温泉クンの旅日記

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湯田川温泉(2) 山形・鶴岡

2019-05-05 | 温泉エッセイ
  <湯田川温泉(2) 山形・鶴岡>

 それにしても、小体ながら雰囲気のある宿である。
 温泉で人心地ついて帰りがてらにじっくりみると、この宿の内部は一見古めかしいが、床暖房が施されてあり、家具はオリジナルなもの、左官屋仕様の塗り壁と、なかなかに手が込んでいる。

 

 地酒「大山」を常温でぐびりぐびりと飲りながら、暇つぶしに卓の上にある宿の案内書をぱらぱらと読む。

 

 冒頭というべき宿からの挨拶のページ、「かたちのない思い出 ~庵主からのごあいさつに代えて」と題する歌詞のような文章に視線が釘付けになった。

   旅の思い出は、いつまでも消えることがありません。
   写真や日記のように、かたちとして残る思い出もあれば、
   記憶の中にぼんやりと残る思い出もあります。

 

   光の色。空気の匂い。耳に響く音。それはとてもささやかで、とても個人的な思い出です。
   しかし、そのぼんやりした思い出が、ときとして、かたちのある思い出よりもずっと深く、
   旅をしていたときの感覚を呼び起こしてくれることがあります。
 
   湯どの庵での思い出が、ささやかな思い出になることを願います。
   それゆえに、あなたの記憶の中に深く残る思い出になることを。
 
 そして、「それでは、どうぞごゆるりとおくつろぎください。  庵主」と締めくくってあった。外人客用なのか英訳されたものまであったのにはさらに驚いた。

 

(はっはぁー、この宿は思い切り女性客をターゲットにしてるな・・・・・・)
 なんとも女性客の旅心の片隅をきゅっと鷲掴みしそうな挨拶文である。
 すべての客の限りない要望に丁寧に応えていると、費用も嵩み接客側に負荷がかかりすぎていずれ宿は破綻の憂き目をみることになる。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だ。的を女性客だけに絞って可能な範囲で対応すれば、費用を含め宿側の負荷はぐっと少なくなる。

 

 他のページにも詩のごときものがあって、ふぅむと感心させられる

   なにか求めて 旅にでる
   なにも求めず 旅にでる
   求めてもなにもみつからない
   求めなくてもなにかを得る

   だからなにも考えず
   過ごせる時間がここちよい
   なにか求めて 旅にでる
   なにも求めず 旅にでる
   湯どの庵に旅にでる

 旅人の心の琴線にそっと触れてくるようだ。感服しているうちに夕食の時間がきて食事処に足を向かった。

 
 
 照明を落した食事処には心地よいジャズが流れている。

 

「うわっ、久しぶりに質素な夕食!」
 運ばれた昼食みたいな刺身や台の物のまったくない膳をみて思わず声に出してしまう。落胆しているのでは決してなく、質素な夕食はわたしの望むところである。たしか和気の鵜飼谷温泉以来だ。
 お飲み物はと訊かれ、芋焼酎「海」の水割りを注文する。

 

 自家製ごま豆腐、だだ茶豆、さわら、アーリーレッド(たまねぎの酢づけ)、カニクリームコロッケ、サラダ、ひじきにツルムラサキのおひたし。それに舞茸ご飯、もずくの味噌汁というメニューである。ザッツオール。

 料亭風な佇まいだから期待してしまったのだろう、あちこちから「えっ、これだけかよ!」などと健啖家の男性客からの不平の小声が聞こえてくる。宿のレベルはそれなりなのに一泊二食九千九百円という低価格なのだからとにかくここは黙するのが至当だ。
 呑み助の客も酒の肴が少ないのであきらめたのだろう、切りあげて次々と席を立って部屋に帰る。このわたしも、長居できないところだけが難点であった。


  ― 続く ―


   →「弁当が夕食の宿」の記事はこちら
   →「湯田川温泉(1) 山形・鶴岡」の記事はこちら


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