<長浜太閤温泉>
豊公園のなかに、長浜太閤温泉がある。
「豊公荘」という名前の国民宿舎で、日帰りで温泉にはいれるというのでいってみた。
国民宿舎の入口をはいったところに貼紙があって、読むと、都合により本日の入浴はできません、とあった。ボイラーの不具合とか原因が書いてあったかもしれない。
残念だがしかたがない。
豊公園の北側、道の反対側にある別な長浜太閤温泉に向かった。
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ホテル浜湖月だ。
駐車場にはクラシックな送迎車が停められていた。
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旅番組でこのホテルの温泉をみて、いずれ一度はいってみたいと思っていた。
最初からこちらでもよかったのだが、少々値段がはるのである。
エレベータで最上階の展望大浴場にのぼる。
まずは、内湯。
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錆色の濁った、鉄分を多く含む炭酸総鉄イオン泉・・・いわゆる鉄泉だ。
目の前には、広いガラス窓をとおして琵琶湖が広がっている。
身体があたたまったので外の露天にむかう。
外には信楽焼の露天風呂があった。
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身体を沈めて、琵琶湖を渡ってくる風と風景を楽しむ。
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そうそう、この長浜太閤温泉の由来だが、秀吉が長浜城に移り、はじめての男子が出生したことから、子授けの霊験があるということで「子宝の湯」と呼ばれるようになったそうだ。
秀吉は、その祝いに町民に砂金をふるまった。その砂金をもとに曳山をつくり曳山祭が始まったと言われている。
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歴史にそれほどくわしくないわたしは、たしか秀吉の子どもはふたりしかできず秀吉そっくりの猿顔の一人は病死、もうひとりが秀頼であった記憶している。
長浜時代の子どもについてもきっと幼少で病死したのだろう。
大浴場にグループの入浴客はいってきたので、露天風呂をあけてあげることにした。
仕上げに、また内湯にはいる。
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英雄色を好むというが、秀吉の側室は三百人にともいわれるからすごい。
惜しむらくは子宝に恵まれなかった。秀吉に原因があったようである。
あの秀頼でさえも、眉目秀麗すぎることから大野治長との子どもだと噂されているほどだ。
三百人・・・か。
お気に入りの淀君もいることであるから、ほかの側室を毎日取り替えても一年に一度しか逢えない。
わたしだったらきっと名前も忘れてしまいそうだ。スケジュール作成には敏腕なマネージャーが必要だな。
「おい、今日は誰の番だっけ」
「xx殿でございます」
「ふぅむ、思いだせんな」
「京極家の長女だった姫でございます。前回は去年の師走の・・・八日で」
「ああ、小顔で美形のあいつ・・・か。思いだしたぞ。よいよい」
なんて。
(いかん! くだらないこと考えているうちに長湯をして湯だってしまった)
そういえば秀吉は有馬温泉を気に入ったらしく何回もいったのには、案外ここの温泉そっくりだったせいかもしれない。
→「城と駅」の記事はこちら
豊公園のなかに、長浜太閤温泉がある。
「豊公荘」という名前の国民宿舎で、日帰りで温泉にはいれるというのでいってみた。
国民宿舎の入口をはいったところに貼紙があって、読むと、都合により本日の入浴はできません、とあった。ボイラーの不具合とか原因が書いてあったかもしれない。
残念だがしかたがない。
豊公園の北側、道の反対側にある別な長浜太閤温泉に向かった。
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ホテル浜湖月だ。
駐車場にはクラシックな送迎車が停められていた。
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旅番組でこのホテルの温泉をみて、いずれ一度はいってみたいと思っていた。
最初からこちらでもよかったのだが、少々値段がはるのである。
エレベータで最上階の展望大浴場にのぼる。
まずは、内湯。
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錆色の濁った、鉄分を多く含む炭酸総鉄イオン泉・・・いわゆる鉄泉だ。
目の前には、広いガラス窓をとおして琵琶湖が広がっている。
身体があたたまったので外の露天にむかう。
外には信楽焼の露天風呂があった。
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身体を沈めて、琵琶湖を渡ってくる風と風景を楽しむ。
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そうそう、この長浜太閤温泉の由来だが、秀吉が長浜城に移り、はじめての男子が出生したことから、子授けの霊験があるということで「子宝の湯」と呼ばれるようになったそうだ。
秀吉は、その祝いに町民に砂金をふるまった。その砂金をもとに曳山をつくり曳山祭が始まったと言われている。
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歴史にそれほどくわしくないわたしは、たしか秀吉の子どもはふたりしかできず秀吉そっくりの猿顔の一人は病死、もうひとりが秀頼であった記憶している。
長浜時代の子どもについてもきっと幼少で病死したのだろう。
大浴場にグループの入浴客はいってきたので、露天風呂をあけてあげることにした。
仕上げに、また内湯にはいる。
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英雄色を好むというが、秀吉の側室は三百人にともいわれるからすごい。
惜しむらくは子宝に恵まれなかった。秀吉に原因があったようである。
あの秀頼でさえも、眉目秀麗すぎることから大野治長との子どもだと噂されているほどだ。
三百人・・・か。
お気に入りの淀君もいることであるから、ほかの側室を毎日取り替えても一年に一度しか逢えない。
わたしだったらきっと名前も忘れてしまいそうだ。スケジュール作成には敏腕なマネージャーが必要だな。
「おい、今日は誰の番だっけ」
「xx殿でございます」
「ふぅむ、思いだせんな」
「京極家の長女だった姫でございます。前回は去年の師走の・・・八日で」
「ああ、小顔で美形のあいつ・・・か。思いだしたぞ。よいよい」
なんて。
(いかん! くだらないこと考えているうちに長湯をして湯だってしまった)
そういえば秀吉は有馬温泉を気に入ったらしく何回もいったのには、案外ここの温泉そっくりだったせいかもしれない。
→「城と駅」の記事はこちら
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