温泉クンの旅日記

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日光東照宮(2)

2013-02-20 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <日光東照宮(2)>

「陽明門」という名は、宮中正門の名前をもらったそうだ。



 寛永十三年(1636年)、三代将軍家光によって日光東照宮が建て替えられた。
 これを「寛永の大造替(だいぞうたい)」といい、工期は寛永十一年(1634年)十一月からわずか一年五カ月後の突貫工事で、費用はその殆どを幕府が賄った。
 神技のような出来上がりには、大阪城などの大建築にたずさわった経験者を集めて完成させたといわれている。
 総工費は五十六万八千両、銀百貫目、米千石といわれ、動員人数は延べ四百五十万人を超える。わかりにくいので現在の費用に換算すると、ざっと四百億から五百億くらいと気が遠くなる。

 故事逸話や聖人賢人など五百以上の彫刻が施されている。



(豪華絢爛、金かけすぎだろ・・・)
「金の茶室」をつくったあの秀吉ならきっと大喜びしそうな感じだ。
 家康は無駄を嫌い質素倹約し蓄財に努めた。そして、その気質を受け継ぐまじめな二代将軍秀忠は質素な社殿をつくった。



 とにかく華美すぎる、と思う。
 陽明門はいつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」を呼ばれているそうだが、まったく派手過ぎてわたしの好みではない。

 本堂前、胡粉で白く塗られた唐門である。



 胡粉とは、古くは鉛白、現在では貝殻から作られる、炭酸カルシウムを主成分とした顔料である。
 中国の儀式などの細かい彫刻が施されている。



 左甚五郎作の眠り猫の下を抜けて、奥宮へ向かう。ひとが多すぎて、薄暗いなかで撮る「眠り猫」の画像は残念なことにすべて失敗してしまった。



 森閑とした木洩れ日射す路を進み、階段を昇る。



 奥宮の拝殿のほうがわたし好みで、断然味わいがあった。



 奥宮に続く、鋳抜門。



 そして御宝塔だ。



 順路を戻り、靴を脱いで、唐門の後ろのいよいよ補修工事中の御本社へ。

「東照大権現」とは徳川家康のことだが、その神号に決まるまでには「権現」にするか「明神」にするかでかなりの論争があったようだ。
豊臣秀吉の神号が「豊国大明神」であり、豊臣が滅亡して縁起が悪い不吉であるとして「権現」に決まったという

 有難い法話を聞くが、最初のほうだけで大半はセールストークで脱力してしまう。
 最後の薬師堂「啼き龍」のところでも、通販番組かよと思うぐらい、すべて御土産(お守り)のマシンガンセールストークで呆れた。

 この華美贅沢すぎる日光東照宮と、過剰すぎるセールストーク、とにかくわたしはリピーターにはなれないな。



  →「日光東照宮(1)」の記事はこちら

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