今日は一日台風の影響で風雨と雷が激しく家にいるしかありません。
今回は1849年生まれのフィンランドの作曲家カレヴィ・アホが、
1975年から76年にかけて作曲した交響曲第5番を取り上げる。
この作品の演奏には2つのオーケストラが必要であり、
今回聴いたCDの演奏は、ヤーン・オツが第二指揮をし、
ディーマ・スロボデニュークが第一指揮、
オーケストラはラハティ交響楽団となっている。
この作品はフィンランド放送交響楽団の委嘱を受け作曲され、
1977年4月19日ヘルシンキでオッコ・カムの指揮、
フィンランド放送交響楽団により初演された。
作品は単一楽章制の交響曲となっている。
カレヴィ・アホ、この世界や自分たちの生活には、
完全とか明確なものはない。
喜びには悲しみが、悲嘆には滑稽さが、
愛には憎しみが混ざり合っている。
人々の互いの関心はぶつかりあい、
コミュニケーション問題と理解の欠如を生み出し、
国家間の関係は矛盾に溢れ、
違った社会的なイデオロギーや宗教は戦いあい、
しばしば戦争という結果として現れる。
といったようなことをCDの解説書で書いている。
曲は鋭い感じの弦楽器の音型で始まり、
木管楽器や金管楽器が絡んでいく。
奏でられる音楽には不安さと緊張感がみられ、
木管楽器の音には北欧的な部分を表現し、
金管楽器と打楽器の音は戦争などを表現しているのだろうか。
色々な楽器の音が混ざり合い、まさに混沌とした音楽である。
絶えず変化をしていき、アイヴスを思わせるようで、
それぞれの主張が対立しあうような感じである。
そして弦楽器中心の穏やかな部分になり、木管楽器が絡み、
やがて徐々に統制不能な様々な音が混ざり合う音楽になる。
そして、ポコ・メノ・モッソの部分に入り、
室内楽的な音楽になり弦楽器と木管楽器中心に進行し、
再び金管楽器によりその静かな感じは打ち破られる。
何が何だか分からない大音響の音楽となったあと、
レントの部分に入り、ホルンの吹奏がみられる。
そのあとは室内楽風の音楽になり、
弦楽器や木管楽器中心に進むが、
徐々に繰り返す音型が音を増していき、
金管楽器中心に息詰まるような音楽になり、
盛り上がったところで最後終わる。
この交響曲は世界のあるゆるものは混沌の中にあり、
常に矛盾が存在するということ、
そしてその中には絶えず闘争と平安があること、
そんなことを表現しているみたいでもある。
今回は1849年生まれのフィンランドの作曲家カレヴィ・アホが、
1975年から76年にかけて作曲した交響曲第5番を取り上げる。
この作品の演奏には2つのオーケストラが必要であり、
今回聴いたCDの演奏は、ヤーン・オツが第二指揮をし、
ディーマ・スロボデニュークが第一指揮、
オーケストラはラハティ交響楽団となっている。
この作品はフィンランド放送交響楽団の委嘱を受け作曲され、
1977年4月19日ヘルシンキでオッコ・カムの指揮、
フィンランド放送交響楽団により初演された。
作品は単一楽章制の交響曲となっている。
カレヴィ・アホ、この世界や自分たちの生活には、
完全とか明確なものはない。
喜びには悲しみが、悲嘆には滑稽さが、
愛には憎しみが混ざり合っている。
人々の互いの関心はぶつかりあい、
コミュニケーション問題と理解の欠如を生み出し、
国家間の関係は矛盾に溢れ、
違った社会的なイデオロギーや宗教は戦いあい、
しばしば戦争という結果として現れる。
といったようなことをCDの解説書で書いている。
曲は鋭い感じの弦楽器の音型で始まり、
木管楽器や金管楽器が絡んでいく。
奏でられる音楽には不安さと緊張感がみられ、
木管楽器の音には北欧的な部分を表現し、
金管楽器と打楽器の音は戦争などを表現しているのだろうか。
色々な楽器の音が混ざり合い、まさに混沌とした音楽である。
絶えず変化をしていき、アイヴスを思わせるようで、
それぞれの主張が対立しあうような感じである。
そして弦楽器中心の穏やかな部分になり、木管楽器が絡み、
やがて徐々に統制不能な様々な音が混ざり合う音楽になる。
そして、ポコ・メノ・モッソの部分に入り、
室内楽的な音楽になり弦楽器と木管楽器中心に進行し、
再び金管楽器によりその静かな感じは打ち破られる。
何が何だか分からない大音響の音楽となったあと、
レントの部分に入り、ホルンの吹奏がみられる。
そのあとは室内楽風の音楽になり、
弦楽器や木管楽器中心に進むが、
徐々に繰り返す音型が音を増していき、
金管楽器中心に息詰まるような音楽になり、
盛り上がったところで最後終わる。
この交響曲は世界のあるゆるものは混沌の中にあり、
常に矛盾が存在するということ、
そしてその中には絶えず闘争と平安があること、
そんなことを表現しているみたいでもある。