはラテン・アメリカ編に入る。
途中聴いた曲は、ヴィラ=ロボスの
「ブラジル風バッハ第5番」。
管弦楽の分野で触れるべきであろうが、
第5番は2つの曲とも声楽が入っているので、
この声楽曲・合唱曲のところでとりあげる。

「ブラジル風バッハ第5番」は、
2つの歌曲からなり、第1楽章のアリアは1938年、
第2楽章の踊りは、1945年に作曲されている。
アリアは最初のヴォカリーズは特に印象的だ。
中間の詩は、ルート・ヴァラダーレス・コレーア。
夕暮れの情景を描写しつつ、情感を歌っている。

踊りはマヌエル・パンデイラの詩によるもので、
土俗的な舞踏であるエンボラーダの
気分を伝えているということである。
甘くせつない音楽は、彼らしいものであり、
ブラジルの豊かな自然を感じさせる詩である。

なお、前回までの声楽曲・合唱曲北アメリカ編に関するCD等の情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/vocal-music-cd-shoukai.html

を参考にしていただければ幸いです。
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雷鳴響く横浜と、ゴメスの歌劇「グァラニー族」序曲

2007-06-01 11:26:02 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は夕方横浜で雷鳴が響き、雨も降ったので、
ウォーキングできる状況にもなかったのであきらめた。
そろそろ梅雨の時期に入るので、ウォーキングには不利だ。
せめて、雷雨やどしゃぶりでなければいいのだが、
そういう日もこれからあるだろうな。

今回は1836年生まれのカルロス・ゴメスの作品をとりあげる。
ブラジル生まれの彼が活動した場所はイタリア中心のようだ。
CDの解説書によると歌曲やピアノの小品もいくつかあるが、
歌劇やオペレッタなどの作曲者として知られているようだ。
ミラノ音楽院で学び、パリ音楽院院長も務めた人物で、
有名な歌劇には「グァラニー族」の他には、
「フォスカ」、「捕らわれ人」などがある。

歌劇「グァラニー族」はポルトガル人貴族の娘を愛する
インディオのグァラニー族ぺリに関する16世紀の物語だ。
彼はその物語が展開する中で、
自らキリスト教徒になり、自分の命と名誉を守る。、
そして、彼を処刑し食べようと準備する敵を殺すために、
歌劇のある場面で、毒を使うという話のようだが、
実際にはその歌劇を見ないとわからない。

この歌劇はミラノのスカラ座で1870年に上演され、
見事な成功をおさめたが、それ以後の作品も
ヨーロッパの主要な首都で上演されたようだ。
ヴェルディは「本当に音楽の才能がある天才」といい、
彼の作品を絶賛したということである。

歌劇「グァラニー族」序曲は9分前後の曲で、
聴いてみるとやはりイアリア歌劇の影響を受けており、
ヴェルディの影響は強いのだろうなとも思ったりする。
華やかで優雅な感じで始まる序曲は、
これから起こる歌劇の内容を暗示するかのように、
その後音楽が激しくなり、劇的な場面を予感させ、
その一方で夢のような優しく美しい旋律が流れ、
それらいつくかのテーマが交互に現れることにより、
めまぐるしい展開がこの後にあることを感じさせてくれる。
きっと当時のイタリア人の観客は、
この曲を聴いてウキウキしたであろう。

さて、このゴメスは、ブラジル生まれではあるが、
活躍の場はヨーロッパであるし、
音楽的には中南米的な要素はない。
とはいえ、興味あるのはこの歌劇の詳細なストーリーである。
当時のヨーロッパの人々が関心を持ったこの作品を通して、
ゴメスのようなヨーロッパに住むブラジル出身者や
当時のヨーロッパの人々の中南米世界へのまなざしは、
どのような加工がされているのかという問題である。
きっとそこに様々な文化を考える上でのヒントがありそうだ。
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ヴィラ・ロボスの序曲「熱帯雨林の夜明け」を聴く

2007-05-28 08:51:49 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は六本木ノチェーロにライブに行き、
ボサノヴァ・ショーロ・サンバの曲を聴く。
ウーキングをする時間がなかったのでお休み。

今日はヴィラ・ロボスの管弦楽曲を紹介したい。
1887年リオ・デ・ジャネイロ生まれのヴィラ・ロボスは、
有名なブラジルの作曲家で、夥しい数の作品を残している。
序曲「熱帯雨林の夜明け」は1953年か54年頃の作品。
最初の冒頭の朝靄がかかったような部分を聴いただけで、
アマゾンの奥地の自然の中に入ったような感じになれる。
曲は少しずつその朝靄を管楽器の演奏が振り払うように響き、
弦楽器に主題が現れ、一瞬その朝靄が切れたように、
はっきりとした主題が管楽器とともに展開されていく。
しかし、その後もアマゾンの熱帯雨林の神秘的な世界は、
弦楽器などを中心に再び作り出されていく。
後期の作品のためか現代的でブラジル風バッハの世界とは
また一味違って興味が持てる小品である。

有名なブラジル風バッハ第2番は1930年の作品。
管弦楽が作り出す色彩豊か作品で
素朴な音楽づくりにいかにもヴィラ・ロボスらしさを感じる。
情緒豊かな音楽の中に描かれるのは、
ブラジルの自然と風土である。
終楽章の「カイピラの小さな汽車」は走る列車の中で
作曲された作品らしく、即興的であるが親しみやすい曲だ。

「凶暴な踊り」は1919年に書かれた初期の作品であり、
ところどころでプロコフィエフや、ストラヴィンスキー、
ドビュッシーからの影響を思わせるような箇所がある。

それにしてもどうして彼の曲はこうも情緒的なのだろう。
最初聴いた時には、どうもそのストレートさに戸惑い、
一瞬ひいてしまったが、それが親しみやすいところなのか。
確かに何度も聴いていると慣れては来るが、
彼が好きだったショーロの世界と彼の作品とが、
私の中ではなかなか結びついてはくれない。

彼の作品を愛するピアニストのネルソン・フレイレが、
サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番を弾いているDVDがあるが、
これを視聴するとサン・サーンスの曲までが
ヴィラ・ロボス風になっている、少なくとも聴こえてしまう。
他の人の演奏するサン・サーンスの同じ協奏曲を聴くと
そうではないのに、不思議なものだと感じてしまうのだ。
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