温泉クンの旅日記

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地名の話

2024-11-24 | 京都点描
  <地名の話>

「あなたの京都観光の秘訣を教えて!」と問われれば、簡潔にこう指南したい。「歩くに限る」と。
 もっとも「歩く」と言っても、立てた観光プランのスタート目標地点までの移動は、地下鉄とか叡電(えいでん)・嵐電(らんでん)、バスを活用するのだ。たとえ車で京都に来たとしてもそいつを使わず宿に置いておくのがベストである。

 

 もしも連れがいるのなら、脚に自信がない連れはちょいと困る。脚に問題なしでもヘンに気合いが入った新品のパンプスや厚底サンダルは厳禁、京都では履き馴れた靴と歩きやすい服装は必須である。
 それと移動する道沿いに手ごろな飲食店のないところもあるので、連れが正確な腹時計を持っていたりすると、とにかく往生してしまう。生意気なようだが、わたしの腹時計は<通常モード>から<観光モード>へと便利に切り替えられるのだ。

 



 京都の公共交通機関のなかでも一番利用するのが「嵐電」だ。
 嵐電の路線は、四条大宮から嵐山までの<本線>と、「帷子の辻」から枝分かれする<北野線>がある。 北野線は終点の北野白梅町までに、仁和寺、妙心寺、龍安寺、北野天満宮と観光スポットがずらりと並ぶ。

 

 乗換駅の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」はいかにも難読漢字だが、たっぷり忍者漫画を読んで忍者が身につける、鎧や衣服の下に着込む筒袖の帷子に鎖をとじつけた防御具「鎖帷子(くさりかたびら)」を知っていたわたしにはなんなく読めた。

 

 気になって念のため調べてみると、帷子の辻の地名の由来はけっこう怖い。
「帷子」とは死装束のことで、弔いの際に亡骸に着せた着物のことで、嵯峨天皇の皇后・壇林(だんりん)皇后の葬送の際に、棺を覆った帷子の衣が風で落ちた場所と伝わっている。
 壇林皇后は「死後、亡骸は埋葬せず放置し、動物に食い荒らされ無残な姿になろうとも哀れと思うな」と遺言を残したそうで、自らの亡骸で飢えた動物たちを救うことを願った
 皇后の遺言は守られ、化野(あだしの)へ向かう道の途中の辻に亡骸は放置された。
 その亡骸を放置した辻を「帷子ヶ辻(かたびらのつじ)」と呼ぶようになった・・・。

 由来で怖いのもあれば、地名の字面だけで恐ろしいのもある・・・な。
 東北本線の一ノ関駅・・・。

 

 仙台より北に下る五街道のひとつの奥州道中、一ノ関口には“鬼死骸(おにしがい)”なる、上り下りが打ち寄せる波のように続く山越えの難所の路があった。
 平安時代の延暦20年(801年)に「坂上田村麻呂」が蝦夷の首領「大武丸」を退治し、その死骸をこの地に埋めたことから「鬼死骸」と呼ばれるようになったという。
 その恐ろしげな名を冠した「鬼死骸村」は明治8年(1875年)まで実在し、その地名が入った電信柱はいまも残っていて、一ノ関駅から南に4キロのところにあるバス停も最近まで現役だった。

 

 路線廃止(2016年)後の現在も休憩所として使われており、なぜかアニメ「鬼滅の刃」のファンが訪れるそうだ。

(この村で生まれた人は、きっとなにかにつけ「あいつは『鬼死骸』の生まれだからなア」などと言われてさぞかし苦労しただろうな・・・)
 しかしまア、出身地が「血洗島(ちあらいじま:埼玉県深谷市)」というかなり怖い地名でも立派な偉人となった<渋沢栄一>の例もあることだし、それほど出身の地名は気にしないでもいいかもしれない。

 

 ここらで話を京都に戻そう。
 世に、“鉄ちゃん”も仰山いれば“地名好き”とやらもたんといる。
 嵐電に乗っただけでも由来ある地名の駅「帷子の辻」にブチ当たったわけだが、千年を超える都であるから、京都を歩き回ればお宝ザクザク、深い由来のある土地を自分の足でしこたま踏めるに違いない。
「天使突抜(てんしつきぬけ)」、「縄手通り」、「紫野(むらさきの)」、「千本通」、「髑髏(どくろ)町(現:轆轤(ろくろ)町)」、「桑原町」、「閻魔前町(えんままえちょう)」などなど。


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